はじめに
第1章内外の諸情勢と原子力発電の着実な推進

1内外の諸情勢と原子力発電

(1)内外のエネルギー情勢と原子力発電

イ)内外のエネルギー情勢
(i)石油代替エネルギーの開発・導入,省エネルギーの進展等による石油需要の減少,非石油輸出国機構地域(非OPEC地域)における原油増産等を背景に,昭和58年3月OPECによる初の基準原油の公式販売価格の引き下げが行われた。その後,国際石油情勢は緩和基調で推移したが,OPECの諸調整実施等によって,昨年11月頃までは原油スポット価格は比較的堅調であった。
 昨年12月に開催されたOPEC通常総会において「公正なシェアの確保と維持」が打ち出され,ある程度価格が下がっても一定のシェアを回復しようとする意志が示されたことなどから,原油価格は本年1月下旬以降大幅に下落した。このため世界的に新規油田開発,省エネルギー,石油代替エネルギー開発等が低下する恐れがでている。

 これまで,国際エネルギー機関(IEA)の見通しにもあるように原油価格の中長期的見通しについては,今後当分の間需給緩和基調が継続するものの,1990年代には再び需給は逼迫し価格も再上昇するとの見方が一般的であったが,今回の原油価格の急激な下落によって新規油田開発,省エネルギー,石油代替エネルギー開発・導入の停滞が顕在化すれば,石油需給逼迫の時期は一層早まるとの見方さえ出されている。
(ii)一方,我が国のエネルギー需要については,過去二度にわたる石油危機を経て,産業構造の変化及び省エネルギーの定着を背景に昭和57年度に石油危機以降最低の水準に落ち込んだ。その後増大に転じてはいるものの,昭和60年度においてもなお過去最高の昭和54年度の需要量を下回っているなど,依然として低迷状態にあるが,中長期的には,民生用需要を中心に堅調に増大していくものと見込まれている。
 また,この間石油代替エネルギーの開発・導入が順調に進んだ結果,エネルギー全体の需要が回復に転じた昭和58年度以降も石油需要は横ばいのままとなっており,我が国の石油依存度は,昭和48年度の77.6%から昭和60年度には56.7%まで低下している。しかしながら,我が国の石油依存度は,低下したとはいえ,まだまだ主要先進国に比べ高い水準にあり,さらにその多くを政治情勢の流動的な中東地域に依存しているなど,依然として我が国のエネルギー供給構造は脆弱性から脱却していない。

 加えて,石油代替エネルギーの開発・導入には長期のリードタイムが必要であるなど,エネルギー供給構造の変革には極めて長期間を必要とする。
(iii)さらに,世界経済の安定的発展のためには,中長期的に石油価格が安定的に推移することが重要である。これまで省エネルギー,石油代替エネルギーの開発・導入は,石油価格の安定化に対して極めて大きな役割を果してきており,今後ともこうした役割を着実に果していくことが望まれる。我が国は,OECD諸国の中で第2位のエネルギー消費大国であり,世界のエネルギー総輸入量の14%(1983年実績)を占めているなど,我が国のエネルギー需給動向が世界のエネルギー需給に与える影響も大きい。
(iv)従って,このような国際的立場もふまえ,原子力をはじめとする石油代替エネルギーの開発・導入を着実に推進していくことは,今後とも我が国の重要な課題である。

