米国ブルックヘヴン原子力調査団の来日

 米国政府はアイゼンハウアー大統領が1953年12月に国連総会で声明した原子力平和利用に関する国際協力計画の一環として、昨年10月シンガポールで開かれたコロンボ・プラン諮問委員会において、アジア地域の利用に供するため実験用原子炉をふくむ原子力センターを設ける用意のあることを正式に発表したが、この構想を具体化するための手段として、去る4月米国務省国際協力局は、ブルックヘヴン国立研究所原子炉部長マーヴィン・フォックス博士を団長とする調査団一行を現地に派遣することを決定した。

 このブルックヘヴン原子力調査団は、コロンボ・プラン地域の視察をパキスタンから始め、その後インド、セイロン、ビルマ、タイ、インドネシア、インドシナ3国、フィリピン等を順次巡り、6月3日最後にわが国を訪れた。調査団の来日目的および一行の氏名は、次の外務省情報文化局発表記事資料に示すとおりである。

記 事 資 料

外務省情報文化局
昭和31年5月1日

米原子力調査団訪日について

 1955年10月、シンガポールで開催されたコロンボ計画閣僚会議で、米国際協力局長ジョン・B・ホリスター氏は、アジアの経済、社会的発展に原子力を利用する一段階としてアジア原子核研究センターの設置を提案するとともに、同センターに対し、米国政府がアジア諸国の学生の訓練資金、研究所設備およびこのような訓練のための用具を提供して、実質的な寄与を行う用意ある旨を申し出た。

 米国政府はこのアジア原子核研究センター設立計画を進めるにあたり、マニラに同研究センターが設立された後に、コロンボ計画諸国がその事業に参加できるよう、コロンボ計画諸国の科学指導者の見解を充分に取り入れ、かつ相互に同意できる方法を決定する上に必要な示唆を得るため、去る3月ブルックヘヴン国立研究所が選抜した調査団を関係アジア諸国に派遣することになった。

 同調査団は団長マーヴィン・フォックス博士以下、コロンボ計画諸国の経済開発に関連して原子力了の平和利用を研究中の10名からなり、3ヵ月にわたり、パキスタン、インド、セイロン、ネパール、ビルマ、タイ、インドネシア、マライ、ヴェトナム、ラオス、カンボディア、ホンコン、フィリピン、日本の14カ国を訪問する予定であり、4月初めに米国を出発した。日本には6月3日に到着、11日まで約1週間滞在するはずである。

 一行は指導的な日本の科学者や当局者と協議して、アジア原子核研究センターが日本ならびにアジア諸国の必要に最もよく奉仕できるような示唆を得ることを希望している。

 ブルックヘヴン調査団は帰国後米国政府に勧告を提出することになっているが、本年10月ニュージーランドのウエリントンで開かれるコロンボ計画会議で、この勧告にもとづいて細目提案が示されることが期待されている。

 なおブルックヘヴン国立研究所はイェール、ハーヴァード、プリンストン、マサチゥセッツ工科大学、コロンビア、ジョンズ・ホプキンズ、ペンシルヴァニア、コーネルおよびロチェスターなどアメリカの9大学が管理している原子力平和利用研究機関であり、ニューヨーク州、ロング・アイランドにある。

 ブルックヘヴン調査団長マーヴィン・フォックス博士はブルックヘヴン国立研究所の上級物理学者であり原子炉部長である。団員一行は次のとおりである。

  ヴィクター・P・ボンド博士(ブルックヘヴン国立研究所医学部医師)
  ジョン・F・ホガートン(ヴィトロ・コーポレイション・オブ・アメリカ社工学部計画支配人)
  ハロルド・H・スミス博士(ローネル大学植物品種改良部教授、ブルックヘヴン研究所生物学部招聘上級植物遺伝学者)
  ハロルド・B・トウケイ博士(ミシガン州立大学園芸学部長兼教授)
  エムリ・グォンデンボッシュ博士(ケンタッキー大学政治学部長兼教授)
  フレデリック・C・ヴォンダーラーゲ博士(オークリッジ国立研究所教育部長兼原子炉工学学校長)
  ソロモン・H・チャフキン(米国政府勤務経済学者)
  H・A・スミス(米国政府勤務経済学者)
  ラーフ・ストロム(原子力委員会職員)
  ウイリアム・アルヴァレツ(使節団事務担当者)

