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「原子力の日」記念講演会

『今日の原子力』

イギリス中央電力庁総裁
ウォルターマーシャル卿



 日本の原子力委員会の発足30周年を記念して、ここでお話ができることを大変光栄に存じております。まずなによりも、貴委員会の30年間のご成功をお祝い申し上げます。日本の原子力委員会は、30年前に非常に不確実な状態からスタートしました。当時は原子力に対する需要が明らかではありませんでしたが、貴委員会はその必要性を認めていました。日本は、二度にわたる原爆被爆という悲惨な体験をしているため、日本の国民がこの恐ろしい技術の民間利用を受け入れるかどうか、まったく予想もつかない状態でした。しかし貴委員会は、国民がこれを必ず受け入れると判断し、この判断が正しかったことが証明されました。その後、貴委員会は、大いなる見識と先見性をもって日本における原子力開発を指導してきました。

 日本の国民は、貴委員会の業績とその功績を、あらゆる点で誇りに感じていると思います。この場をお借りして、日本における原子力発電の円滑な発展、賢明なる計画立案、そして効果的な計画実施に対して敬意を表し得ることは、私にとって喜ばしいことです。

 30周年を記念して、本日ここに皆様がお集まりになったわけですから、この30年の間の原子力発電の歴史を振り返り、期待はずれに終わった事例も含め、世界の原子力の進歩について検討してみるのも、いいのではないかと私は思います。過去の追憶にふけることは老科学者の特権だと考えていますが、そのようなお話をすれば、皆様に私が老人だと思われるのではないかと、少し心配です。しかし私は自分を老人だとは思っておりませんので、若者が古きよき時代について語っていると、お考えいただけると幸いです。しかし、過去を振り返るだけではなく、将来を見詰め、今後30年間における原子力発電の進歩についても考えなければならないでしょう。

  初期の原子力開発

 それでは、まず、30年前の1956年に立ち戻ってみましょう。この年に日本の原子力委員会が誕生しました。日本は、イギリスよりわずかばかり遅れて民間の原子力発電計画を開始しました。イギリスは日本より数年早く民間の原子力発電の開発実施を決定し、1955年にイギリス原子力公社を設立しました。この分野における私の経歴は、核融合の研究を開始した1954年に始まります。当時イギリスにおいては、既にマグノックス型原子炉計画が開始されており、私たちは高速増殖炉の研究に熱心に取り組んでおりました。当時は、ウランを多く含有する鉱石はめったに存在しないと思っていましたので、熱中性子炉であるガス冷却型原子炉および軽水炉などは、独自の燃料を生成することができる高速増殖炉にたちまちに取って代わられるのではないかと考えられていました。また、核融合研究は成功するにちがいないと確信していました。しかし、当時でさえ、原子炉の安全性を第一に考えるべきだということは、十分に認識されておりました。

 このような初期の頃に、炉内の黒鉛減速材が火災を起こしたウインズケール原子炉の事故をご記憶のことと思います。この原子炉は民間の原子力計画に含まれるものではありませんでしたが、この事故はわれわれに非常に重要な教訓を与えてくれました。この事故がわれわれに安全性の意識を植え付け、事故以来、イギリスの原子力計画のあらゆる面において安全操業が第一に考えられるようになりました。ウインズケールの事故当時は大きな挫折感に見舞われましたが、後になってみれば、開発初期に原子力の安全性確保に必要な組織および技術の本質を考えることができたのですから、まさに災い転じて福となすのたとえ通りの結果となりました。この事故から数年の間に、イギリス政府は、原子力設備の安全性に関する重要な法律案をいくつか通過させました。その結果イギリスには、長い年月の試練をも耐えぬいた他に匹敵するもののない安全組織ができあがったのです。

 初期の頃に考えていたことがすべて長い年月の試練に耐えられたわけではありません。高品位のウラン鉱石が比較的豊富にあるため、原子力発電において熱中性子炉が何十年もの間主要な地位を占め得ることは、当時は考えも及ばないことでした。私の考えでは、現在世界で稼働しているものとある程度類似した熱中性子炉が、21世紀の大半を通じ、原子力発電の中心となるのではないかと思います。これは、初期の見通しとは大幅に異なります。

