前頁 |目次 |次頁

『チェルノブイル後の原子力の展望』

国際原子力機関事務局長
ハンス ブリックス博士



 日本の原子力開発30周年を皆様とお祝いできることを、大変光栄に思っております。まず、この30年間のすばらしい成果について、お祝い申し上げます。私は、マーシャル卿と違って、30年もの個人的な体験をお話することはできませんが、本日はご要望のあったチェルノブイル後の原子力の展望についてお話したいと思います。

  チェルノブイル事故の前後

 今日、原子力の展望について論じる場合、チェルノブイル原子力発電所の事故や事故に対する反応、そして、将来における原子力発電の安全性強化などの問題を考慮に入れなければなりません。原子力発電所を持つすべての国の政府は、原子力の安全性を高い水準に保つため、その諸規則や点検方法の見直しを迫られています。ご承知の通り、各国政府は、相互協力を行い、相互の経験を学び合い、そして、世界の原子力発電の安全性を高い水準に維持したいと望んでいます。IAEA(国際原子力機関)が実施している原子力安全計画は、この目的達成の大きな手段となるでしょう。

 1986年4月26日までは、放射線による死亡事故は1件もなく、また放射能漏れによる大きな環境汚染もなく、原子力発電所は延べにして約4000炉年の運転経験を数えることができました。1979年のスリーマイル島原子力発電所事故は関連電力会社に経済的な打撃を与えましたが、人的被害はなく、大きな放射能漏れもありませんでした。スリーマイル島事故の結果、世論のさまざまな部分で原子力発電所に対する不安が表面化しましたが、最近になると、そうした不安もやわらいできたようです。

 今春には原子力産業は、発電所の設備利用率を着実に改善することができました。3週間前世界エネルギー会議に発表されたIAEAの統計によれば、ヨーロッパにおける原子力発電所はあらゆる規模の石油、石炭専焼火力発電所に比べて、設備利用率が高くなっていました。原子力発電所の保守管理が充実したため、このような結果が生まれたのでした。世界の大部分の地域において、原子力発電によって生み出される電気は、石炭専焼によって生み出される電気よりも安価でした。フィンランドとオランダでは新しい原子炉が発注されようとしていました。

 このように原子力発電を取り巻く、状況は好転してきていましたが、それもチェルノブイルの悲惨な事故によって一挙に水の泡となってしまいました。原子力発電に対する信頼が損なわれ、いくつかの国々では原子力発電の導入が可能かどうかといった問題が持ち上っています。フィンランドとオランダは、新しい原子炉を発注しないことを決定し、また、西ドイツ、イタリア、スイスなどでは、多くの政治家や一部の政党が、国民の不安を解消するためには原子力発電の凍結または段階的廃棄を約束する政策を示さざるを得ないと考えています。

  原子力発電は終焉を迎えない

 こうした各国の動きの中で原子力発電は本当に終焉を迎えるのでしょうか。私の答えは、「ノー」です。ここで、私がこのような結論を下した理由をお話しましょう。

 今日、世界の電力の15%は原子力発電によるもので、1990年までには、20%に達すると予想されています。現在、原子力発電によって生み出されている電力を石炭を使って生産するとなると、アメリカの現在の石炭総生産量に匹敵する量の石炭が必要となります。石油で考えてみますと、同じように、1982年のサウジアラビアの石油総生産量に匹敵するほどの量が必要となります。このことから、この問題がいかに重要かがおわかりになると思います。さらに、現在では多くの国が電力のほぼ半分、あるいは半分以上を原子力発電でまかなっています。ベルギー、西ドイツ、フィンランド、フランス、韓国、スウェーデン、スイスなどがそうです。日本では、電球4つに1つの割、すなわち電力の約25%が原子力発電によって生み出されています。原子力発電所のような大きな設備を閉鎖したり、段階的に廃棄していくには、後で述べる代替発電所の設備費も含め、莫大な費用がかかります。しかも原子力産業は生まれたばかりの若い産業ではなく、すでにかなり成熟した産業なのです。

