原子力損害の賠償に関する法律および原子力
損害賠償補償契約に関する法律、制定

1.災害補償制度の必要性

 原子力の開発利用を進めるにあたっては、原子炉等規制法により厳重な規制がなされており、万々一にも災害が発生することは、考えられないが、原子力が科学の最先端をゆくものであるだけに災害の起る可能性を理論的に全く否定するわけにはいかない。また、災害が万一発生した場合においては、被害が広範となる可能性も想定されるし、後発性という特殊な放射能障害をもたらす可能性もある。したがって、このような場合にも、十分に損害賠償の履行を可能にするような方策を講じ、施設付近の住民の安心感を強め、また、原子力関連企業が安んじて原子力事業に寄与しうるものとしない限り、原子力事業のこれ以上の進展は、望みえない段階にきていることは、付近住民、原子力事業からの要請、国際的取引の実情等からみても明らかである。国際的にみても、すでに、アメリカ、イギリス、西独、スイスをはじめ、各国において、原子力災害補償法制が整備され、あるいは、準備されており、また国際原子力機関等においても、条約案について検討されている。

2.本法制定の経緯

 わが国においては、原子力委員会において33年10月「原子力災害補償についての基本方針」を決定し、つづいて、この方針に従い、原子力災害補償専門部会が設置され、同専門部会において、34年12月次のような答申がなされた。すなわち、(1)原子力事業者は、その事業の経営によって生じた損害については、無過失責任を負うこと。(2)原子力事業を営むに当っては、一定金額までの供託をするか、または責任保険契約を締結する等の損害賠償措置を具備することを条件とすること。(3)損害賠償措置によってカバーしえない損害を生じた場合には、国家補償すること。(4)原子力損害が生じた場合には行政委員会を設けてその処理を行うこと。というものであった。この答申を受けて、原子力委員会は、関係各省との意見調整を行ない、35年3月「原子力損害補償制度の確立について」を決定した。その内容は、(1)原子力事業者は、原子力損害について無過失責任を負い、かつ、原子力損害についての責任は、原子力事業者に集中すること。(2)原子力事業者に1サイトあたり50億円までの損害賠償措置を強制すること。(3)損害賠償措置の金額について、責任保険がてん補しない損害をうめるため、国は原子力事業者と補償契約を締結すること。(4)損害賠償措置の金額をこえる損害が発生した場合には、国は、必要な援助を行なうこと。(5)相当規模の原子力損害が発生した場合には国会に報告し、政府の措置についてその承認を求めること。(6)原子力損害が生じた場合には、必要に応じて、特別の賠償処理機関を設置すること。というものであった。この決定の趣旨にそって「原子力損害の賠償に関する法律案」が作成され、4月27日閣議決定の後、5月2日国会に提出されたが審議未了のまま、継続審議となった。その後、原子力損害の賠償に関する法律案で、別に法律で定めることとされていた原子力損害賠償補償契約に関する事項について、原子力災害補償専門部会で審議され、また、関係各省とも意見調整が行なわれ「原子力損害賠償補償契約に関する法律案」として、先の原子力賠償に関する法律案と合わせて、36年2月28日閣議決定の後、翌3月1日国会に提出された。国会においては、衆議院では、科学技術振興対策特別委員会で、慎重な審議を行ない、5月18日付帯決議を付して可決し、同日本会議を通過し、参議院に送付され、6月2日商工委員会で同じく付帯決議を付して可決し、6月8日本会議を通過、成立した。

3.災害補償制度の主要な構成

 両法律の主要な構成は、次のとおりである。

 第1に、原子力事業者の損害賠償責任については、民法の特例として、無過失責任とし、不可抗力性の特に強い場合を除き、いかなる場合においても、賠償の請求を可能ならしめ、同時に原子力事業者に責任を集中したことである。

 第2に、損害賠償責任の履行を経済的に担保するため、原子力事業者に、損害賠償措置を強制したことである。損害賠償措置は、原則として、1事業所または1工場あたり50億円とし、責任保険契約および補償契約の締結、供託その他の措置をその内容としている。

 第3に、損害賠償措置の金額をこえる原子力損害については、国は、原子力事業者に必要な援助を行なうものとし、被害者保護と原子力事業の健全な発達に万全の配慮をしたことである。

 第4に、不可抗力性の特に強い損害で、原子力事業者の責任が免除されている場合について、国が、被災者の扶助および損害の拡大防止のための措置をするものとしたことである。

 第5に、原子力損害が発生した場合には必要に応じ、原子力損害賠償紛争審査会を設け、損害の調査、紛争処理を行なわせることとしたことである。

 さらに、相当規模の原子力損害が生じた場合には、政府は、国会に報告するとともに、原子力委員会の意見書をそのまま国会に提出することとし、損害の処理について国会の意思が十分反映されるよう措置していることである。