ロ)原子力の特長
 石油代替エネルギーの開発・導入などエネルギー対策を進めるに当たっては,環境保全を重視しつつ新しいエネルギー情勢を踏まえて,より長期的視点に立って強靭かつ柔軟なエネルギー供給構造の構築を目指すことが重要である。このため,利用可能なエネルギーを特長に応じて効率的に使い得るよう多面的に開発していくことが必要であるが,なかでも原子力は以下に述べるように供給安定性,経済性等に優れた特長を有している。
(i)供給安定性については,原子力は原子炉に一度燃料を装荷すれば取替えなしに約1年間運転できるため燃料の備蓄効果もあるなど短期供給途絶に強く,原料のウランの資源分布も石油と異なり供給途絶の不安も少ない。
 経済性については,原子力は発電原価コストに占める燃料費の割合が小さく,燃料価格高騰の影響を受けにくいという基本的特性を有しており,昭和60年度運開ベースのモデルプラントについての原子力発電の初年度原価試算結果によると原子力の発電原価は他の発電方式に対して安価となっている。なお,先に述べたとおり,最近の原油価格の急激な下落,円高の進行が相まって,特に石油火力の発電原価が低下してきている。しかし,新規発電所は立地を考慮すると運転開始までにかなりのリードタイムを必要とし,その間に原油価格は再上昇することは十分予想されることであり,原子力の経済性の優位が失われることはないと考えられる。
 また,原子力発電は火力発電に比べ内需形成効果が大きく,原子力産業の発展による我が国の産業構造の高度化への寄与等の意義も有する。
 さらに,原子力発電は環境影響が小さく,大気汚染物質の総量を軽減するという点で,クリーンなエネルギーという特長を有しており,その導入の意義は高い。この点については,欧米において,酸性雨問題と関連して議論されているほか,化石エネルギーの使用による大気中の二酸化炭素濃度の上昇に伴う影響へも関心が寄せられているところである。
(ii)エネルギー開発を推進する場合,各エネルギーの資源的な見通しの他に技術的な見通し及びその技術の果たす役割を十分に見極めることが極めて重要である。
 一般に化石エネルギーが資源埋蔵量の大きさ,その地理的分布等による制約が大きいのに対し,原子力は技術開発により制約を軽減しうるという点で大きな相違がある。経済性の面では原子力発電原価の約7〜8割を占める建設費の低減が技術開発により可能となり,また燃料費についても核燃料サイクル技術の高度化によって低減が可能である。一方,供給安定性という面では,核燃料サイクルを確立し海外依存度を低減することによってより供給安定性を高めることが可能であり,さらに,高速増殖炉が実用化し,プルトニウム利用が本格化すれば資源制約からほぼ解放され,準国産エネルギーとも言うべき高い供給安定性を持ち得ることができる。原子力は供給安定性,経済性の面で優れた特性を有しているが,これらの特性は以上述べたように原子力技術の進展によってさらに強化することが可能である。
 また,原子力は現在のところ,実用化された利用分野は発電分野,それもベースロードに限られているが,技術開発によって負荷追従性の向上,利用分野の拡大が可能となる。
 一方,核燃料サイクルを含めた原子力発電に係る技術は,基礎的な技術から高度な先端技術まで幅広く総合化した技術であり,その技術開発は石油代替エネルギー開発への貢献に加えて,関連する他分野へ技術開発のインセンティブ,技術波及効果を与えることが可能である。このため,原子力技術開発は我が国の科学技術水準向上の観点からも重要な役割を果たすものと考えられる。
(iii)原子力は,以上に述べたとおり,エネルギー資源として優れた特長を有しているが,一方,これを利用するに当たっては,大量の放射性物質が取り扱われることから,これを適切に管理し,万が一にも公衆や環境に影響を及ぼすことなく進めていくことが大前提となっている。このため,機器・システムの設計面,管理面等において安全確保に万全を期す必要がある。このような考え方に立って,本章第2節「原子力発電の推進と安全の確保」において我が国の原子力発電所の安全確保の実績,特長等について述べているとおり,我が国では安全確保のために関係者の多大な努力が払われているところである。
 このほか,国民から重大な関心が寄せられている課題の一つとして,原子力の利用に伴って発生する放射性廃棄物の処理処分対策の推進が挙げられる。これについては,原子力発電所等から発生する低レベル放射性廃棄物の処理などのように十分な実績を有するものもあるが,その他の処理処分についても対策に万全を期すよう努力が重ねられているところである。
 これらは原子力開発利用を進めるに当たって不可避の課題であり,今後とも着実な努力が必要である。
(iv)以上のような点を踏まえ,原子力委員会としては,今後とも国民の理解と協力を得て,引き続き原子力開発利用の着実な推進をはかっていくこととしている。

