第2章 我が国経済社会に根づく原子力
(1)原子力発電

ハ)原子力発電試練の時代

 昭和40年代後半から日本原子力発電(株)敦賀1号機,関西電力(株)美浜発電所1号機,東京電力(株)福島第一原子力発電所1号機に続き軽水炉の建設・運転が次々と行われていった(昭和49年末,8基,約390万キロワット)。一方で,同時期,環境問題一般に対する国民的関心が高まっていたこともあり,当初より安全問題が重視され安全確保に努めてきた原子力開発利用の分野でも,環境の保全,安全性の確保の問題が一層クローズアップされ立地難が顕著なものとなった。すなわち,沸騰水型軽水炉(BWR)における応力腐食割れ問題,加圧水型軽水炉(PWR)における蒸気発生器の損傷,昭和49年の原子力船「むつ」の放射線漏れ等の問題が続出し,国民の不信・不安が増大した。その後も昭和54年3月米国スリーマイルアイランド原子力発電所における事故,昭和56年の敦賀発電所での放射性物質の漏洩とトラブルが発生し,しかも,原子力発電所の稼働率もこの昭和40年代後半から昭和50年代初頭にかけては40%から50%程度に低迷するなど,いわば原子力発電にとっては試練の時代となった。
 他方,昭和48年の石油危機を契機に原子力発電に対する期待はとみに高まり,上記諸問題の解決が大きな課題となった。すなわち,原子力発電開発の重要な意義の一つとして当初から累計所要外貨が新鋭火力に比して少なく,外貨収支上適することが指摘されていたが,この時期,石油価格の上昇及びスケールメリットにより発電コストの面でも原子力発電の優位性が明らかになったほか,クリーンなエネルギーであること及び輸送・備蓄が容易であることなどから石油代替エネルギーの主要な担い手として期待が高まった。


目次へ          第2章 第1節 ニ)へ