4.原子力損害の賠償に関する法律の内容

1.目的

 この法律の目的は、原子炉の運転、核燃料の加工、再処理、使用を行なうことによって万一、原子力による損害を第三者に与えた場合に、その損害の賠償に関する基本的制度を定めて、被害者の保護に遺憾なきを期するとともに原子力事業の健全な発達に寄与しようとするものである。

2.適用範囲

(1)原子炉の運転等

この法律は、原子炉の運転、加工であって政令で定めるもの、再処理であって政令で定めるもの、核燃料物質であって政令で定めるものおよびこれらに付随してする核燃料物質の運搬、貯蔵、廃棄について適用される。これは、核的災害により第三者に被害を与えるおそれがあるものについて適用する趣旨であり、政令の内容もそれに従ったものとなろう。アイソトープの加工あるいは使用、製錬事業は、そのような可能性が考えられないので除外している。

(2)原子力損害

原子力損害は、第三者に対し被害を与えるおそれのある核的災害による損害に限定されている。したがって、(1)核燃料物質の原子核分裂の過程の作用により生ずるもの、すなわち放射線または熱的もしくは機械的エネルギーによる損害(なお、核融合については現実に利用されていないので、一応除外しているが、今後、その研究開発が進めば、当然原子力損害に含めるよう所要の改正がなされよう)。(2)核燃料物質によって汚染されたもの(原子核分裂生成物を含む)の放射線の作用により生ずるもの、(3)核燃料物質または核燃料物質により汚染された物(原子核分裂生成物を含む)の毒性的作用により生ずるもの、たとえば、プルトニウムを摂取しまたは吸収することによって発生する中毒およびその続発症を原子力損害としている。ただし原子力事業者自身が受けた損害は、これを対象とする必要もないので除外し、また、その従業員の業務上受けた損害については、現在、労働者災害補償制度があるので、これとの関係も考慮しつつ、今後、必要な措置がとられることとなろう。

3.損害賠償責任

(1)無過失責任

 近代民法は、損害賠償責任について過失責任主義を原則としている。わが民法709条においてもそうである。過失責任の原則は、企業活動の自由を保証し、かつ、企業の採算を可能ならしめる。しかし、産業の発達は、不可避的な危険性を伴った企業を成立させ、ここに、過失責任の原則に対する批判をもたらすに至る。このような企業については、過失がなくても損害が発生する可能性があり、また、たとえ過失があったとしてもその挙証が著しく困難であることが多い。このような点に鑑み、すでに、自動車の運行(自動車損害賠償保障法)鉱業(鉱業法)について無過失責任が認められ、被害者の保護を図るに至っている。原子力については、まだ未知の領域があり、万々一災害が発生した場合に、被害者に対して、民法の一般原則により、原子力事業者の故意、過失または施設の瑕疵(民法第717条)を立証させ.ることは、被害者に困難を強要し、その保護に欠けることとなる。原子力損害に関する各国の法制においても、危険責任主義に基づいて無過失責任としているのが通例である。このような点を考慮して責任の性質について、民法の特例として無過失責任とし、被害者が故意過失の立証なくして、賠償請求を行なうことができることとした。ただし、異常に巨大な天災地変または社会的動乱によって生じた原子力損害については、原子力事業者を免責とした。異常に巨大な天災地変または社会的動乱とは、特に不可抗力性の強い場合をいうのであって、通常の大地震、たとえば関東大震災を相当程度上回るものとか、戦争、内乱をいう。

 なお、不法行為に関する民法の規定は、本法に別段の定ある場合のほか、そのまま適用される。因果関係、違法性、損害賠償の範囲、時効等は、民法の一般原則によるのである。

(2)責任の集中

 原子力事業者以外の者で、損害に原因を与えた者すべてに損害賠償責任を負わせることとすると、これらすべての関係者に損害賠償措置を講じさせなくてはならなくなり、技術的に複雑になるばかりでなく、資材等の供給の円滑化が期し難い。また、被害者としてもすべての者に請求を行なわなくてはならないので、被害者保護に欠けることにもなる。これらの理由によって、責任を原子力事業者に集中し、賠償制度の簡素化、資材等の供給の円滑化、被害者保護を図ったものである。諸外国においても、法律的に、または保険約款により実質的に責任の集中を行なっている。