 一行は日本滞在中に次の諸点について示唆を得たいと希望している。

 a アジア原子核研究センターがはたすべき特定の目的。1
 b センターとコロンボ計画諸国の政府および機関との関係。
 c センターにおける研究および訓練にとって最も有益となるべき物理的な設備。
 d センター用技術器材およびこれを据え付ける順序。
 e センターの職員募集と運営。
 f センターの研究生選抜と訓棟。
 g センターを地域内諸国の最大の恩恵たらしめ、かつその援助を確保するのに必要な処置。

 ブルックヘヴン調査団滞日中のスケジュールについては、5月上旬米国大使館オルソン書記官から外務省へ申入れがあったので、外務省はただちに科学技術庁原子力局へ連絡し、その後原子力局は関係官庁のほか原子力研尭所および日本原子力産業会議と協議の上、同調査団の調査目的ができるだけ効果的に果されるよう官民各方面との接触が十分に行われるような日程を作成した。以下その日程にしたがって調査団の動向および会談概要を述べる。

第1日

 6月3日午後4時30分調査団は予定どおりマニラから飛来し、全員帝国ホテルに宿泊した。

第2日

 6月4日午前10暗から米側関係者は大使館に集合してブリーフィングを行ったのち、午後2時外務省2階会議室において開催された日米両国の公式会談にのぞんだ。会談の出席者は以下のごとくであり、外務省河崎国際協力局長が司会した。

国会関係
  前田 正男   衆議院議員
  松前 重義    同 上
  斎藤 憲三    同上、科学技術庁政務次官
原子力委員会
  石川 一郎   原子力委員会委員
  原子力研究所理事長
  藤岡 由夫   原子力委員会委員
科学技術庁
  佐々木義武   原子力局長
原子力研究所
  駒形 作次   副理事長
  久布自兼致   常任理事
  内田 俊一   理事、東京工業大学学長
  木村健二郎   同上、東大教授
  菊池 正士   参与、東大原子核研究所長
  杉本 朝雄   研究部長
  神原 豊三   主任研究員
日本学術会議
  茅  誠司   会長
  伏見 康治   原子力特別委員会委員長
学界専門家
  都築 正男   日赤中央病院長
  山崎 文男   科学研究所主任研究員
  嵯峨根遼吉   元東大教授
日本原子力産業会議
  菅 礼之助   会長
  大屋  敦   副会長
  橋本清之助   常任理事
  松根 宗一   同上
  安川第五郎   理事

 この公式会談においては、まず河崎局長が歓迎の挨拶を行ったのち米側マイヤー公使から両国民の協力を希望するむねの発言があり、次いでフォックス団長から調査団一行の紹介が行われ、続いて河崎局長から日本側出席者の紹介があった。その後再度フォックス団長がたって、調査団一行が今回日本を訪れた目的につきかなり詳細な説明を行った。その要旨は次のごとくである。

 「われわれ調査団一行は正式な米国政府代表ではなく、国務省から現地調査を委嘱された専門家チーム(Scientific team)である。われわれは今回の調査旅行で米国の提案したアジア原子力センターに対する各国の意見を聴取するとともに、各国がどういう形で参加できるかを聞きたいと考えている。そしていかにすればセンターが各国にとり最も役に立つようにできるかに関し米政府に勧告を行いその結果米国の具体的な提案がつくられ、11月のコロンボ・プラン会議で正式に発表されることになるものと予想している。その際の案は十分各国に受け入れられると思われるので、その後間もなく実行委員会が設けられ、遅くも1年後にはセンターが発足するようになるものと期待している。

 周知のとおりコロンボ・プラン諸国の科学的知識、能力には国により大きな差がみられ日本はその一方の端にあるといえる。したがってセンターがすべての諸国の目的に役立つためには、あらゆる国々の実情に応じた教育訓練を第一に行うことが必要である。この教育は幅の広い分野にわたるものであり、一方は原子力関係の一般技術者の教育から放射線障害防止、アイソトープ利用、原子炉技術、さらにはもっと高級な教育者をもふくむものとなろう。一部の教育訓練はセンターの建物設備が完成する以前から、フィリピン大学の教室を借りて行う考えももっている。

