放射性物質による海洋の研究

スクリップス海洋研究所留学報告


 本稿は昭和32年度原子力留学生として米国のスクリップス海洋研究所、カリフォルニア大学において放射性物質の利用による海洋の研究を行った海上保安庁水路部の堀定清氏の留学報告書の一部である。ただし同報告書の主要部分をなす研究論文2篇を省略したほか

部分的に表現を改めたところもあるが、同氏の御了承を得たい。

1.研究題目を中心とする技術情報(スクリップス海洋研究所における放射性物質の利用による海洋の研究)

(1)E. D. Goldburg とその共同研究者らは海底堆積物中のウランおよびトリウムについて化学分析の後α粒子の計測を行い、これからU288およびTh232を定量し、それらの量の堆積物中の深さによる変化から、堆積の速度および堆積物の年代を求める研究を行っており、現在までにかなりの結果が得られている。同研究室には近く100チャネルの波高分析器が購入される予定であり、これにより測定の精度と速度が向上するものと予想される。

(2)H. Craig は自然界における同位元素の存在比を測定するため目下マススペクトロメータを組立中である。同研究室へは近くノーベル賞受賞者のH. C. Urey がシカゴ大学から転任する予定である。

(3)H. E. Suess とG. Bienは年代測定のための反同時計数装置を設置し、C14のβ計測により自然界における種々の試料について年代を測定している。最近フィルターにより採集したスモッグの試料について測定し、その年代が非常に古いこと、すなわちスモッグが主としてガソリンの燃焼によるものであることを確めている。

(4)T.R.Folsomは鋼鉄と鉛によりシールドされた中に大型の結晶体(3"×3" あるいは4"×4")をシンチレータとして用いたγ線用のシンチレーションカウンタを設置し、これと256チャネルを持つ波高分析器を連結し、比較的多量の試料(10〜1,000g)を使用することにより、化学的処理を施すことなく、γ線の測定のみから海底土、海洋生物などについて天然あるいは人工の放射性物質の定量を行い、海洋の汚染状況についても研究を行っている。また原子炉や実験室からの放射性産業物を海底に投棄する場合の容器について、その材質、構造、強度等についての研究を行っている。さらにかれの共同者らは1956年ビキニ周辺において海水中の放射能を2,000mの深さまで測定し、その結果平均として1,000mの深さに顕著な汚染度の高い薄い水の層のあることを発見している。また最近は鉛でシールドされた水槽にK40を溶解し(既知量)、シンチレーションカウンタの水中における計数効率について実験研究すべく準備中である。

(5)D. L. Inmanは漂砂の研究のための追跡子として採集した天然の砂を原子炉中において放射化し、これをふたたび採集した地点に投入して、放射能の測定により砂の動きを追跡する実験を行っている。これは同質の追跡子を作るという点では非常にすぐれた方法であるが、放射化された成分とその混合率を推定し、減衰による補正を求める上にかなりの困難がともなうようである。

2.研究内容

 海洋(海水、生物、海底堆積物)は現在までの核兵器の実験によってすでに測定可能な程度にまで汚染されており、海洋における天然の放射性物質とともにこれら海洋の中の放射能の現段階における状態すなわちバックグラウンドを知ることは、将来放射性物質を追跡子として利用する研究あるいは放射性廃棄物を海洋に投棄することについての研究等にとって基本的な必要条件であるが、現在のところこれらに関する研究はきわめて少ない。これは海洋における放射能のバックグラウンドが人工放射能による汚染のためすでに非常に複雑な様相を示すものとなっているためである。この複雑な様相を明らかにするためには、空間的にも時間的にもかなりの範囲にわたる多数の試料が必要であり、またその多数の試料を迅速に分析する方法がなければならない。これらの試料は化学処理の後、各元素別に計測されるのが普通であるが、筆者はγ線スペクトロメータにより、化学分析等により試料を分解することなく、より迅速に分析する方法について研究を行った。シンチレータとしてNaIの大型の結晶(3"×3")を用い、これと256チャネルを持つパルスアナライザーとを連結することにより、1回の測定で各放射性元素から出るγ線のスペクトルが得られ、このスペクトルからおのおのの元素の量を計算することができる。この場合試料の大きさ、密度、γ線のエネルギーによって計測効率が変化するため、筆者はTracer Lab. Inc. のγ線標準試料とモナザイト.K2CO3、Zr95等を砂あるいは水に混合して作った模凝試料とを比較することにより計測効率を試料の大きさ、密度、エネルギーによって補正する係数を求めた。筆者はこの方法により東部太平洋において採取された深海堆積物とカリフォルニア南部の沿岸における浅海堆積物、海藻、プランクトン、魚の内臓等について測定を行い、深海堆積物については天然放射性物質であるK40、Ra、Thを定量し、人工放射能についてはこの測定の精度で検出しうるほどには汚染していないことを見出した。沿岸の試料については人工放射性物質であるCe141、Ce144−Pr144 、I131、 Ru103 、Ru106−Rh106、Zr95−Nb95、Ba140−La140等を検出した。これらの放射性物質の量は試料の種類により異なるが、浅海の堆積物についてその消長をしらべると降雨によって急増することが明らかである。次に筆者は同じ方法を海底堆積物の長いコアについて応用することにより、その中におけるK40、Ra、Thの堆積物中の深さによる変化を測定することを研 究した。現在多くの海洋観測から地質学者によって多数の長いコアが持ち帰られているが、これを化学分析によって分析し、海底堆積物中の放射性物質の水平、垂直の分布のための資料を得るにはきわめて時間がかかり、採集されたコア全部について測定することはむずかしい。筆者はγ線スペクトロメータによりコアをなんら破壊することなくかなり迅速に分析できることを示した。

3.感想
 米国における研究生活では研究設備、特に電子工学関係の機器が充実しており、非常に能率よく研究ができるため短い期間に多くの知識を得ることができ、この点で特に有益であった。諸外国がこのように各研究機関に最新の設備を備えてより多くの資料をより迅速に分析することにより急速な知識の収集をはかっていることを考えると、現在諸外国との間に存在する日本の科学の進歩の遅れは将来指数函数的に大きくなることは火を見るより明らかである。経済力に大きな差のあることは理解できるが、しかし経済力あるいは資源の不足を補うものが先進国の模倣ではなく、その国独自の科学の進歩によるしかないとすれば早急になんらかの対策がなければならないはずである。しかもこれはひとり科学者のみで解決できるものでなく国民全体の考え方が啓蒙されなければならない。
 一般に日本人留学生は優秀であると考えられているが、唯一の問題は会話の能力である。専門知識の吸収において討論はもちろん日常の会話が非常に大きな役割を果すことは当然であるが、日本人留学生の会話力は一般にきわめて拙劣である。これは従来の英語教育の欠陥によるもので、現在では相当に改められてはいるが在外研究員として渡米する年代の者にはすでにおそく、これらの人達が十分な会話の練習をするためには経済的に非常な犠牲を払わなければならない現状である。これに対してはスポンサーである機関においてなんらかの便宜のはかられることが切望される。