 しかしながら、高速増殖炉に対する初期の考え方は、実質的に間違いはないと思います。将来においても高速増殖炉は必要であり、高速増殖炉は経済的であると思います。高速増殖炉を支持する基本的論拠については、よく知られている通りです。高速増殖炉は、プルトニウムを使用して効率的に発電を行うことができるだけでなく、プルトニウムを燃焼すると同時に、ウラン238をより多くのプルトニウムに転換することができます。廃棄物であるウラン238を、効果的に貴重なエネルギー源に変えることができるのです。つまり、高速増殖炉は、第1にプルトニウムを燃焼して電力を作りだす場合、熱中性子炉の廃棄物にほかならないものを燃料として燃焼するわけですから、その概念上の価値は、はるかに高いといえるでしょう。

 いずれにしても、30年前にはこのように考えられていたのです。それでは、次に原子力発電の進歩について振り返ってみましょう。

  石油危機と二つの事件

 このような初期段階以降の原子力開発は、多くの要因によって影響されました。あるものは経済的要因であり、また、あるものは原子力産業の外部の要因でした。唯一最大の経済的要因としては、1974年と1979年の石油危機に挙げられます。その当時の石油価格の暴騰が、原子力発電に対する大きな経済的誘因となりました。日本とフランスでは、この石油価格の高騰により、原子力発電所が急増しました。フランスと同様に日本においても、原子力発電には四つの利点があります。両国には、石油も石炭も天然ガスもありません。ですから、原子力発電計画を成功させる以外に途はなかったのです。日本およびフランスにおける原子力発電に対する基本的ニーズが、原子力開発計画成功の大きな誘因となっているわけですから、この点を明確に認識なされたことに対して、日本およびフランスの原子力関係者の方々に敬意を表すべきでしょう。イギリスの原子力発電は、これほど幸運ではありませんでした。イギリスは、北海で大規模な油田を発見しましたし、さらに大量の天然ガスと良質の石炭を生産しています。イギリスでは、原子力発電の必要性は依然として重要な問題であり、私個人も絶対に必要だと考えていますが、イギリスには日本におけるほど原子力発電に緊急の必要性がないことは明らかです。そのため、イギリスは日本のような活力のある原子力計画を持っておりませんし、実際に日本ほどその必要性を感じていないのです。

 原子力発電が開始されて以来30年の間に起きた2つの事件が、世界の原子力産業の進歩に非常に大きな影響を与えました。この二つの事件とは、もちろん、スリーマイル島原子力発電所事故と最近のチェルノブイル原子力発電所事故です。スリーマイル島の事故については、多くの文書が書かれ、多くが語られていますので、ここで触れる必要はないと思います。われわれは、原子炉格納容器のおかげで一般の人々に損害が及ばなかったことを感謝しています。われわれは、この事故によって非常に大切な教訓を学びました。1年前にIAEA(国際原子力機関)前事務局長のエクルンド博士が、原子力産業はスリーマイル島事故の後遺症から脱皮しつつあると語った時、私も同じ意見でした。

 しかし今回、チェルノブイルで大火災が発生し、民間の原子力発電所としては初めて死亡事故を引き起こしてしまいました。この事故が、世界の原子力発電開発を大きく後退させることは間違いありません。一部の国では、あまりにもショックが大きかったため、政府が原子力発電所の閉鎖を正式に決定しました。オーストリア政府およびデンマーク政府がこのような決定を下したと伝えられており、早くから原子力発電所の段階的廃止を決定したスウェーデン政府は、現在では、できる限り迅速にこのプロセスを進めていく方針であると言われています。これは、非常に悲しむべきことです。各国の反応は余りにも性急であり、感情に走りすぎていると思います。適切な展望を持ってチェルノブイル原子力発電所事故を調査するためには、時間が必要です。

