原子力事業従業員災害補償問題について

1.原子力事業従業員災害補償懇談会は、昭和36年11月22日設置され、原子力事業の従業員の災害補償問題について検討を求め、られた。懇談会は3回にわたる審議を行ない、その結果を下記の要旨でとりまとめ6月20日原子力委員会に提出した。

(1)原子力事業の従業員の業務上の負傷、疾病、死亡等に対しては、労働者災害補償制度による救済が与えられるが、その内容は、おおむね妥当である。ただし、遺伝等の特殊の影響については、現在のところその対象となりえないが、将来十分検討する必要がある。

(2)放射線疾病の認定については、弾力的な運用を行なうとともに、認定基準について常に十分な検討を加えてゆく必要がある。

(3)放射線障害をおこすおそれがある者については、その特異性にかんがみ、離職後の健康診断、職場転換等につき、経常的な日常の健康管理等の面で特別の配慮を行なう必要がある。

(4)労働者災害補償制度と原子力災害補償制度とは賠償の形態、実施方法等において、それぞれ相当異質なものであって、その補償の軽重に関し、同列において比較することは困難である。

2.原子力委員会は、この報告の趣旨に従って配慮することを決めまた委員長名で労働大臣あて、1の(3)の問題等につき、一そう配慮するよう要望書を送付した。

以下に報告書の全文を掲載する。

原子力事業従業員災害補償懇談会報告

昭和37年6月19日

原子力委員会

  委員長 三木武夫殿

原子力事業従業員災害補償懇談会

会長 我 妻  栄

 本懇談会は、昭和36年11月22日付をもって検討を求められた原子力事業従業員の災害補償問題について3回にわたる審議を重ね、その結論を得たので、次のとおり報告する。

 なお、将来原子力損害賠償に関する国際条約にわが国が加入しようとする際においては、この問題につきさらに検討を加えることが必要であると考えられる。

 原子力事業従業員災害補償懇談会構成員

東京大学名誉教授   我妻  栄

北海道大学法学部教授

  金沢 良雄
千葉大学医学部教授   筧  弘毅

東京大学法学部教授

  石井 照久
東京大学法学部助教授   星野 英一
一橋大学法学部教授   吾妻 光俊
放射線医学総合研究所障害基礎研究部長   江藤 秀雄

厚生省公衆衛生局長

  尾村 偉久

運輸省船員局長

  若狭 得治

労働省労働基準局長

  大島  靖

労働省労働衛生研究所職業病部長

  坂部 弘之

まえがき

 原子力の平和利用においては、いうまでもなく、安全性の確保が第1の要件であり、現行法令上「原子炉等規制法」、「放射線障害防止法」、「電離放射線障害防止規則」等の法体系により、原子力施設の内外における災害発生の防止のための万全の措置が採られている。しかしながら、不幸にして万一災害が発生した場合においては、被害者のための十分な救済措置を配慮しておくことが必要である。

 原子力事業の従業員が、業務に従事中、万一損害をこうむった場合には、被害者たる従業員は、「労働基準法」および「労働者災害補償保険法」に基づく労働者災害補償制度による補償を受ける。この労働者災害補償制度においては、負傷または疾病に対する療養補償、そのための休業に対する休業補償、後遺症に対する障害補償、死亡に対する遺族補償(および葬祭料)などの補償が法律上の権利として予定されており、かつ、これらの各種の形態の補償は、国営保険である労働者災害補償保険により担保されている。

 労働者災害補償制度は、いうまでもなく、原子力事業の従業員だけでなく、すべての業種の従業員について一般的に適用される制度であるが、常時放射線関係の業務に従事する原子力事業の従業員には、現行制度により適切な補償が確保されているかどうかを検討する必要がある。

 また、放射線障害の特異性にかんがみ、補償の面にとどまらず、健康管理等においても現行法令により適切な配慮がなされているかどうかを検討することも重要であると考えられる。

 このような趣旨に基づき、当懇談会は、昨年における原子力災害補償2法の制定を機として、原子力事業従業員の災害補償問題に関し、種々検討を行ない、おおむね、次のような結論を得た。

