「科学報道の正確さ」について
三宅氏への反論

科学技術庁記者クラブ

 原子力委員会月報1961年12月号の巻頭に掲載された三宅晴輝氏(原子力委員会参与)の「不正確な科学記事」について、われわれ科学技術庁記者クラブとして、いささか納得しかねる点があるので、三宅氏の意見につき反論を述べたい。

 まず、同氏は冒頭に「放射性物質の降下問題で新聞が不正確な、あるいは誤った記事を書くことが問題になっている。」と述べているが、どの記事がいつ、どこでどのように問題になったのかについては、何ら事例を示していない。同氏は一般論として書いているようだが、この点について同氏に確かめたところ、「10月か11月の原子力委員会参与会で、学者の中から、放射性物質の降下問題で新聞は主観を交えて興味本位に書いているという話が出た。その学者の話も、具体的に問題となる記事をあげずに一般論としての話であった。」といっている。

 しかし、当方が念のため、同参与会に出席している原子力局の杠局長はじめ森崎局次長、村田調査課長にこの点を聞いてみたが、いずれも「原子力委員会の参与会でそのような科学記事について話題になった記憶はない。」といっている。

 次に、三宅氏は「科学記者を教育する風習が近来薄らいでいるようである」といわれているが、何を根拠にしていわれたかわからない。科学記者の教育については日本新聞協会が主催している34、5、6年の3年間にわたり新聞、放送、雑誌の科学記者24名を欧米各国に派遣して科学報道について勉強させている。さらに派遣記者を中心に米国の科学記者を交えて、全国の各新聞社から科学記者を集めて講習会を開くなど、積極的に教育を進めてきた。これもむずかしい科学記事を大衆にやさしく、正しく伝えるために行なわれたもので、新聞社は常に科学記事の正確な報道に努力してきた。

 たまたま三宅氏が問題にした放射性物質の影響については、学問的に未解決の分野が多く、核兵器保有国と非保有国、あるいは原子力行政当局と学者、さらには学者の間でも立場によってそれぞれ見解がまちまちであるのが現状である。

 したがってわが国でも、放射性物質の影響について研究している学者の間で、立場によってそれぞれ見解が異なっている。ある新聞が放射性降下物の問題でA学者から取材して記事を掲載したとすると、A学者と見解を異にするB学者がそれを読んだ場合、その記事は不正確だ、または誤っているということがあるかもしれない。このような現状において、たまたま原子力委員会参与会で学者の間から雑談として出たという話を取りあげ、政府の刊行物である原子力委員会月報に「不正確な科学記事」というテーマで書かれたことは、われわれ科学記者に対する建設的意見とはいえず、単なる中傷としか思えない。

 科学記事ばかりでなく新聞記事は正確でなければならないことは当然である。科学記事を正確に伝えるためには、たとえば学術論文をそのまま掲載することが一番いいわけだが、それでは読者にはむずかし過ぎてわからない。そこで科学記者は読者にわかるようにやさしく書き直すためいろいろ工夫する。このため専門家の中には「この記事は正確に報道されていない。」という人も出てくるだろう。まして三宅氏が指摘している放射性物質の降下問題について、科学記事の正確性となると、前述のとおりで、正確か不正確かを判断するものさしすら存在しないともいえる。

 科学記事の正確性を期すため努力しているわれわれは、今度のように抽象的に非難されたことに対して、いささか一方的との印象を受ける。 もし、科学記事の不正確について問題があるならば、抽象的でなく具体的に事例をあげて指摘して頂きたい。正しい科学報道をという重責を負っているわれわれは、取るべきものは大いに取り入れて社会への責任を果たしていきたいと念じているからである。