 このように原子力発電への不信がつのる中で、大規模な原子力発電計画を持ついくつかの国々では政府が国民の不安に配慮しながら、慎重に計画を進めていることは驚くべきことではありません。先進諸国のほとんどの政府は、そのエネルギー政策において原子力発電を推進したいと思っています。チェルノブイル事故のわずか数日後に開かれた東京サミットにおいて、先進7カ国の首脳が合意に達した結論にも、このことが十分に表れています。そこでは、「適切に管理された」原子力発電による電力供給量は各国において増加し続けるであろうと述べられています。ソ連のゴルバチョフ書記長は原子力発電のない世界経済など想像することすら不可能だと語っています。最近の第30回IAEA定期総会の特別部会においても、原子力発電の果たす役割の重要性が再確認されました。チェルノブイル事故以後、一部の国では原子力発電所が再考されたり延期されたりするでしょうが、経済、資源管理および環境上の理由から原子力発電開発の基本方針に変化が生ずることはないのではないかと私は考えます。また、日本においては、さらにエネルギーの自立を理由に加える必要があると思います。

 原子力発電の経済性、信頼性、安全性、そして環境に対する影響だけを調査しただけでは、このような結論に到達することはできません。発電に原子力を利用することがいかに賢明な選択であるかを示したければ、石炭、石油、天然ガス、水力、バイオマス、風力、太陽その他の代替エネルギーについて論じる必要があります。そして、これらのいずれか一つについて各側面から調査を開始する前に、まず第一に、世界が本当に大量の電力を必要としているのかどうか考えなければなりません。多くの人々、特に原子力発電に反対する人々は必要とはしていないと言うでしょう。それでは将来、世界は現在の消費量を下回る電力でやっていけるのでしょうか。

 強力な省エネ対策を実行し、それによって一時的にエネルギー消費量が停滞あるいは減少したとしても電力消費量は増大し続ける、これがこの基本的問題に対する答えです。より簡単でよりわかりやすい省エネ対策がとられながらも電力消費が増大したとしたならば、将来さらに効率的な省エネ対策がとられうると期待するのは困難です。さらに、先進諸国の間でさえ電力消費量に大きな差があることを考えると、世界の発電量の増加には、社会的、経済的要因が強く働いていると言うことができます。発展途上国の経済発展計画には、重要な項目として発電量の増加がほとんどきまって、しかも容易に理解できることとして含まれています。ですから、問題は電力需要が増加するかどうかではなく、どのようにしてより多くの電力需要に応えられるかということになります。

 水力や風力、太陽等、環境的に影響が少なく、繰り返し利用できるといわれる資源がよく引き合いにだされます。こうしたエネルギーが環境に対して影響を及ぼさないわけではありませんが、現在、これらのなかでは水力発電だけが世界に有意な発電量を提供しています。一部の発展途上国では依然として水力発電の比重が高いのですが、ほとんどの先進国ではその比重が低下しつつあります。風力などの資源も有用ですが、必要な電力を賄うことはできません。たとえば、デンマークでは、風力発電に関し積極的な政策を展開しているにもかかわらず、今後5年間に風力発電によって増加する発電量はわずか10万キロワットにすぎないと言われています。これに対して、過去5年間だけをとってみても、石炭および石油専焼火力発電所の新設によって発電能力は50万9,000キロワットも増加しています。太陽エネルギーは、孤立した地域での暖房や小規模発電には役立ちますが、経済的に大量の発電ができる太陽電池の出現ははるか先のことになると見られています。