 第1 補償の問題

1.原子力事業の従業員が業務上負傷しまたは疾病にかかった場合における「労働基準法」および「労働者災害補償保険法」に基づく労働者災害補償制度による補償はほぼ妥当なものであると考えられる。現行労働者災害補償制度は、その補償の形態、補償の金額、補償の実施方法等について、それぞれ法律上画一的に規定しているが、それらの内容は、遺族補償を除いては、おおむね欧米諸国に劣らないようである。

2.従業員が特別の事由により、労働者災害補償制度が予定する金額をこえる損害を受けた場合には、民法上の請求により賠償を受けることができる。従業員が業務上受けた物的損害または精神的損害についても同様である。現在、企業の不法行為責任には実質的に無過失損害賠償責任の原則が適用されているので、それらの請求は容易であろう。しかしながら、実際には、現在のところ、そのような請求が行なわれた例はきわめて少ない。

 なお、労働者災害補償制度が予定する補償はいうまでもなく、いわば法律が要求する最低基準である。事業者において、これらをこえる補償措置を講ずることはもちろん可能である。

3.従業員が業務外において受けた損害に対してはいうまでもなく、原子力損害賠償法令に基づく原子力災害補償制度の適用がある。従業員の住居、家財等に対する物的損害、その家族に対する人的損害、これらに関する精神的損害などがその対策となろう。

4.個別的な補償の内訳について述べれば次のとおりである。

(イ) 医療措置

 原子力事業の従業員が業務上負傷しまたは疾病にかかった場合(再発の場合を含む。)には、完全に治ゆするまで、即時かつ容易に治療を受けまたは療養することができ、あるいは、それらにかえて、治療または療養のための費用の金額の支給を受けることができる。療養、治寮方法も制限的要素は少なく、いわば、完全補償が保証されている。各国ともこの面では完全補償が行なわれているようであるが、アメリカでは、未だ3分の1の州が療養の期間または金額のいずれかについて、限度を付している現状である。

(ロ) 稼得能力の喪失に対する補償

 従業員は、業務上の負傷または疾病の療養のために欠勤した場合には、その全期間につき平均賃金の6割程度(最初の3年間は毎日100分の60、以後は1年につき200日分)の休業補償を受けることができる。また、治ゆした後にも労働能力に対する恒久的障害が残る場合には、全部労働能力の喪失については年金(それぞれの程度に応じ244日分〜188日分)、1部労働能力喪失については一時金(それぞれの程度に応じ920日分〜50日分)の給付を受けることができる。これらの水準はおおむね諸外国のそれに匹敵しうるものである。

 特別の事由により、これらの法律上の予定額をこえる損失があれば、従業員は民法上の請求により賠償を受けることができることは前述のとおりである。

(ハ) 死亡に対する補償

 従業員が業務上死亡した場合には、通常、千日分の遺族補償と60日分の葬祭料が支払われる。法律上の予定額をこえる損失について民法上の請求が可能であること、しかしその実例はきわめて少ないことは、前述のとおりである。なお、諸外国では、扶養子女数等を勘案した年金による給付が行なわれる場合が多い。

(ニ) 物的損害および精神的損害に対する賠償

 従業員が業務上受けた物的損害および精神的損害に対して、労働者災害補償制度の適用はないが、これらについては民法上の賠償請求が可能であり、その際には実質的に無過失損害賠償責任の原則が適用されること、しかしながら、従業員がこのような請求を行なった例はきわめて少ないことは、すでに述べたとおりである。その理由は、従業員が業務上物的損害をこうむることは比較的少なく、また、以上の各種の補償には精神的損害に対する賠償も加味されていないわけではないからであろう。(また従業員の家屋、家財の損害は一般の被害者と同列の扱いを受けることも前述のとおりである。)

(ホ) 放射線に特有な効果として、寿命の短縮、遺伝的障害、胎児に対する悪影響などの点があげられているが、これらの発生率等については現在のところ確定的な結論が得られておらず、現在の段階では労災補償制度では入りきらない問題である。