 原子力センターにどのような施設をつくるかについては最終的にはまだ決定していない。その建設は明年早々に始めたいが、実際に動き出すまでに数年はかかるものと思われる。センターに必要な基本的な施設としてわれわれが目下考慮しているのは

1.高級な実験用原子炉(CP-5ていどのもの)

2.小型発電試験炉(出力5,000kWていど、電力を常時供給するためのものではなく、技術者の教育養成と経験を与える目的のもの)

3. アイソトープ利用医療設備(収容力50~100名ていどの病院を設け、癌治療その他熱帯病の治療を行う)

4.アイソトープ利用農業設備(温度、湿度、光の自動調整装置のある特別密閉室をふくむ)

 センター設立の資金については、その建設に2,000万ドル前後が必要であり、毎年の運営費は数百万ドルていどに達するであろう。

 米国はセンターに必要な Physical facilitiesの資金を出すだけでなく、当初5年間の運営資金をも供与するよう勧告する考えである。しかしこの5年の間に、コロンボ・プラン諸国がみすからセンター運営資金を分担するようになることを希望する。5年後になれば米国だけが必要な資金を出すのでなく、コロンボ・プラン加盟国のなかの一員としての資金を分担するようになることを期待している。

 次に組織についていえば、センターを新設するのに最も大切な問題は立派な陣容をそろえることと、しっかりした組織をつくり上げることである。初期の間は米国側からスタッフも教育者も提供しなければならぬと考えるが、これは何もセンターをアメリカ色で塗りつぶす考えからではなく、実際に必要な人員をどこから集めるかとなれば、どうしても当初の間米国から出さねばすまなくなるだろうと思うからである。同時にわれわれは、日本がこの分野で一番大きく貢献できるのではないかと期待しており、日本からの協力を希望している。それは各国の実情からみて、このセンターにスタッフを供給できるのは日本とインド以外にないとみているからである。ここでわれわれはセンターの設立について各国とディスカッションする場合に提出した計画のアウトラインを配付するから、日本側がこれを研究した上で何らかの意見を出して貰えれば幸いである。なぜならば各国の忌憚のない意見をきかなければ、センターを各国の要望に最も適合するものにできないと考えるからである。」

コロンボ・プラン調査団に対する討論題目

一 般 事 項

1.センターが果すべき目的

2.センターと関係諸国の政府および研究機関との関係

 a、現在の研究、教育機関とそれぞれの政府との関係
 b、これら研究機関の管理

3.職員および管理

 a、センターの機構についての構想、特に
  1. コロンボ・プラン地域機構のメンバーである各国の機構を一定の形式としたい。
  2.地域機構を政府機関、民間機関、あるいはその中間的性格のもののいずれにするか。
  3.会議、管理機関、所長あるいは事務総長等の一般的国際機関の慣例に做いたい。
  4.参加国数およびその拠金の差に鑑み、管理会議等の代表権に差異をつけるか。
  5.各機関の権限
  6.所長の権限
 b、拠金制度
  1.管理に弾力性を持たとせるための拠金額(給与方式の統一)
 c、優秀な管理、専門職員提供の可能性
 d、外国の援助、あるいは外国と関係を持っている現在の研究機関の組織

4.要員ならびにその選考訓練方法

 a、センター参加国の給与方式の比較
 b、他のコロンボ・プラン各国の科学者との共同研究作業に対する関心
 c、コロンボ・プラン各国からの優秀な教授陣の提供の可能性
 d、教育および調査における米国科学者の現在の協力範囲

5.センター運営のためのコロンボ・プラン各国の財政寄与の可能性

6.地域内各国でセンターを最大限に利用するために必要な方法

 a、センター運営にあたってコロンボ・プラン各国間に関与のていどに差異を設けるか
 b、政府職員、科学者、教育家、事業家などの原子科学に対する関心
 c、参加国がセンターで教育を受けた人達をその国で利用する計画

特 殊 事 項

7.原子科学技術および応用分野開発のための訓練および設備の現状ならびに可能性

8.特に関心を寄せている調査ならびに技術的医学的処理方法

 a、次の各分野における重要問題解決にあたってのアイソトープまたは照射利用の価値.
    基 礎 科 学
    農     業
    工     業
    医     学
 b、現在の各国の研究計画をセンターに対して適用し得る範囲