 将来は、太陽電池や核融合を含むその他のエネルギー源によって、大量の電力を経済的に生産することができるようになるでしょう。そのため、原子力や石炭および石油が将来、発電源としての役割を徐々に失っていく可能性はあります。確かに、ほとんどの技術はうつろいやすいものです。今日、重要な役割を果たしている石油火力が大規模に利用されたのは、わずか40〜50年のことで、石油の時代もその終焉が近づいています。しかし、新しい大型発電源はまだ間近にはありません。好むと好まざるとにかかわらず、今日の政策立案者が世界の電力供給に新たに大きく貢献するものとして石炭や石油、天然ガス、原子力を当てにせざるを得ないこと、そして一部の発展途上国では水力以外に選択の余地がないことを、われわれは認識せざるを得ないのです。これらの資源はどれ一つとして、まったくリスクのないものはありませんが、これらすべてがこれからも利用されていくことに間違いないでしょう。しかし、われわれがこれらをそれぞれどのような割合で利用していくかは非帯に重要な問題です。現在、石油は比較的安くなりましたが、それでもなお高価すぎるという理由から、発電における石油利用の大幅な拡大はほとんど考えられていないようです。世界の石油資源をできる限り存続させるという利益を考慮すれば、他の技術によって達成可能な目的に石油を使用しないようにすることもまた望ましいと考えられます。

  二つの選択肢−原子力と石炭

 将来の大規模発電のための二つの主な選択肢としては、原子力と石炭が最も適当でしょう。どのようにこの二つを比べたらよいでしょうか、そしていずれか一方を選択した場合、それぞれ一般大衆はどのような反応を示すでしょうか。現在、はとんどの地域において原子力発電のほうが安価だと見積もられています。これは、産業にとっては確かに非常に重要なことですが、各国で国民投票を行った場合、一般大衆の意見が価格のわずかな差によって左右されるかどうかは疑問です。むしろ、事故のリスクやエネルギー源の環境に与える影響をどのように理解するかにかかっているのではないかと思います。

 石炭の場合、鉱山事故や輸送車故によって多くの命が奪われることがありますが、石炭火力による発電所に対する主な不安は、事故ではなく、むしろ大量の石炭を燃焼することによる環境への影響です。すなわち、化石燃料を燃焼する発電所から排出されるもの、特に硫黄酸化物や窒素酸化物がいわゆる酸性雨となって、たとえばヨーロッパの広大な森林地域に損害を与え、あるいは破壊する大きな原因となっているからです。また、こうした発電所から排出される二酸化炭素が他の気体と混わり地球の大気を暖めるという現象、いわゆる「温室効果」を生じる可能性もあります。長年にわたって収集された科学的データによれば、今後70年間に地球の温度が1.5℃から4.5℃上昇することは、ほぼ間違いないと言われています。今年の10月にオーストリアのフィラッハで開催された国連環境計画、世界気象機関および国際学術連合共催による大規模な国際会議において、今までの排出物によるある程度の気象変化は避けられないとしても、「将来の気温上昇の割合は、省エネや化石燃料の使用、温室効果をもたらす気体の排出などに関する各国政府の施策によって大きく左右される」との結論が出されました。

 原子力発電の批判者も、この化石燃料の使用により生ずる環境への影響については同意していますが、適切な資源を利用すれば、科学技術によって化石燃料を燃焼することで生ずる影響を緩和することができると主張しています。これは、正しいともいえ、正しくないともいえます。特殊な装置を利用すれば現在の硫黄酸化物と窒素酸化物の排出をさらに削減できるという点は正しいと思います。事実、私は日本において、大規模石炭火力商業発電所に適用される環境制御のための優れた技術と進歩が、なしとげられていることを承知しています。しかし、これらの排出物は完全に取り除かれるわけではありません。現在使用されている技術では、80%から90%程度しか硫黄分を取り除くことができず、また窒素酸化物は80%程度しか取り除くことができません。石炭の燃焼が大幅に増加すれば特に低品位炭の燃焼が大幅に増加すれば、排出量も大量なものとなります。さらに、温室効果をもたらす二酸化炭素を排出物から除去する方法はいまだに見当たりません。

 この問題をもう少しはっきりさせるために、いくつか数字を見てみましょう。耐用年数30〜40年、排気洗浄度80%の70万キロワットの石炭火力発電所でさえも、年間約7万トンの硫黄酸化物が大気中に排出されることになります。地上には、500万トンの脱硫生成物や、特に重金属を含む100万トン近くの灰が生成されます。1986年5月に欧州経済委員会に提出されたフィンランドの報告書によれば、フィンランドにおいては、一次エネルギー源としての石油の比重が1973年から1974年の間に55%から34%に低下したのにともない、電力生産よる硫黄酸化物の排出が約40%も減少したとのことです。また、この劇的な排出量の減少は、おもしろいことに、フィンランドで原子力発電が次第に重要な役割をにない始めた時期に起こったということです。