  チェルノブイル事故の影響

 わずか前の本年(1986年)6月2日に、私はジュネーブで開催された国際的な原子力の会議で講演を行いましたが、このチェルノブイル事故に照らして世界の原子力発電の状況をどのように見るかとの質問を受けました。今年(1986年)の6月のことですから、この事故に関する情報がまったくないため、この事故が世界にどのような影響を与えるかについて明確な判断を下すことは不可能でした。しかし、今日ご出席のブリックス博士のご指導の下に、IAEAは、ウィーンで国際会議を開催し、チェルノブイル事故について検討を行いました。この時、ソ連(ソビエト連邦)の科学者と技術者により事故の全体について説明がありました。そのソ連の報告書に基づいて、チェルノブイル事故に対する私自身の考えと感想をお話しようと思います。

 チェルノブイル事故は、ソ連自身、そしてその他の世界各国にとって非常に大きな意味を持つ途方もない大事故でした。もちろん、ソ連当局は、このような事故に至ったあらゆる決定と出来事に対して責任を負わなければなりません。これは重大な責任であり、ソ連が発表した数々の声明から、ソ連が深くその責任を感じていることは明らかです。しかし、事故が起きた後に、当局者が事故の処理に精力的かつ懸命に努力したことに対しては、敬意と感謝の念を表すべきでしょう。原子力事業の専門家である皆様も、運転技術者や消防士、そして事故発生後に現場で作業を行った人々の勇気と献身に胸を打たれたことと思います。ソ連政府は、事故を処理し、その影響を軽減し、修復作業を命じるために、驚くほど迅速かつ効率的に行動しました。ジュネーブで講演した際、私は「現在の情報から判断すると、修復作業自体については称賛の気持ちで一杯だ」と語りました。ソ連から報告書を入手していますので、この点については繰り返し申し上げたいと思います。

 さらにわれわれは、ソ連政府が潔くこの事故の全貌を明らかにしたことをありがたく思わなければなりません。ウィーン会議に出席した人々は、ソ連の技術者や技術専門家が、事故について知り得たことをすべて語ってくれたと確信しています。細かい部分についてはさらに分析しなければならない点が若干残っていますが、全体としては、ソ連政府もわれわれも、事故の原因や経緯、そして、事故の防止方法が判明したことに十分満足しています。もちろん、チェルノブイルの事故は原子力産業にとって大きなつまずきですが、ソ連政府の隠し立てをしない率直な態度は、原子力産業がこの恐ろしい事故から立ち直るために必要な最初の一歩なのです。

  イギリスでは発生しない事故

 報告書は、チェルノブイル原子力発電所事故が世界の原子力の状況をどのように変えていくか、という問題について述べています。われわれは、「チェルノブイルのような事故が自分の国でも発生し得るか?」という重大な問題について問いかけてみる必要があります。私は、イギリスではチェルノブイル型の事故は、恐らく発生することはないだろうと確信しております。第1に、イギリスの安全基準の下では、防御機能を内蔵する固有の特性を備えた原子炉だけしか建設できないようになっています。また、第2に、このような固有の防御機能に加えて、いかなる過失も防ぎ、制限し、終結させ、軽減する工学的機能が備えられています。第3に、イギリスでは、運転員の行為に対し、許容力を持った体系的な設計がなされています。すなわち、運転員がミスを犯すと、原子炉が運転を停止するよう設計されているのです。第4に、イギリスの運転員は高度の教育を受けており、単なる所定の操作だけではなく、異常事態や事故に対する訓練も十分に施されています。そして第5に、イギリスの原子力発電所の全体系は、独立の原子力検査官によって監督されています。この検査官が安全ではないと判断する場合には、何にも妨げられることなく、何時でも原子炉の運転を停止することができます。