 原子力事業者相互間における核燃料物質の運搬中発生した損害については、運搬を広い意味の役務の提供と考え、かつ、国際的商慣行を考慮して、受取人に責任を集中している。なお、原子力事業者が海外から核燃料を運搬し、または海外へ運搬する途中で損害を与えた場合における本法の適用については、わが領域内において損害を与えたときは、当然本法の対象となり、また外国の領域内で損害を与えたときは、損害発生地法によることとなり、適用はない。公海等で与えた場合についていずれの国の法規を適用するかは現在のところ国際私法の一般原則によることとなる。

(3)求償権の制限

 損害を賠償した原子力事業者は、その損害が一般第三者の故意または過失により生じたものであるときは、その者に対して求償権を有するものとしたが、資材等の供給者については、故意の場合に限り、認めている。ただしこれらは、いずれも強行規定ではなく、特約によって、別に定めることもできる。

 資材等の供給者について、特に、故意の場合に限定したのは、原子力関連産業当事者の不安を除去し、資材供給等の円滑化を確保するためであり、また、一般原則による求償権を認めるときは、これらサプライヤーもそれに備えて責任保険を締結しなければならなくなり、保険関係が複雑化するので、これをさけるためでもある。

 なお、この第5条の規定は、不法行為に関する求償権について制限を加えたものであって、売買契約等に基づく売主の瑕疵担保責任について何らの影響を与えるものではない。

4.損害賠償措置

(1)損害賠償措置

 原子力事業者の賠償履行を担保させるため、保険その他損害賠償措置を講じなければ原子炉の運転等をしてはならないこととした。無過失責任を負う原子力事業者は、自らの企業の危険を分散するため、責任保険その他の手段によって、保険料に転化しておくことが必要である。無過失責任の原則によって、一部崩された企業の計算可能性がかかる保険によって回復される。一方、被害者としては、損害が発生しても、事業者の資力がなければ、現実的に意味がない。損害賠償措置を講じておくことは、被害者にとっても事業者にとっても必要である。

 本法の損害賠償措置の内容について説明すると、第1に、1工場または1事業所あたりといういわゆるサイト主義をとっていることである。これは、1つの敷地に、原子力施設が数個あっても賠償措置は、1つでいいということである。

 第2に、損害賠償措置の態様としては、責任保険契約および補償契約の締結が典型的なものであるが、供託あるいはこれらに相当する措置、たとえば損害賠償措置の一部を供託、残りを責任保険(補償契約を含めて)で担保する措置でもいいこととしている。

 第3に、損害賠償措置の金額は、原則として50億円とし、小規模のものについては、これ以下の金額で政令で定める金額とした。損害賠償措置は、民営保険を中心としているが、現在わが国保険業界の適正消化能力は、ロンドンの保険市場を通じて再保険しても50億円程度であり、また、英国その他の例をみても一応50億円程度が、妥当な損害賠償措置の金額であるので、これを採ったものである。

 もし、原子力損害が発生し損害賠償措置をとりくずして賠償を履行したため、措置の金額が規定額未満となった場合であって、新しく原子炉の運転等を開始するようなときは、その金額を規定の額とするよう命ずることができることとしている。

(2)原子力損害賠償責任保険

 損害賠償措置として典型的なものは、責任保険および補償契約の組み合せである。責任保険については、わが国保険業界の引受能力は、7億5,000万円であり、残りについては、ロンドンの保険市場に再保険せざるをえない。その関係もあって、地産、噴火による損害、正常運転による損害、10年以後のいわゆる後発性損害については、てん補しないので、国が補償契約によっててん補することとしている。

 損害賠償が、確実に被害者になされることを確保するため、被害者は優先弁済を受ける権利を与え、かつ、事業者の保険金請求は、被害者に支払った限度または被害者の承諾があった限度に限るとともに、被害者以外の者の差押え等を禁止している。

(3)原子力損害賠償補償契約

 補償契約の役割は、責任保険のところで述べたとおりである。その内容については、「原子力の損害賠償補償契約に関する法律」に規定している。

 なお、被害者の優先弁済を受ける権利等については、責任保険の場合と同様である。

(4)供託

 供託は、金銭または確実な有価証券をもってし、被害者は、それに対して、弁済を受ける権利を有することとし、かつ、供託物の取りもどしを制限して、賠償履行を確保している。

5.国の措置

 賠償措置額をこえる損害が発生した場合には、政府は、被害者の保護を図り、原子力事業の健全な発達に資するというこの法律の目的を達成するため、必要があると認めるときは、国会の議決により政府に属させられた権限の範囲内において必要な援助を行なうものとし、1人の被害者も泣寝入りさせず、健全な経営を行なっている原子力事業者の経営を破たんにおちいらせないよう配慮している。したがって援助というのは、政府補償に比して幾分あいまいな感じがないでもないが、実質的には補償と変らないものといえる。