 このような環境上の事実から、世界が電源として化石燃料を放棄しなければならない、といっているわけではありません。それどころか、現実には、そうした決定は不可能に近いでしょう。しかし、だからといって、われわれは安全性に大きな問題があるという理由で原子力発電を放棄し、代わりに化石燃料を大量に使用すべきだと安易に断定する過ちを犯すべきではありません。

 では、原子力について考えてみましょう。石炭とは異なり、ウランの採鉱や輸送において人命が危険にさらされるリスクは比較的少なく、また、原子力発電所を通常に運転している場合には、環境に影響を与える排出物が生成されることはありません。原子力に対して不安があるとすれば、それは主に大規模な事故の発生のリスクや非常に長い期間隔離しておかなければならない放射性廃棄物についてです。最初にお話したように、チェルノブイル原子力発電所事故までは、原子力発電は、安全性の面できわめて優秀な記録を保持していました。決して事故がなかったわけではありませんが、人命を奪ったり、深刻な汚染を引き起こすような大きな事故はなかったのです。

 しかし、今、ソ連でこのような重大な事故が発生してしまったのです。このように深刻な影響を及ぼす事故が、将来どこかで発生するリスクをできるだけ小さくするには、どうしたらよいでしょうか。既に多くの対策が講じられ、さらに多くの点について政府間で協議が行われています。マーシォル卿が言われたように、ソ連は目下チェルノブイル型原子炉の安全性を高めるためにさまざまな手段を講じていますので、まず最初にこの点を取り上げてみましょう。ソ連では、運転員に対する新たな教育が計画されているようです。原子力発電を持つその他多くの国は、チェルノブイル事故の教訓を無駄にしないために、安全基準の見直しを行っています。

  IAEAの活動と今後の役割

 しかし、各国政府が現在最も強い関心を示しているのは、原子力の安全性を強化するための国際的な対策を確立することです。IAEAは、この目的達成に中心的な役割を担っています。IAEAには、かつてより長い間、実質的な原子力安全計画がありましたが、いまや原子力の安全性は国際的にさらに重要な問題となりました。NSU基準と呼ばれる重要な原子力安全基準が勧告されてきましたが、これにはいわゆる拘束力のある規則はほとんど盛り込まれていません。原子力の安全は、この点に関しては古くからそのような規則が存在する空や海の安全とは異なっています。原子力発電所は国の領土内に設置され、廃棄物のほとんどが国有地で処分されようとしているため、原子力発電所建設時の安全性に関する共通の拘束力のある規則に関する問題はあまり取り上げられてきませんでした。しかし、チェルノブイル事故は、原子力発電所事故がはるかに遠い地域まで放射線の影響を及ぼすことを実証しました。

 この事故の直後、事故を起こしたソ連は、原子力発電の安全性に関する国際協力の拡大に積極的な姿勢を示しました。私と2人の同僚は、事故の概略説明を受けるためにモスクワに招かれ、さらにチェルノブイル原子力発電所をヘリコプターで上空から訪問しました。ソ連当局が、多数の観測所から集めた放射線レベルに関する情報をIAEAに毎日提供してくれたため、これらの情報をあらゆる放射線防護関係機関に伝達することができました。8月に世界中から500人以上の専門家を集めて開催されたウィーンでの検討会議においては、ソ連の専門家がこの事故に関する包括的な報告を行いました。この検討会議の重要な成果の一つは、事故の原因と実際の規模がはっきりと理解できたことでした。