 数年前にイギリス政府は、重水と圧力管の使用を基本とした新型原子炉の建設を計画し、SGHWR(蒸気発生重水炉)と名付けました。その設計は表面的にはソ連の原子炉と似ていますが、SGHWRが減速材に重水を使用しているのに対して、ソ連の原子炉は黒鉛を使用している点が異なっています。したがって、導入にあたり、イギリスの技術者は、何か参考になる点はないかとソ連の原子炉を技術的に評価しました。1976年当時、われわれは、ソ連の原子炉の概念について非常に不安を感じ、なんら参考になるものがないという結論に達しました。特にわれわれは、ソ連の原子炉が正のボイド反応度係数を持ち、本質的に中性子束の安定性が悪く、制御系が複雑で、黒鉛は非常に高温となり、黒鉛炉心を制御する構造が弱い点などが気がかりでした。また、制御棒の配置が不適切であり、イギリスの安全基準には合致しないと判断しました。

 私の考えでは、この原子炉について説明するにあたり、ソ連人自身が原子炉の概念上の欠点、あるいは工学的に必要な措置を講じなかった怠慢について直接あるいは間接的に取り上げていたことはきわめて重要なことだと思います。ソ連代表団の責任者であったレガソフ氏は、ウィーンの会議の開会の辞において設計当初からこの原子炉にこのような欠点があることがわかっていたが、それでも、原子炉の安全性を確保できると考えていたと率直に語っていました。さらに、レガソフ氏は、安全性を保証する上で、設計者が運転員の技量に頼るという途方もない心理学的な誤りを犯したと語りました。今回、ソ連は反応度の異常に対する安全性が運転員の操作によるものではなく、特別な工学的措置によって確保されなければならないことを真に理解したのです。

  日本の安全基準で評価する

 こうしたことから、当然、チェルノブイル原子力発電所事故はソ連特有のものであったと、考えることができます。また、実際には、われわれがチェルノブイル原子力発電所事故から学ぶことのできる技術上の教訓は、厳密な意味では、なかったとも言えるでしょう。ソ連型原子炉をイギリスで採用しなかった理由については、既にお話しました。いくぶん安心なさったことと思いますが、私がここでこのようなお話をしたのは、日本の原子力委員会の30周年を迎えるにあたり、ソ連型原子炉を日本の安全基準から評価してみることもおもしろいのではないかと考えたからです。そのため、この講演の準備にあたって、日本で最近作成された『原子力ビジョン』と題する報告書を詳細に検討しました。皆様の中には、既にこの報告書を読まれた方もあると思いますが、報告書には、原子炉の安全性を確保するための日本の多重防護の考え方についてまとめてあります。図1は、その抜粋です。原子力の安全確保を目的に、日本では多重防護が行われていることを非常に簡潔に示していると考えたため、私はここでこの報告書を取り上げたわけです。ここで述べられていることは、いずれも、日本の皆様にはあたりまえなことばかりですが、

  ・異常の発生を防止するための対策
  ・異常の事故への拡大を防止する対策
  ・放射性物質の異常な放出を防止するための対策

によって、多重防護が行われている様子が描かれています。

 ここでは、概略的には、イギリスと同じ安全の考え方が採用されています。図2では、日本の安全基準に盛り込まれているもので、ソ連の原子炉には適用されていない特定の項目をすべて点線で囲んでみました。これは日本の安全基準の概要を示したものにすぎませんが、それでも、ソ連の原子炉が徹底した安全性を求める日本の安全基準に違反している項目が5つもあることは、興味深い問題です。

図1 原子力発電所における多重防護


図2 原子力発電所における多重防護

 これらの点について、詳細にお話する時間はありませんが、ソ連の原子炉がイギリスの安全基準を満たしていないように、日本の安全基準をも満たしていないと私が断定する理由を簡単に説明しておきましょう。日本においては、原子炉の第1要件は、安全上余裕のある設計がなされていることです。これは、図2の上部右側にある最初の要件ですが、ソ連の原子炉は正のボイド反応度係数を持ち、このボイド反応度係数が非常に大きいため、出力が20%以下になると原子炉自体が正の反応度係数を持ち、正のボイド反応度係数がドップラー反応度係数を圧倒してしまいます。ソ連の運転員がこのような状況の下で原子炉を運転しないように指示されているのは、このためなのです。ウィーンの会議では、この点は明らかになりませんでしたが、その後、IAEAとソ連代表団の技術専門家による会合が開かれ、そこで報告書がまとめられましたが、この点については、最近発行された報告書にNo.715INSAG−1に非常に明確に述べられています。もちろん、この原子炉に固有である出力の不安定性は、通常の運転出力では現れず、出力20%以下に関する適切な運転手順によって回避することができます。しかし、イギリスや日本においては、このような原子炉は、十分な安全性を備えているとは見なされません。それどころか、ソ連を除いて、正のボイド反応度係数を持つ原子炉の運転を認めている国は世界にもなく、そのような原子炉があることも知りません。ですから、これは、全体としてこの原子炉に固有の不安定性なのです。この点は非常に重要であり、非常に基本的な事柄ですので、もう少しくわしくお話する価値があると思います。