9.センターで与えられるべき教育のていどおよび範囲

10.施 設

 a、センターにおける教育施設(図書館を含む)に関する各地域の関心 たとえば留学生派遣に対する関心(人数、分野)
 b、計算器および事務用器具のごときものたとえば極東で入手できる技術および維持設備
 c、生活施設(住宅、リクリェーション、簡易食堂、交通機関)

11.技術的設備ならびにその設置の順序

12.センターが提供しうる研究ならびに応用の特殊分野に対する関心

 たとえば
  動力
  移動用動力
  放射線
    1.食料処理
    2.治療および診断
    3.プラスチックへの応用
    4.放射線化学
  実験ならびに応用のための原子炉
    1. アイソトープ
    2.トレーサー(地質学を含む基礎科学用)
    3.突然変異
    4.固体物理および化学(回析、拡散、化学反応)

 上記のフォックス団長の説明につづき、日本側から石川原子力委員会委員が代表して、わが国の原子力開発事情の概要についての説明が行われた。

 第1回の公式会談が行われた6月4日の午後4時、調査団一行は総理大臣官邸に正力原子力委員長を正式に訪問した。この際委員長は戦中戦後のわが国原子力分野における研究実施状況と、世界唯一の原爆被災国である日本国民の最近にいたるまでの原子力に対する感情、さらに昨年以来の急速な原子力平和利用への積極的意欲の発現等について述べた。これに対しフォックス団長は、日本が原子力に関して不幸な出発をしたことは残念であるが、それを幸福な結果へ至らしめようというのがわれわれの任務であると述べ、さらにヒントン卿その他の人々がこれまで役に立ったように、調査団一行が滞日中何らかの意味で役に立つようなことができれば幸いであると答えるとともに、アジア原子力センターの構想についての概略説明を行って正式会見を終った。

 調査団一行は正力委員長との会談後、日本側新聞記者団との会見を行い、その後5時30分から官邸大食堂で催された歓迎カクテル・パーティーに臨んだ。

第3日

 6月5日午前9時15分フォックス団長以下一行10名は上野の日本学術会議を訪れ、わが国の原子力各分野の専門科学者と非公式会談を行った。この会談の学術会議側出席者は以下のとおりである。(○印原子力特別委員会委員)

学術会議との懇談会出席者氏名

日本学術会議会長 茅   誠 司
第4部関係   ○ 渡 辺 武 男
千 谷 利 三
武 田 栄 一
三 宅 静 夫
第5部関係
山 田 太三郎
(代理竹腰)

矢 木   栄

橋 口 隆 吉
加 藤 正 夫
篠 田 軍 治
第6部関係

三 井 進 午

盛 永 俊太郎
(育種学研連委)
村 地 孝 一
松 尾 孝 嶺
西 垣   晋
森   高次郎
(東大農学部教授)
第7部関係

樋 口 助 弘

宮 川   正
山 下 久 雄
吉 川 春 寿
江 藤 秀 雄
原子力特別委員会委員長、幹事
伏 見 康 治
山 崎 文 男
斎 藤 信 房
原子核特別委員会委員長 朝 永 振一郎
原子力問題委員会前幹事 小 椋 広 勝
(3部会員)
第3部副部長 都 留 重 人
東大(経)教授 脇 村 義太郎
東大(農)教授 檜 山 義 夫

 学術会議との非公式会談においては、まず茅会長の挨拶、藤岡委員の日本側出席者紹介、フォックス団長の団員紹介および挨拶が行われたのち、日本側各分野の代表者からそれぞれ関係部門のわが国における開発実情についての概略説明が行われた。すなわち、原子核物理部門については朝永振一郎教授、化学部門は斎藤信房教授、冶金部門は橋口隆吉教授、アイソトープの工業利用については加藤正夫助教授、同じく農業利用については三井進年教授、医学利用については山下久雄助教授からそれぞれ専門的説明が行われた。