 われわれが描くこの事放の全体像は、確かに産業事故としては深刻なものですが、他の産業事故とは比べものにならないほど深刻なものというわけではありません。31名が死亡し、300名が放射線障害の疑いで入院し、そのうち10名近くは現在退院しています。135,000人が避難し、現在、その一部は家に戻っていますが、多くの他の人々はあと数年は故郷を離れて暮らさなければなりません。いまのところ避難民の中に放射線障害は見られません。この事故による集団線量から、ソ連西部では、今後70年間に癌患者は最大6,000人から20,000人程度増加すると見積られています。同じ評価方法によると、通常の自然放射線による癌患者は約10万人程度と推定されます。さらに将来にわたって展望するならばわれわれはいくらかの確信をもって、同地域における同期間の癌死亡者数は、1,000万人から、1,500万人に上ると予測することができます。ソ連当局のとった緊急措置は十分に機能しました。破壊されたチェルノブイル原子力発電所の第4号機は、現在コンクリートで完全に密封され、発電所の第1号機および第2号機は運転が再開されました。

 西ヨーロッパにおける放射能の影響は最も深刻な被害を被ったスカンジナビアなどの一部の地域を除き、さほど重大なものとはならないと予測されます。しかし、ヨーロッパ各国は食料等に関する放射線防護対策を実施するのに、膨大な費用を支出しなければなりませんでした。

 事故後にウィーンで開かれた検討会議では、貴重な情報と経験が率直に交換されました。もう一つの早くから得られた成果としては、原子力問題の国際安全に関する相互協力を国際的に推進したいと願う各国政府が、原子力発電所事故の早期通報と緊急援助に関する二つの協定を結んだことが挙げられます。現在は、ほぼ60カ国がこの協定に署名し、ちょうど今週の(1986年)、10月27日に発効しました。こうした協定は、わずか7月後半から8月半ばまでの交渉によって生まれました。これら二つの協定が策定され、承認されるまでの早さは、加盟各国に強い共通の関心がある場合、国際機関がいかに大きな役割を果たし得るかということを証明したといえるでしょう。私は、この夏に生まれた国際協調の機運が、今後も各国政府によって維持されることを強く願います。

 国際協力が高まっていると思われる分野は、発電所の運転員の資格に関してです。現在、運転員の訓練計画に関する国際基準制定の可能性を検討すべきだとの提案がなされています。スリーマイル島とチェルノブイルの二つの原子力発電所事故は運転員の誤操作に起因するものですが、このような基準作成にあたり、まず、事故の背景を調査する必要があります。自動化と運転員の責任とのバランスを十分に考慮に入れた具体的な勧告を提出するためには、人間と機械の調和(マン・マシン・インターフェイス)の分野に関する多くの情報を交換する必要があります。IAEAは、日本政府の協力を得て、1988年にこの問題に関する会議を日本で開催する予定です。日本の原子力発電所の運転実績が、1980年以降確実に改善され、現在では、平均設備利用率が70%以上に達していることを考えれば、日本は会議開催国としてまさに適任ではないかと思います。さらに、日本の原子力発電所における予期せぬ運転停止やスクラム頻度は、世界の平均値から見て非常に低いものです。このすばらしい成績を祝福すると同時に、他の国々はこの点について日本に学ばなければならないと思います。

 日本におけるこうした実績向上は、包括的な予防保守、厳格な品質管理の実施、運転情報のフィードバック、高度な教育訓練計画、運転員に対する高度な資格要件、手順の体系的検査や検討などがいかに重要であるかを、はっきりと証明しています。このような努力が、原子力発電所の運転における安全性を高めるためには非常に大きな意味を持つことに注目すべきでしょう。

 拘束力のある国際安全基準の制定に関心が高まっていることは、既にお話したとおりです。原子炉には多様なタイプがあることや立地地点の違いを考慮する必要があることなどをはじめ、多くの問題があるため、こうした基準の制定は容易ではありません。しかし、それにもかかわらず強制的な規則または基準を作りあげることが本当に可能なのかどうかは、真剣に考えなければなりません。IAEAの主催の下に来週ウイーンで開催される各国政府の専門家会議において、拘束力のある国際安全基準の問題点が取り上げられる予定です。この専門家会議は、現行の非強制的な国際安全基準、いわゆるNUS基準の検討というそれほど、困難ではないけれども、非常に重要な問題も討議する予定です。

