日本原子力研究所敷地予定地の視察

 日本原子力研究所の敷地は、財団法人原子力研究所にぉいても、またその結論の報告を受けた政府においても慎重に検討を重ねたため選定までにやや日数がかかったが、いよいよ茨城県那珂郡東海村に決り正力国務大臣以下関係者による現地視察が行われた。

 大臣に同行した人々は、

大臣室 水野谷・柴田各秘書官

原子力委員会 石川・藤岡・有沢各委員、三島・岡野各参与

国会 斉藤・大久保・橋本・加藤・塚原・大高・北沢・宮田・武藤各代議士

原子力産業会議 菅会長、久留島同和鉱業社長、高杉三菱電機社長、高井東京電力社長、堀越経団連常任理事、松根電気事業連合会専務理事、嵯峨根氏、仲矢事務局次長、宇佐美渉外室長、石井会長秘書

林野庁 恩田部長、鳥生課長

原子力局 佐々木局長、堀課長、山崎事務官

原子力研究所 駒形副理事長、川上・越村各課長、能美所員

の諸氏と首相官邸原子力記者クラブ所属主要各紙の記者及び写真班で、4月19日の朝9時過ぎ上野駅に集った。予定の列車は、9時50分発常盤線急行“みちのく”で、特に多数の名士が乗車されるとあって特2を1輌増結してリザーブした。

 写真班の大騒ぎが終るとともに上野駅を後にした列車は所要時間1時間46分で水戸に着いたが、車中で茨城県と原子力研究所の両方から参考資料が一同に配られた。今日の予定、参加者の氏名、現地の地図や説明等であるが、その中に原子力研究所施設協力体制一覧というのがあり、これによると県には知事を本部長とする茨城県原子力研究施設協力本部というものが設けられている。本部のもとに、水戸、日立、勝田、那珂湊の各市原研施設建設協力会があり、東海村には原研施設設置対策本部ができている。原子力研究所の建設に対して地元がいかに熱意をもっているかが窺える。わが国の原子力開発が始まった2年余り前には研究所の敷地決定には地元の反対を受けはしないかとひそかに心配していたことを考えると、まさに隔世の感がある。

 水戸へ着くと、駅頭には地元代議士、県知事_始め有力者が出迎えており、主客及び地元新聞社が30台近くの自動車をつらねて大洗ゴルフ場−に向った。ゴルフ場は海浜の松林を友未知事が開拓されたそうで、全面積26万坪、7200,6650,6000ヤードの3コースがあり、そのグリーンの芝は知事御自慢のもののようである。一隅にクラブハウスがあり、ここで一同中食の弁当をとった。

 食後小憩の後、自動車を連ねて敷地予定地に向ったが、鋪装してない道路を、30台近くの自動車が走るので、その巻起す砂埃のもうもうたる様は誠に凄じく、沿道の農家では何事が起ったのかと門口まで飛出して見守る人が多かった。途中駐留米軍第3空軍基地水戸射撃場に立寄って、爆撃機が頭上をかすめる場内の一角を自動車で廻った後国立療養所村松晴嵐荘の前、更に大神宮大満虚空蔵の前を通って、敷地予定地の入口に着き、ここで用意されたジープに乗り換え展望台に向った。

 敷地予定地は水戸市の東北約15kmにあって、太平洋に直面する東西の幅300ないし1000m、南北約5kmの砂丘で、その面積は国有、県有、民有を合せて100万坪余である。海岸から数十メートルは砂浜、その西側数百メートルは10ないし20年生の松が造林されている緩傾斜の試験林で、更にその西側は落差5ないし30mの海岸段丘となっており広いところでは700mに亘って50ないし150年の老松が聳えている。展望台はこの海岸段丘が突出したところにしつらえられたもので、ここに立つと試験林から海岸の様子が一望に見られる。

 展望台に集った地元東海村の老若男女200名余りの歓迎に応えて正力大臣の挨拶のあった後、一同は再びジープを駆って敷地の西に隣接する阿漕浦に向った。阿漕浦は面積約2万坪、水深最高6m、貯水量約17万トンで、流入流出口ともになく、地下水面が凹地に現れたものである。茨城県出身の岡野参与の話によると、この他は昔からたたりがあると言われ禁を犯して泳いだ者は溺死したが、それは水温が低いためで原子炉の冷却水としてはまさにおあつらえむきであるということである。

 阿漕浦の視察を終って陸前浜街道から年平均流量24t/Sの久慈川を眺め、更に同街道を逆行して水戸に戻った。水戸では県立図書館で視察団と地元との懇談会が開かれ、知事の挨拶の後大臣、石川・藤岡両委員、岡野参与等の話があった。しかし帰りの時間に迫られ十分意見の交換もできないままに懇談会を閉じた。