(2)世界の原子力発電の現状
 原子力発電は供給安定性,経済性等で優れた特長を有していることから,世界各国でその導入が意欲的に行われてきており,昭和61年6月末現在,世界で運転中の原子力発電の設備容量は総計365基(約2億6,728万キロワット)に達し,建設中のものは163基(約1億5,556万キロワット),計画中のものを含めると総計658基(約5億5,325万キロワット)となっている。運転を行っている国は,米国,ヨーロッパ等の先進諸国を中心に26カ国にのぼり建設中,計画中の国も加えると38カ国に達する。近年,特に開発途上国において,建設中のものが19基(昭和61年6月末現在)あるなど原子力発電計画が積極的に進められていることが注目される。国別にみると設備容量の大きい順に,米国,フランス,ソ連,日本,西独(以下略)となっている。
 炉型別にみると運転中設備容量の約83%が軽水炉で,そのうち約72%が加圧水型軽水炉(PWR),約28%が沸騰水型軽水炉(BWR)が占める。計画によると中期的には,さらに,軽水炉の比率が増大する見込である。
 昭和60年の世界の原子力発電電力量は1兆4,016億キロワット時に達した。これは世界の全発電電力量の約15%(約3.65億キロリットル原油相当)を占め,原子力発電は電源の重要な柱の一つとして位置付けられつつある。国別にみると自国に廉価なエネルギー資源に乏しいヨーロッパ諸国において原子力の比率が大きく,昭和60年において,フランスが65%,スウェーデンが42%,スイスが40%,西独が31%となっており(我が国は昭和60年度26%),これらの国々において原子力は火力等に匹敵する主力電源として位置づけられている。アジア地域においても台湾では約53%,韓国では22%が原子力により賄われている。また,昭和60年において世界の一次エネルギーに占める原子力発電の割合は4.5%で昭和55年に比べ2%上昇した。国別にみるとフランスの約24%を筆頭にヨーロッパ諸国において高い値となっている(我が国は昭和60年度9.5%)。このように原子力発電は世界経済において確固たる地位を占めつつあり,その規模は今後さらに増すものと計画されている。
 なお,世界の原子力発電の運転経験はこのように着実に増加しており,IAEAの見通しによると昭和61年には4,000炉年を越える見通しである。
 原子力発電の位置付けが大きくなるに従い,その安定的な稼働が益々求められるようになっており,そのための努力が各国にて行われ,着実に成果があがっている。さらに,この課題は各国共通のものであることから,原子力発電に係る国際協力も活発に行われている。特に安全研究はその成果を各国が共有することが望まれており,二国間,多国間,国際機関を通じて積極的に協力が行われている。国際機関を通じた協力として代表的なものには,国際原子力機関(IAEA)における原子力安全性基準策定事業*(NUSS計画),国際原子力安全諮問グループ**(INSAG)の活動,経済協力開発機構原子力機関(OECD/NEA)における原子力施設安全委員会***(CSNI)の活動があげられる。


(脚注)* 原子力安全性基準策定事業:原子力安全の考え方とその具体的方策(指針,基準,マニュアル等)について国際的な調和をはかりつつ策定し,その成果を加盟国に提供することを目的として昭和50年から開始された。
**国際原子力安全諮問グループ:国際的な重要性をもつ一般的な原子力安全問題について,情報交換,事務局長への勧告等を行うことを目的に昭和60年に設立された。
*** 原子力施設安全委員会:原子力安全の分野における情報交換の推進,ワーキング・グループまたは専門家会合による特定事項の検討,国際標準問題の作成及びその解析コードの妥当性検討を目的に昭和48年に設立された。

(3)ソ連原子力発電所事故と主要国の対応

イ)事故の概要
 昭和61年4月26日午前1時23分(日本時間同日午前6時23分)ソ連ウクライナ共和国キエフ市北方約130Kmのチェルノブイル原子力発電所4号機(100万キロワット,黒鉛減速軽水冷却沸騰水型炉)にて事故が発生し,大量の放射性物質が大気中に放出され,ソ連及び隣接するヨーロッパ諸国を中心とした地球規模で拡散した。また,事故に伴い31人が死亡し203人が急性放射線障害を受け,さらに,発電所周辺の住民約13万5千人が避難したと報じられている(8月21日現在)。近隣諸国への放射能拡散についても,4月28日,スウェーデンで異常な放射能が検出されて以来,ヨーロッパ諸国等で放射能が相次いで検出され,我が国においても5月3日には放射能が検出された。核分裂生成物の総放出量(放射性希ガスを含まず)は放射性崩壊を考慮して5月6日時点に換算して約5,000万キュリーに相当し,これは事故発生時点の原子炉中の放射性核種の総量の約3.5%に相当すると報告されている。


(脚注)黒鉛減速軽水冷却沸騰水型炉:ソ連が独自に開発した炉で黒鉛にて中性子を減速し,軽水により冷却し,タービンに蒸気を直接供給する構造である。ソ連以外では使用されておらず,我が国等で使用されている軽水炉とは全くタイプの異なるものである。

ロ)主要国の対応
 事故の影響が広範囲にわたったことからウクライナ共和国近隣のヨーロッパ諸国を中心として雨水摂取の禁止,葉菜の水洗の励行,ソ連からの食料輸入の制限,よう素剤の摂取等の対策が実施された。
 我が国においても放射能対策本部(本部長科学技術庁長官)の下に,放射能調査体制の強化,輸入食料品のチェック,海外旅行者への注意の喚起,在留邦人への対策,帰国者への対策等がとられた。
 放射能調査は,高空浮遊じん,地表浮遊じん,雨水,空間放射線,牛乳,野菜等について行われ,ヨウ素-131(131I)等の核種が検出されたことから,5月4日には放射能対策本部から雨水の摂取等に関する当面の注意事項が出された。しかしながら,我が国で観測された放射能レベルは国民の健康に対して影響を及ぼすものではなく,その後,放射能レベルが十分低い状態になったことから6月6日には当面の注意事項は解除され,放射能調査体制については,平常時の体制に移行することとした。なお,長期的観点からの環境放射能の調査研究,輸入食料品対策,海外旅行者対策等については,引き続き所要の措置を講じていくこととした。