 これら日本側の説明に対し米国側もまた各分野の専門家がたって、上記に対する質問および見解が述べられた。すなわち、ボンド博士からは医学関係の計画について、トウケイ博士からはアイソトープの農業利用分野について、スミス博士からは同じくアイソトープ利用による生物学的改良について、ホガートン団員からは発電試験炉の設置計画と放射線の工学応用について、ヴォンダーラーゲ団員からはセンターにおける教育訓練計画について、またシャフキン、スミス両団員からはセンターの機構組織についての考え方がそれぞれ表明された。

 以上の会談に引き続き、11時30分から国会議員と調査団との非公式会談が同じく学術会議事務局で行われた。この会談には国会原子力合同委員会側から、中曽根、前田、有田、斎藤、海野の各議員が出席し、中曽根議員から調査団に対し、とくに原子力センター建設に際して米国はアジア諸国の意志と感情を尊重されたいむねの要望が述べられた。

 6月5日の午後は東京附近の原子力関連諸施設の視察にあてられた。視察は次のごとく5班に分けて行われた。

 第1班一東大原子核研究所および電気試験所(ヴォンダーラーゲ、ストローム、プレストン)
 第2班一農業技術研究所(トウケイ、スミス、ヘンデリックス、ヴァンデンボッシュ)
 第3班一東大アイソトープ研究室および癌研究所(ボンド)
 第4班一昭和電工川崎工場(フォックス)
 第5班一東芝川崎工場および鶴見工場(ホガートン)

 なお同日午後5時30分から調査団一行は日本原子力産業会議、原子力研究所共催のレセプションに臨んだ。

第4日

 当初日程によれば、第4日の6月6日午前の予定は自由行動とされていたが、とくに正力原子力委員会委員長の要望にもとづき、午前10時から総理大臣官邸においてフォックス団長、・ホガートン団員と正力委員長他関係者との第2次非公式会談が行われた。この日の会談題目は、さきに来日した英原子力公社理事クリストファー・ヒントン卿が示唆した天然ウラン・黒鉛・ガス冷却方式による発電コスト見積りを中心として、両団員の意見を聴取することに重点がおかれた。この日フォックス、ホガートン両氏が述べた見解を要約すれば以下のごとくである。

英国原子力発電に関するヒントン卿との会談内客に対する見解

 フォックスならびにホガートンは、「この討論議題は今回の来日の主目的とは離れていること。ヒントンとは立場が異なり責任ある見解は述べられないこと。資料を持ち合せていないので記憶にもとづく発言にとどまる。」等の前置きをもって、次のごとき発言を行った。

① 米国においては政府、民間を通じて数多くの型の炉を研究しているが、英国型の原子炉については一つも研究していない。これは長期的にみた場合、英国型のものには期待をかけていないからである。

 英国は数年来、天然ウラン・黒鉛・ガス冷却型のものを集中的に研究し、エネルギー需給上の必要性から今後新しい型(Breeder type)に移るまでの間はこの型で開発を続けるという長期計画をきめてかかっている。

② ヒントンの言っている建設費については疑問は持たぬが、発電コストについては了解に苦しむ。米国の現在の火力発電所の建設費はkW当り170ドルでその発電原価は、7ミル/kWhである。(内燃料費が半分の3.5ミルていどある)一方英国の原子力発電所の建設費は150ポンド/kW=420ドル/kWとすれば資本費は相当高くなるはずであり燃料の燃焼率を3,000MWD/Tとすれば燃料費は3~4ミルと考えられるから発電原価が0.6ペンス/kWh≒7ミル/kWhであるとは了解に苦しむ。原価計算の方法に何かぬけている点があるのではないか。

③ 炉材料の黒鉛の放射能によるdamage の問題はブルックヘヴン研究所においても問題とされており、まだ解明されていないが、これは英国型原子炉の大きな問題点の一つである。

④ 保険の問題も原子力関係では大きな問題である。

⑤ 天然ウランの日本への供給についてヒントンはなんと言っていたか、米国では天然ウランに関しては両国間の全般協定がなくても供給可能と考えている。値段は40ドル/gr

⑥ 米国は先きにU235 2万kgを海外に供給する用意がある旨発表したが、原子燃料を提供する国際約束はこれが最初である。天然ウランについても今後そうなるだろう。

⑦ 原子炉、原子燃料の輸入にともなう附帯条件について、米国でも発電用に製造されるものについては軍事上の機密はないと思う。ただfuel elementの製造の細部については一部秘密があるが、この点については英国でも同様であろう。(ジュネーヴ会議においてはヒントンもこの点に関しては言明を避けていた。)英国は使用済燃料のプルトニウムの返還を要求しないか。