 イギリスや日本においては、最初に、防御機能を内蔵する固有の特性を備えた設計概念を選択することによって、反応度の異常に対する防御を行っています。たとえば、イギリスのガス冷却炉は、正負にかかわらず、ボイド反応度係数を持ちません。また、加圧水型原子炉は、負のボイド反応度係数か、全体として原子炉の暴走が生じない程度の小さな正のボイド反応度係数しか持っていません。ガス冷却炉、加圧水型原子炉あるいは沸騰水型原子炉において速発臨界上昇が生じる可能性がありますが、これらは何らかの原因で炉心から突然制御棒が引き抜かれたために生じた事故の場合に限られます。しかし、このような場合においても、ガス冷却炉と軽水炉のいずれも、原子炉に固有の特性が出力急増に対処して、このような事態を安全に終結させます。イギリスの規制機関は、この点について満足のいく措置が講じられるまでは、原子炉の運転許可を与えてくれません。これとは対照的に、チェルノブイル型原子炉は固有の不安定性を内在しているため、出力の急増が自然発生的に起こり得るのです。さらに、このような出力急増がチェルノブイル型原子炉で起こった場合、正のボイド反応度係数が原因で正のフィードバックが起こり、その結果、出力急増が大きくなります。したがって、既に指摘した点を繰り返しますが、チェルノブイル型原子炉は、安全上余裕がないため、イギリスや日本が原子炉設計に適用しているごく初歩的な検査にすら合格することはできません。

 図1の右側の欄の2番目の項目を見ると、日本の第2の安全基準では、誤動作を防止する設計が強く求められています。そのため、イギリスと同様に日本においては、運転員が操作を誤った場合、フェイル・セイフ機能が働いて原子炉の運転が停止されます。一方、ソ連では関係者が「途方もない心理学的誤りだった」と率直に認めているように、ソ連型原子炉には設計上こうした機能は備わっていません。日本と同様にイギリスの原子炉においては、原子炉の運転は包括的なインターロック系によって守られています。現在ソ連では原子炉の改善に着手しており、それが実質的にわれわれの体系とよく似ている点は興味深く、心強い感じがします。この点は大変に重要ですから、いくぶんくわしくお話しましょう。

 イギリスや日本の原子炉では、原子炉の設計上の選択が正しかったため、原子炉が内蔵する固有の防御機能に加えて、欠陥を防止、制限、終止、そして軽減する工学的機能が備えられています。その結果、たとえばイギリスの原子炉では、同時に制御棒を炉心から一度にすべて引き抜くことは物理的に不可能であり、制御棒を急激に引き抜くことも物理的に不可能です。また、運転員が制御棒の操作を誤った場合、フェイル・セイフ機能が働いて原子炉の運転が自動的に停止されます。言いかえれば、たとえ運転員が誤ったことをしようとしても、原子炉は安全というわけです。チェルノブイル型原子炉は、これとは正反対です。ソ連の設計者は、この設計では原子炉が低出力時に本質的に不安定になることを知っていました。かれらは、これが潜在的に危険であることも知っていましたが、その危険状態を回避する工学的対策を何も講じなかったのです。かれらは、単に、このような危険な状態の下では原子炉を運転しないようにと運転員に指示しただけであって、運転員がこの指示を誠実に守ることをあてにしていたのです。さらに、イギリスや日本の安全基準では、本質的に正のフィードバックや出力上昇の可能性のある原子炉に関しては、多重防護を行うよう定められています。そのため、両国の原子炉には必須の工学的措置として、高速で作動する制御棒の取り付けが義務付けられています。現在、ソ連ではこれが緊急の課題としてみられていますが、ソ連の原子炉には、そのいずれも備えられていません。