 国の措置については、アメリカでは、1事故あたり5億ドル(1800億円)、西ドイツでは、5億マルク(450億円)となっているが、英国では、損害賠償措置をこえる損害については、国会にその処理を委ねており、わが法律もこれと類似のものといえよう。

 援助の態様としては、原子力事業者に対する補助金の交付が典型的なものであるが、貸付、融資あっせん、利子補給等の形態もありえよう。

 また、異常に巨大な天災地変等によって原子力損害が生じた場合には、原子力事業者は免責となり、国の事業者に対する援助もなくなるが、政府は、被災者の援助および被害の拡大防止のため必要な措置をとることとしている。

6.原子力損害賠償紛争処理審査会

 原子力損害の特殊性にかんがみ、損害賠償の円滑かつ適切な処理を図るため、特別の紛争処理機関を設置することとしたが、原子力損害は発生の蓋然性も少ないので、常設とはせず、臨時的な機関としている。

 損害賠償については、第1次的には、原子力事業者と被害者との間でなされるが、その間でまとまらず、紛争が生じた場合には、審査会に和解の仲介を申立てることができるわけである。なお、審査会は、一審的機能をもつものではないので、裁判所に直接申立てることを妨げないが、原子力損害の特殊性からして、審査会が実質的には、利用されることが多いものと考えられる。

7.国会への報告等

 原子力損害が発生するときは、重大な国家的関心事であり、被害者への賠償その他損害の処理について国家的規模であたるものとして、政府は、すみやかに損害の状況および政府のとった措置を国会に報告するものとしている。また、原子力委員会が、専門的立場から損害の処理、損害の防止等に関する意見書を内閣総理大臣に提出したときは、そのまま、これを国会に提出するものとしているのも同様な趣旨である。

8.その他

 補償契約および国の援助については、その適用を昭和46年末までに原子炉の運転その他の行為を開始したものについて適用するものとしたが、これは、その間に、民間保険の改善、原子力利用の進展等が期待され、また国際条約等も成立するとみられるので、将来これを再検討しようとするものである。

5.原子力損害賠償契約に関する法律の内容

 先に述べたように、責任保険は、地震その他による損害をてん補しないので、これをうめるため、国は、原子力事業者と補償契約という一種の国営保険契約を締結することとしており、この法律は、その内容について定める技術的な法規である。

1.補償の範囲

 補償契約でてん補する損失は、責任保険でうめることができない原子力損害である。現在、責任保険約款上免責となっているものは、地震または噴火によって生じた原子力損害、正常運転によって生じた原子力損害、事故発生後10年経過後に被害者から賠償の請求が行なわれたもの等である。また、保険契約違反によって免責となるもの、たとえば告示通知義務違反、保険料未納もあるが、これらについては、今後、約款の内容、運用に検討を加え、それでも実質上「あな」となるおそれのあるものについて、政令で定める考えである。

2.補償の金額

 補償する金額は、原則として、賠償措置額までであるが、供託等の他の措置と組み合わされている場合には、それを控除した金額までということとしている。

損害賠償措置の金額をこえる損害は、国が援助するので、補償契約では、その金額までを担保するわけである。

3.てん補する期間

 てん補期間は、原子炉の運転等をやめる時までとし、核的危険がある限りてん補するものとしている。

その期間内に損害発生の原因となる行為があれば、後になっても、国は、補償することはいうまでもない。

4.補償料

 補償料は、1年あたり、補償損失の発生の見込み、国の事務取扱費等を勘案して、政令で定めることとしている。原子力損害については、まだ大数法則は確立していないので、補償料の決定は、かなり難しい問題であるが、諸外国の例を参考とし、関係専門家の意見も聞き保険料との関係も考慮しつつ、決定する考えである。

5.補償金の返還

 この法律では、被害者保護の見地から、国の免責を認めていないので、原子力事業者に重大な責に帰すべき事由がある場合には、一応、補償金は支払うが、事業者からその返還をさせるものとしている。すなわち保険契約違反のため保険から支払われず、国が代って支払った場合、通知義務に違反した場合、解除後の行為により損害を与えた場合については、事業者から返還させるものとしている。

6.補償契約の解除

 原子力事業者が、損害賠償措置を講じないで原子炉の運転等をしたとき、たとえば保険契約が解除されたときあるいは、補償料の納付を怠ったとき、通知義務に違反したとき、規制法の保安のために講ずべき措置を怠ったとき等には、補償契約を解除することができることとしているが、その効力は90日後に発生するものとし、被害者の保護に万全を期している。

7.過怠金

 原子力事業者が補償契約上の義務で軽微なものに違反した場合には、過怠金を徴収することができるものとしている。