⑧ 日本で原子力開発を進める場合は長期にわたる明確な計画にもとづいてなされなければならない。この場合原子炉の関連部門(燃料の製造、廃棄物の処理等)を全部日本で実施するか外国に依存するかの問題を決めねばならない。その前提としては日本の電力需給の目標がベースになり、また原子力に投ずる資金計画を考慮すべきである。

⑨ ウランの分離濃縮には厖大な電力が必要であるが、全体の電力需給の規模を総合勘案してどのていどの濃縮度が成立し得るか研究する余地がある。

⑩ アメリカでは官民を通じて各種の型の原子炉を研究しているがこれ等の成果は1961年ごろまでには明らかになる。将来いかなる型が最適であるかについての決定は電力需給上の問題さえなければその時期まで待つのがよいと考える。(1961年までには5種類の型が運転される予定)

⑪ 電力需給上必要であるならば今すぐにでも大規模原子力発電所にとりかかることもできないこともないが、目下のコストは10~20ミルである。なおこの場合はデモンストレイションリアクターの段階を踏む必要はない。

⑫ 1961年になっても判然としないのは fuel CyCleの問題である。

⑬ イギリスは統制的な研究方向に向っているが、米国は商業的ベースで研究が進められているので、近い内に商業的ベースに乗った価格が判然としてくるであろう。

 なおこの非公式会談における日本側出席者は次のとおりである。

 正力委員長、石川、藤岡両委員、嵯峨根参与(原子力局)佐々木、法貴、藤浪、村田、田中(産業会議)菅、大屋、松根、橋本、小林、柴田(原子力研究所)安川、駒形、阿部

 6月6日午後2時からは、工業クラブにおいて日本原子力産業会議主催の一般講演会が開かれ、次の講演が行われJた。

 1.「原子力の平和利用について」  マーヴィン・フォックス博士
 2.「アイソトープの利用について」

 (工業関係)マーヴィン・フォックス博士
 (農業関係)ハロルド・B・トウケイ博士
 (医学関係)ヴィクター・P・ボンド博士

 なお同日午後4時から外務省において、フォックス団長と国会議員との第2次非公式会談が行われた。

第5日

 6月7日には工業クラブにおいて、午前は原子力研究所主催のゼミナールが、また午後は日本原子力産業会議主催のゼミナールが行われた。調査団側から午前のゼミナールにはフォックス団長ほかボンド、ホガートン、ヴォンダーラーゲ各団員が出席し、午後のゼミナールには「原子動力、法制、経済関係」にフォックス団長およびホガートン氏、「アイソトープ関係」にトウケイ、スミス、ボンド、ヴォンダーラーゲの各団員が出席した。

 同日午後5時30分、調査団一行は、米大使館側からオルソン、フォンシュワリンゲン両書記官、西山通訳を加え、空路大阪へ向った。

第6日

 6月8日午前、調査団は2班に分れ大阪附近の関連工場を視察した。すなわちフォックス、ホガートン等の第1班は住友金属鋼管製造所および住友電工大阪製造所を視察し、ヴォンダーラーゲ、ヴァンデンボッシュ、ストローム、アルヴァレッ等の他の第2班は三菱電機伊丹製作所を視察した。

 同日午後は、中央電気クラブにおいて日本原子力産業会議主催の一般講演会が開かれ、次の題目による講演が行われた。

  1.「原子力の平和利用について」  フォックス博士
  2.「原子力の工業開発について」  ホガートン氏

 なお他の1班は、大阪大学を訪れ、総長ほか各学部の教授と非公式に意見交換を行った。

第7日

 6月9日午前11時調査団一行は京都大学を訪れ、まず蹴上のサイクロトロンを視察したのち総長代理を訪問、湯川記念館に赴き湯川館長ほか関係学部教授との間に非公式会談を行った。この会談においてフォックス団長は、アジア原子力センター建設案について、公式会談の際よりやや詳細な構想を表明したが、その要点は次のごとくである。