 日本の第3の安全基準は、機器の点検および検査で、第4は、自然災害からの保護です。これらは、いずれもチェルノブイルの事故には関係ないと思います。第5の安全基準では、異常を早く発見できる設計が求められています。しかし、ソ連の原子力発電所では、反応度を単にコンピュータでプリント・アウトして記録しただけにすぎず、冷却水配管系が極端な臨界点に達していることを運転員に知らせる手段がなかったのです。ソ連は、このような欠陥を正すために、早急にすべての原子炉を改修しているのですから、この設計上の欠陥は認識されているといえましょう。

 日本の6番目の安全基準では、原子炉の緊急停止と余熱を除去できる設計が強く求められています。チェルノブイルでは、最終的には運転員が原子炉の緊急停止を要求しましたが、制御棒の動きが緩慢すぎたため、事故を防ぐことができませんでした。きわめて切迫した問題として、現在ソ連では、この欠陥を矯正する方法も研究されています。

 日本の第7の安全基準は非常用炉心冷却装置に関するものです。これは、チェルノブイル原子力発電所事故に関しては、あまり重要ではなく、関係もないように思われます。

 最後の安全基準は、原子炉格納容器に関するものです。これに関しては、チェルノブイルの事故との関連について簡単に申し上げることはできません。ソ連の原子炉は、西側で使用されているものとは異なる、独自の形態の格納容器を使用していますが、この格納容器は、実際に発生した事故の規模には耐えられるようには設計されておらず、現実に事故を軽減することはできません。

 これで図1・2の説明は終わりですが、日本の安全性とソ連のそれとの簡単な比較分析がこれで終わったわけではありません。『原子力ビジョン』と題する報告書の他の部分で、日本の運転員の教育と訓練が非常に重用視されていることが明らかにされています。すなわち、これは、日本の多重防護のあり方を示したもので、ソ連もかつてはこうした点への配慮が不十分であったと認めています。

 これは非常に重要な問題ですので、この点についてチェルノブイル型原子炉とイギリスの安全基準とを比較したことがあります。日本の皆様は、チェルノブイル型原子炉が日本の安全基準に適合していないと聞いて、安心なさったことと思います。私個人としても、これが事実であることに十分満足しております。チェルノブイル型の事故は、イギリスでは起こり得ません。また、すでにお話したような理由から、日本でも発生する可能性はありません。既に申し上げたように、ソ連がその犯した誤りを素直に認めているだけに、このように断言することができるのです。このようなことは、ソ連人にとっては非常にむずかしいことです。したがって、チェルノブイルの事故に関し、ソ連があらゆる点において率直で、隠し立てしなかったことには感謝するばかりです。

  原子力の将来を展望する

 さて、それでは将来について展望してみましょう。今後の30年間、特に、イギリスと日本における進歩に焦点をあてて考えてみましょう。

 イギリスではサー フランク レイフィールドの報告書を首を長くして待ちわびています。これは、イギリスのサイズウェルに中央電力庁が加圧水型原子炉を建設する計画に関するものです。われわれは、本当に長い間、この報告書の完成を待ち望んでいるのです。イギリス政府は、国民審査の結果に従って、加圧水型原子炉建設に向けて政策決定を行いました。先の政府が、1977年にこの決定を下し、現政府は、1979年にこの決定をさらに強化しました。その時以来、われわれは、加圧水型原子炉について徹底的な調査を行ってきました。われわれは、いまだにスリーマイル島の影響をこうむっており、今後はまた、チェルノブイルの影響をこうむっているわけです。しかし、イギリス政府に報告書が提出されるのは時間の問題だと信じております。いや、実際には、今日にでも提出されるのではないかと考えています。さらに、この報告書で肯定的な結果が出され、直ちに加圧水型原子炉のサイズウユル原子力発電所の建設が着手されるよう強く願っています。イギリス政府は将来、イギリスおよび世界において原子力発電が必要になると確固たる信念を持っているため、イギリスにおいては、原子炉についてただ机上で論じているだけではなく、実際にその建設が行われる日を目のあたりにできるものと期待しています。