 拘束力のある国際基準ばかりでなく、法的な義務を生じる国際管理が必要であるという声も一部で聞かれます。しかしながら強制的な国際検査は、現実的には不可能です。なぜならばIAEAは、超国家機関になろうとしているわけではないからです。もう一つ重要な仕事としてIAEAは各国の規制機関の要請に基づき、原子力発電所の安全運転を評価する目的でOSARTと呼ばれる運転安全評価報告チームを各国の原子力発電所に派遣することができます。このチームは数週間発電所にとどまり、派遣を要請した機関に助言を行うために報告書を作成します。非常に有能な国際チームによる原子力発電所の運転に関する安全性評価を望む機関や政府の声を反映して、OSARTの派遣要請が急激に増加しています。OSARTの活動をより定期的なものに発展させることを目的とする取り決めを想像することも可能です。今後、国民や近隣諸国に配慮して、外部の独立した評価を利用する政府が大幅に増加するかもしれません。

 国際原子力賠償責任制度も掟唱されています。既存の協定は、国家レベルでの賠償責任だけが取り上げられています。国際的な賠償責任制度には確実に別の協定が必要となるという、難しい問題もはらんでいます。さらに、そのような協定にはさまざまな食品について、食用が危険とされる放射能汚染レベルに関する評価の国際的な一致などが必要となります。この点に関しては、たとえば、チェルノブイル事故によるミルクや野菜などの食用が危険とされる汚染レベルがヨーロッパ近隣諸国間でさえも大変大きな差があるというとこで明らかに示されました。

 新しい科学技術的な装置、すなわち事故の際の放射能漏れに対しても十分対処し得る専門的な装置を当然開発する必要があります。また、さらに固有の安全性が高く、運転員のミスをも十分許容し得る高度に標準化された次世代の原子力発電所について研究していかなければなりません。この点について私は、たとえば、いくつかの国の原子力発電所で、事故の際の高い圧力の放射能漏れにも十分機能し、したがって環境を保護する役目を果たし得るフィルターの取り付けを検討していることをご紹介したいと思います。最初にこうしたフィルターを取り付けたのはスウェーデンのある発電所ですが、今後、フランス、西ドイツなども、これとは別の種類のフィルターですが続いて取り付けられるかもしれません。さらに、新しい次世代の原子力発電所に関する概念設計が日本を含む数カ国で行われていることもご紹介する必要があるでしょう。現在の原子力発電所は発展途上国に導入するにはまだいろいろ難しい点が残されていますが、IAEAではこうした問題点にも克服し得るような新しい次世代の原子力発電所が設計されることを期待しています。

  実績と信頼で世界の模範に

 最近、フランスで開催された世界エネルギー会議の第13回総会は、特にチェルノブイル原子力発電所事故と最近の石油価格の急落という情況が背景にあったため、世界中の専門家の間でいつにない関心を呼び起こしました。会議ではエネルギー市場の将来に対してこれらがどのような影響を与えるかについて、広く討議されました。チェルノブイル事故以後、各国の国民が原子力のリスクに対して不安を募らせているのとは対照的に、この会議においては、原子力が十分に検証ずみの技術でありエネルギー源であるとして強く支持されたことはきわめて重要な意味を持ちます。特に重要なことは、原子力が世界の電力供給に非常に大きな貢献をしているという事実です。チェルノブイルで事故が発生したにもかかわらず、原子力発電は全般的には優れた実績を上げてきました。会議では、エネルギー、特に電力に対する需要が確実に増加するという見通しに基づき、今後長期にわたり原子力をはじめとする既存エネルギー資源を組み合わせて使用していくことになろうとの見解が明らかにされました。

 しかし、一方では、多くの国が原子力発電の導入に対する国民のためらいや不信といった問題に今なお直面しているのも事実です。センセーショナルでない確かな情報がより多く必要とされ、勇気のある、そして理性的な政治家の指導力が必要とされています。原子力発電所の性能と安全性に関してもまた、優れた実績を新たに作り上げることにより、さらに、しっかりした信頼を勝ち得なければなりません。日本にはこのような実績があります。日本は今後、さらにこうした実績を築き、世界の模範となっていくだろうと私は確信しております。


前頁 |目次 |次頁