ハ)主要国の原子力政策への影響
 今回の事故は多数の死傷者を出し,世界的規模で放射能汚染が拡大したことから,ヨーロッパを中心に各国国民に大きな衝撃を与え,西独等一部の国において,原子力発電の推進の是非が政治的な争点となっている。米国,フランス,英国,西独等の経済規模の大きな先進諸国は今後とも原子力発電を推進するという方針は変更することはないとしているが,事故の重大性を真剣に受けとめ,事故の教訓を踏まえて安全陸の一層の確保を図ることとしている。例えば,西独においては安全管理の強化を図るべく環境・自然保護・原子炉安全省が設置され,イタリアにおいては原子力規制委員会が設置された。
 一方,4基の原子炉が稼動しているフィンランドでは,5番目の原子炉の建設が計画されていたが,今回の事故により計画は棚上げとなった。また,オーストリアにおいては,凍結中のツベンテンドルフ原子力発電所を解体することが決まり,オランダでは事故の詳細な調査結果が明らかになるまで原子力発電所の建設計画を一時中断する等,一部の国においては原子力発電に関する政策変更が検討されている。

二)国際的な対応
 今回の事故は影響が当事国であるソ連以外にも及び,さらに,ソ連からの事故情報の通報が遅れたことから,原子力に関する緊急事態もしくは事故について,情報を迅速に提供することの重要性が改めて認識された。そのため,事故発生直後の東京において開催された主要先進国首脳会議において,原子力に関する緊急事態もしくは事故に際して報告及び情報交換を義務づける国際協定の早期考案を求める声明が5月5日発表された。このような動きをうけ,7月下旬から8月中旬にかけて国際原子力機関(IAEA)において,原子力事故の早期通報に関する条約並びに原子力事故及び放射線緊急事態における援助に関する条約について草案の検討が行われ,9月下旬のIAEA総会(特別会期)で正式に採択された。
 一方,8月下旬にソ連は,本事故の原因,被害の状況等についてIAEAの事故後評価専門家会合等で発表し,これをふまえ事故原因等について各国専門家によって議論が行われた。引き続き,IAEAのINSAG(国際原子力安全諮問グループ)においては事故後評価専門家会合の結果についてとりまとめるとともに,原子力安全と放射線防護のために国際協力が必要であるとの勧告がまとめられ,9月下旬の上記総会に報告された。なお,上記総会において採択された最終文書では,原子力の役割,及び国際協力についても触れている。すなわち原子力が今後とも社会・経済の発展のために重要なエネルギーであること及びこれを利用するためには,最高レベルの安全性が必須であり,二国間及び多数国間双方のレベルにおける国際協力を強化すべきであることが述べられている。
 今回の事故は原子力事故が国際的に影響を及ぼす可能性があることを示したことから,原子力安全の問題は国際的に解決していくことが有効であり,世界各国が協力して安全性を確保していくことの重要性を再認識させたといえる。

 我が国においては,原子力発電は,脱石油という国家的要請に対応して中核的役割を果たし,今日では,経済社会における欠かすことのできないエネルギーとして定着している。また,次節に述べるとおり原子力発電が開始されて以来,これまで20年の間に周辺公衆及び環境に影響を及ぼすような放射能事故が皆無である等の優れた安全実績が示されている。しかしながら,これに安心することなく,今回の事故を教訓としてより一層の安全性の向上を目指すことが必要である。現在,原子力安全委員会の下に,「ソ連原子力発電所事故調査特別委員会」が設置され,事故に関する調査,我が国の安全確保対策に反映させるべき事項等の審議が行われている。*また,IAEA等の場において,原子力発電の安全性の向上のための国際的な協力,連携の動きも一層強まっている。
 原子力委員会としては,これらを踏まえ,今後とも安全の確保を大前提として,引き続き着実に原子力発電を推進することとしている。


(脚注)* ソ連原子力発電所事故調査特別委員会は,本年9月9日,第1次報告書をとりまとめた。同報告書では,これまで得られた情報,資料をもとに事故の事実関係について整理し,さらに事故原因につき若干の評価を加えており,「今回のソ連の発表により,本事故が我が国では考えられ難い事故であったことがほぼ明らかになった。」とも述べている。


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