 しかし、チェルノブイルの精神的打撃が、イギリスの野党を原発反対運動に駆り立てています。その反応には程度の差こそあれ、イギリスで、初めて原子力発電が政治問題に発展したことは明らかです。イギリスの原子力問題に関する論争が、将来どのような方向に向かうか予測することはできません。はっきりとしていることだけしか申し上げられません。1年半以内にしかるべく選挙が行われますが、その選挙結果はイギリスの原子力発電の将来に重要な意味を持つでしょう。しかし、この点に関しては、私は楽観的です。イギリス国民がチェルノブイル事故の性質を理解し、その原因を理解し、これがソ連型原子炉の設計に固有の問題であることを理解する機会があれば、イギリスの原子力計画が大きく前進し得ると楽観的に考えます。

 日本について見る限り、状況はいたって簡単だと思います。既にお話ししたように、日本には、石炭も石油も、そして選択の余地もありません。そのため、日本は、原子力発電を推進しなければならないのです。日本の原子力産業は既に確立し、非常な成功を収めています。ですから、あらゆる面から見て、さらに成功を収め続けるものと確信しています。

 高速増殖炉の開発について若干お話して、この講演を終わりにさせていただきたいと思います。現在のところ、高速増殖炉の実用化にはまだ長い道程がありますが、これは絶対に必要なものです。原子力発電の先駆者が最初に考えた高速増殖炉の概念は、時間のはかりにかけられて結果として楽観的すぎたとわかっても、その概念の正しさに変わりはありません。熱中性子炉だけに頼るならば、原子力発電が人類に寄与できるのはわずか1世紀そこそこです。しかし、高速増殖炉を利用すれば、原子力発電は未来永劫にわたって人類に貢献することになるでしょう。それゆえ、長期的にみれば、高速増殖炉が必要欠くべからざるもので、この点に関して日本は、特に高速増殖炉の開発を推進する特別な責任を持つと確信しております。

 プルトニウムの供給なしに高速増殖炉を稼働することは不可能ですし、再処理を行わずにプルトニウムを供給することもできません。さらに、高速増殖炉の全般的な概念と経済性は、高速増殖炉用燃料の定期的な再処理と再成型加工により可能となるのです。現時点においては、高速増殖炉推進を目ざす首尾一貫した政策を持つ先進国は、フランス、イギリス、そして日本だけです。アメリカにおける核燃料再処理の見通しは、年々後退するばかりです。そのため、アメリカにおける高速増殖炉の先行きは、10年前に比べてかなり暗くなっていることは明らかです。主として感情的なものか、政策的なものか、はっきりとはわかりませんが、チェルノブイル原子力発電所事故が、ドイツに精神的打撃ともいえる反応を引き起こしました。その結果ドイツが高速増殖炉といった先端技術に取り組むには、さらに慎重な配慮が必要となるでしょう。さまざまな理由から、未来の世代が即座に実証済の技術を利用できるよう互いに力を合わせて研究して行くことが、フランス、日本、そしてイギリスの責任だと考えております。『原子力ビジョン』が、この重要な問題を認識していたことを大変うれしく思うと同時に、日本の原子力委員会が将来もこの問題についてわれわれに示唆に富んだ考えを示してくださることを願っています。

 これで、「今日の原子力」と題する私の講演を終わりにさせていただきます。私の話は、ほとんどがチェルノブイル原子力発電所事故に終始しましたが、この点については、ご理解いただけたことと思っております。あらためて、原子力委員会の発足30周年をお祝い申し上げると同時に、今後30年間のご発展をお祈り申し上げます。60周年記念に、再度、日本を訪れることができるようにと願っております。


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