(1)センターには最初に中性子線束密度1013~1014ていどの実験用原子炉1基を建設しこれは原子炉訓練、アイソトープ生産、各種基礎研究用にあてる。

(2)各国とも原子力発電に興味をもっているので、デモンストレーションを目的とする小型発電炉1基をおく。その出力はだいたい5,000kW。連続的電力生産を行うのではなく技術者の訓練を主体とするので、Startしたり Stopしたりする。

 engineering experience の開発にも利用する。

(3)以上の原子炉2基に附属した設備を完備する。

(4)各国で医学部門における原子力利用の関心が深かったので、収容力100名ていどの病院を設け、治療と訓練とを並行的に行う。

(5)農業関係のおもな設備としては密閉室を設けてアイソトープ利用の研究ができるようにする。

(6)訓練部門においては当初の間実用的訓練に主力をおきたい。ここで実用的訓練とは放射線障害防御のための訓練とか、研究者の助手クラスの訓練をさす。

(7)次にできるだけ早く研究部門の開発へ入って行くこととしたい。

(8)センターの重大な要件は十分な人員を集めることであり、この面で日本の専門家の協力を希望する。

(9)センターを権威あるものとするため、あらゆる可能な手段を尽して米国からもできるだけの人員を供出する。

(10)センターの規模については、研究施設のほか厚生施設や娯楽施設をふくめだいたい2,000万ドルの資金を投入する考えである。

(11)センターが完全に建設されるまでには5年を要すると思われるが、そのあかつきには所要人員が1,000名ていどとなるだろう。そのうち25%ていどは訓練生を予定している。

(12)敷地はマニラ大学に隣接する地域を予定しており、環境風光がよい。

 フォックス団長の説明があったのち、出席した教授、助教授から種々の質問が行われたが、その主なものは次のごとくである。

(1)センターの原子炉はいつ建設されるか。

 答、実験用原子炉は来年早々建設にとりかかれば1958年には完成しよう。発電試験炉の方は1年ぐらい遅れて着手する考えである。粒子加速装置は差当り設けず、その建設は後の段階になろう。

(2)センターの建設目的のなかに燃料の生産とか重水の製造に関する研究まで入るか。

 答、各国とも燃料についての関心が深いので、探鉱、製錬等についての仕事も漸次進めてゆきたい。機器の取扱や鉱石処理に関する技術についてそれぞれの国に適したやり方を研究し、できれば pilot plant もつくりたい。

(3)コロンボ・プラン諸国のなかには米国と原子力協定を結んでいない国があるが、それらの諸国のセンター利用についてはどうなるか。

 答、この原子力センターは、米国と各国との個々の協定とは全然関係がない。

(4)現在動力炉は協定が結ばれないと輸出できないはずであるが、センターに建設する場合の協定はどこの国との間で結ぶことになるか。

 答、このセンターは、コロンボ・プラン諸国との協力のためのregional organizationとする目途をもって提案されたのであるから、他の動力協定とは無関係になる。

 しかし組織の面において各国との了解のもとに何らかの受入機関をつくることになるだろうが、もしそうした受入機関に関連して立法措置が必要ならば、米国政府としてそのような措置を講ずる考えである。いずれにしてもセンターは2国間の双務協定とは無関係である。

(5)2国間の動力協定には機密条項があると聞くが、センターに設ける動力炉に機密はないのか。

 答、センターは完全に機密でない資料によって建設されるわけであり、全部公開できる。

(6)日本が近く米国から輸入する実験用原子炉の場合には、燃料に一切手がつけられないことになっているが、センターの場合その面についてはどうなるか。

 答、センターにおいては燃料の取扱も自由に行われるようにもっていきたいと念願している。もしそのため立法措置が必要ならば、そのような勧告を行うこととなろう。

 同日午後は島津製作所の案内で桂離宮および西芳寺を見物したのち、島津製作所三条工場を視察した。

第8日

 6月10日は自由行動とした。

第9日

 6月11日午前10時、外務省会議室にブルックヘヴン調査団全員と米大使館オルソン書記官、日本側石川、藤岡両原子力委員会委員ほか関係者が参集し、最終的な公式会談を行った。席上外務省河崎局長の挨拶があったのち、日本側から下記のごとき「米原子力調査団の質項事項に対する回答」が提出され、藤岡委員から各項目についての概略説明があった。