 しかしながら、これらについても将来十分に検討を行ない、従業員の保護に欠けることがないよう配慮する必要があろう。

 第2 認定の問題

 放射線による疾病は、それが疾病として発生すれば、それに対する補償は、前述のようにおおむね妥当であるが、その補償を受けるためには、それが原子力事業における業務上の放射線被ばくによるものであることおよびそれが補償を受けるに足りる疾病であることについての認定を受ける必要がある。しかしながら、いわゆる放射線障害といわれるものは、とくにその発生原因が放射線被ばくに限られるものではなく、他の原因によっても発生しうるものであるため、放射線疾病としての認定はきわめて困難な問題である。したがって、放射線疾病の認定については、弾力的な運用を行なうとともに認定基準について常に十分な検討を加え、従業員の保護に欠けるところがないように対処することが必要であると考えられる。

(イ) 有害放射線による疾病の認定基準としては、現在「労働基準法施行規則第35条第4号の認定基準」があるが、これは昭和27年に定められたものであり、判定基準としてたとえば内臓機能障害があげられておらず、あるいは白血球の増大の場合もふれられていない等、この分野におけるその後の医学の進歩等にかんがみ再検討を要する点が出てきていると思われるので、早急により合理的なものに改める必要がある。

(ロ) 認定に困難が伴う場合、あるいは将来認定件数が増大してくるような場合には、認定のための補助機関を設置する等により、従業員のために迅速かつ合理的な救済を与えるよう配慮する必要があると考えられる。

(ハ) 現在「疾病」とされていない病気については、今後、十分な検討を加え、従業員の保護に欠けることのないよう配慮していく必要があろう。

 第3 健康管理の問題

 白血病、癌、貧血、白血球数の異常その他放射線による疾病には、その発現の態様がなお十分に解明されていないこと。疾病の範囲についても未だ不明確であること。潜伏期についても不明であること。さらにはその治療方法が確立されていない等の多くの特異性がみられる。したがって放射線障害をおこすおそれのある者についてはこれらの特異性にかんがみ、経常的な日常の建康管理等の面で他の業務における以上に特別の配慮を行なう必要がある。

(イ) 従業員が許容線量をこえて放射線の被ばくを受けないための措置、従業員の被ばく量の測定と記録、従業員の健康診断の回数等については、「電離放射線障害防止規則」等により措置されているが、従業員が離職した場合においても、記録の保存、健康診断の費用または施設等に関し、離職前と同一の健康管理上の措置を受けることができるように措置することが必要である。これらについては、たとえば、労働者災害補償保険法上の福祉施設として特殊の対策を考えることもできよう。

(ロ) 放射線による障害者およびその疑いのある者の職場転換については、現行法令に一応の規定はされているが、その運用方法については、それぞれの事業者において、職場の実態に即し具体的に定めておく必要があると考えられる。

(ハ) 障害発生の予防のための予防的または予後的な給付(たとえば栄養補給)その他の特殊の衛生管理は、現在の段階ではその効果が確定的なものとなっていないので、今後十分これについて研究を行なっていく必要があろう。

 第4 第3者災害補償制度との関係

 原子炉施設周辺の一般の住民が原子力損害をこうむった場合においては、「原子力損害の賠償に関する法律」および「原子力損害賠償契約に関する法律」に基づく原子力災害補償制度によって被害者に対する賠償が行なわれる。この制度によれば、原子力事業者は無過失損害賠償責任を課せられるとともに、一定の金額までの損害賠償措置を講じることを義務づけられる。

 これによって、被害者は賠償請求の場合の故意過失の立証という負担を免れ、また賠償が原子力事業者の現実の資力に限定される不安から解除される。

 労働者災害補償制度と原子力災害補償制度との二つの補償制度についてみると、前者は雇用契約関係にある者に対する補償制度であるのに対して後者は特別の契約関係のない一般の被害者に対する賠償制度であること、前者は平常的な産業災害を対象とするもので、賠償の形態、賠償の金額、賠償の実施方法等について具体的に法令で規定されているが、後者は万一の場合の災害に備えるものであるので、包括的に無過失賠償を規定するだけで人的損害、物的損害等の損害の類型についての賠償予定額または賠償実施方法についてなんら規定されていないというように、両者はそれぞれ相当異質なものであって補償の軽重に関し、これらを同列において比較することは不可能であるといわなければならない。