第2章 我が国経済社会に根づく原子力
(1)原子力発電

ロ)軽水炉の導入

 軽水炉については,昭和32年当時,将来有望な炉であり適当な時期に海外からの導入を考慮すべきとされたが,当面は基礎的な技術を確立するため舶用炉研究,増殖炉研究の目的を合わせ持った動力試験炉(JP DR)を導入し,日本原子力研究所に設置する構想が打ち出された。JPDRは,昭和38年に完成し,同年10月26日に我が国初の原子炉による発電に成功した。JPDRは,その建設,運転,検査,各種試験等を通じ,電力会社,メーカー等を含めて軽水炉技術の蓄積に寄与し,また人材育成にも大きな役割を果たした。その後,米国でシッピングポート(昭和32年),ヤンキー(昭和35年),ドレスデン(昭和35年)と軽水炉開発が進み,経済性,将来性の点から軽水炉有望との見方が強まった。原子力委員会は,昭和36年の長期計画において,発電2号炉としては軽水炉が適当である旨明らかにした。これを受けて日本原子力発電(株)は,昭和38年に軽水炉発電所建設計画を公表した(敦賀発電所,35万7千キロワット,沸騰水型軽水炉,昭和45年運開)。一方,他の電力会社においても原子力発電所導入準備が進められていたが,昭和38年米国オイスタークリーク発電所入札に際して石炭火力よりコスト的に優位な原子力発電所計画が提案されたことを契機に導入計画が具体化し,昭和41年に関西電力(株)(美浜発電所1号機,34万キロワット,加圧水型軽水炉,昭和45年運開)及び東京電力(株)(福島第一原子力発電所1号機,46万キロワット,沸騰水型軽水炉,昭和46年運開)において軽水炉採用が決定され,以後,軽水炉路線が定着した。


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