各省関係

放射能のIGYデータセンター


 国際地球観測年(IGY)における放射能部門のデータセンターとして日本とスウェーデンが指定され、日本では本年4月1日からその仕事を始めたので、その経緯、仕事の内容などについて気象庁観測部測候課長大田正次氏から紹介していただくこととした。

放射能のIGYデータセンター

1.経緯
 1955年3月オランダのIGY国内委員会は、世界の放射能の平常のレベルを決めるため、また平常値から飛びはなれた異常な値の検出を行うため、空気の放射能観測をIGY観測種目に採用することを提案した。オランダの委員会は熱核爆発から生じる放射性物質が人体に及ぼす害と、気象現象へ及ぼす影響とを調査することを目的として提案したのであった。 1955年10月に第3回IGY委員会がブラッセルで開かれ、このオランダの提案が検討されたが、IGY観測としてはこのような環境衛生を目的とした観測は適当でないという意見があって、新しい立場で案を作りなおすことになり、米国、インドおよびオランダの3国が原案を作ることとなった。この原案はさきのオランダの案と異なり、無害なアイソトープをトレーサーとして人為的に散布し、大気や海流の流れを研究するという画期的な案であった。研究の対象となったのは

(a)南半球と北半球との空気の水平方向の交換

(b)対流圏と成層圏との空気の垂直方向の交換、特にジェット気流付近の空気の垂直方向の混合

(c)成層圏内の空気の水平、垂直方向の交換

などであって、研究の具体的な方法としては、たとえばある放射性物質を含んだ水蒸気を大気中に散布して、その水蒸気が広がる状況を空気や雨の放射能測定から求めようというのである。この案はきわめて野心的な案であるが、方法と経費の点で実行困難であるということになり、さらに検討を進めることとなった。
 このころ米国や日本などですでに人工放射能の測定が行われており、それらの結果が大気や海流の流れの研究に大なり小なり役だつことがわかってきた。それで特に人為的にアイソトープを散布しなくても、今までに行われた核爆発実験による人工放射能の測定や自然放射能の測定だけからでも上にのべた(a)(b)(c)のいくぶんかは研究できるということがわかってきた。そのような理由のもとに1956年には米国、オランダ、スカンジナビア諸国、南米諸国などが放射能観測をIGY観測に採用すべきであるという意見を表明した。
 1956年10月にバロセロナで策4回のIGY委員会が開かれたが、この会議では今までの議論を整理し、放射能観測をIGY観測種目に採用すること、その目的は大規模な空気および海水の水平および垂直方向の動きの研究にあることを決め、さらに観測の対象としては空気、雨および落下塵のグロス放射能を測定すること、核種分析は高度の技術を要するが、なるべくその実施に努力することなどを決めた。
 このようにしてIGYにおける放射能観測の目的と方法が決ったのであるが、会議文書をみると必ずしも環境衛生的な面を無視したわけではないようで、このような測定をすれば平常のレベルを知ることができて環境衛生の面にも役にたつとしている。観測の対象や方法についてもそのような配慮がなされているとみることができる。
 さてこの決議を具体的に進めるために放射能の勧告委員会を設け、観測網の設定や、観測の方法の統一をはかることとなった。この委員会はオランダ、米国、英国、スウェーデン、ソ連、オーストラリアおよび日本で構成され、日本ではIGY国内委員会放射能分科会主査の川畑博士が委員となった。なお米国はワシントン気象局のMachta博士が委員である。
 1957年1月にオランダで第1回の上記の勧告委員会が開かれ、日本からは滞欧中の三宅博士が出席した。この会議で放射能の観測方法と報告形式が決められた。この会議にはまた国連の科学委員会から田島博士が出席され、科学委員会がそれまでに取りまとめた測定方法や測定結果が報告された。結果からみるとオランダの勧告委員会で決った測定の方法は国連科学委員会の要望する方法とほとんど同じである。ただIGY観測としてはグロス放射能の測定のみで役だつ場合もあるのでそれを採用し、核種分析はどこの国でも容易にできるものでないのでできるかぎり実現の努力をすることが要請されている。この会議で決ったその他のおもなことは、人工放射能による汚染のない時代のトリチウムのレベルを氷河の深い部分を採取して測定すること、将来の分析に備えて海水や雨のサンプルを貯蔵しておくことなどであった。
 1957年2月に東京でIGY西太平洋地域会議が開催された。この会議の放射能分科会では、測定方法についての二、三の追加案、西太平洋地域における観測網の整備、特にインド、オーストラリアおよびソ連の参加を要請すること、本地域に分析センターおよびデータセンターを設けることが決った。これらのうちインドおよびソ連の参加についてはまだ確定していない。また分析センターについてはその後まで具体的に進んでいない。データセンターの設置については、その後8月にニューヨークおよびトロントで第2回の勧告委員会が開かれた際に日本とスウェーデンが指定され、これはIGY委員会で承認された。なおその際に確認されたIGY放射能観測の参加国は27カ国で、観測所の数は落下放射能測定156点、空気放射能測定117点、上空放射能測定3点である。(別表参照)

IGY放射能観測の観測綱と種目

2. わが国の態勢
 さて以上のような経過で日本にデータセンターを置くことが決ったが、これに呼応して日本のIGY国内委員会は日本のデータセンターを気象庁内に置くこととし、所要の予算要求を行った。そしてその成立をまって1958年4月1日からデータセンターが気象庁内に開設されたのである。
 一般にIGYのデータセンターは、各国から送ってくる報告物を保管し、その目録を作って関係国や機関に配布し、データの閲覧の便をはかり、また要求があれば実費でコピーを用立てる義務をもっている。米国およびソ連にはIGYの全種目についてのデータセンターが設けられ、それぞれAセンター、Bセンターと呼ばれることとなった。特定の種目についてのセンターはCセンターと呼ばれ、日本は放射能のC2センター、スウェーデンは放射能のC1センターと呼ばれることになった。要するに放射能についてはセンターは4ヵ所あり、各参加国は原則としてこの4ヵ所にデータを報告する。したがって各センターには全参加国のデータが集まることになる。
 日本のC2センターはまだ開設早々であるが、すでにイタリアとチェコスロバキアからデータが報告されてきた。今後各国から続々と報告が集まってくる予定である。各国や各機関からデータのコピーを要求された場合にはマイクロフィルムにとって送る計画であるが、その場合の実費の徴収の手続方法については簡便な方法が研究されつつある。
 さてIGYの観測は本年12月で終了する。しかし放射能観測については、IGY期間終了後もなお国際協力を存続しようという意向もあるようである。データセンターの存続もそれに関連して決まるであろう。また国連科学委員会の今後の動きとも関連がある。これらの問題については近く開かれる放射能勧告委員会およびIGY委員会で検討されるものと予想している。