第1章 平和利用と国際関係

(3)二国間原子力協定の締結

 昭和30年12月に特殊核物質(235U量で6キログラム)の供給を含む原子炉建造に関する技術援助に係る日米原子 力研究協力協定が締結され,これに基づき,日本原子力研究所において原子力研究が開始された。
 昭和31年には研究用原子炉であるJRR-1とJRR-2の建設契約が日本原子力研究所と米国メーカーとの間で締結され,燃料も米国より提供をうけた。
 JRR-1及びJRR-2はそれぞれ,昭和32年8月及び昭和35年10月に臨界に達している。
 昭和32年4月には,米国,英国及びカナダとの間にそれぞれ個別の原子力協定を締結する旨の方針が閣議了解された。これは研究炉用の燃料を安定に確保する必要があったことに加えて,動力炉の早期導入気運の高まりを背景に,研究用のみならず動力炉開発のための各種の情報,資材及び燃料などの提供を受けることが必要とされていたことによるものであった。カナダについては,ウラン精鉱等の確保が目的であり,当面は主として原子燃料公社が建設を予定していた製錬パイロットプラント等に必要なウラン精鉱確保を目的としていた。


(脚注)
JRR-1:(JapanResearchReactor)濃縮ウラン,軽水減速冷却,液体均質型原子炉,熱出力50キロワット,昭和32年8月初臨界,現在記念展示館
JRR-2:濃縮ウラン,重水減速冷却,非均質型原子炉,熱出力1万キロワット,昭和35年10月初臨界
JRR-3:濃縮および天然ウラン,重水減速冷却,非均質型原子炉,熱出力1万キロワット,昭和37年9月初臨界,(国産1号炉)現在,改造中
JRR-4:濃縮ウラン,軽水減速冷却,スイミングプール型原子炉,昭和40年1月初臨界,(遮へい研究用国産炉)。

 我が国はこの方針に基づき,昭和33年6月に米国及び英国との間の原子力協定にそれぞれ署名し,同協定は同年12年に発効している。翌34年4月からは,日・カナダの間で交渉が開始され同年7月に原子力協定に署名し,昭和35年7月に発効している。我が国はこれらの協定に基づき,実験用装置の燃料,動力試験炉(JPDR)及びその燃料,英国コールダホール炉及び燃料等の導入を行った。
 その後,我が国はこれら二国間協定に基づく保障措置についてIAEAに移管することが望ましいとの立場に立ち,昭和38年世界でも初めてのケースとして日・米・IAEA保障措置移管協定を実現させたが,これはIAEAの保障措置が発電炉にまで拡大する1つの契機ともなった。さらに,他の二国間協定に基づく保障措置に関しても日加協定については昭和41年に,日英協定については昭和42年にそれぞれIAEAに保障措置を移管している。
 昭和39年の米国における特殊核物質の民有化,我が国における濃縮ウランを利用する軽水炉計画の具体化及び,核燃料の国内管理体制整備の進展に伴い,原子力委員会は昭和41年,民間企業の責任に基づく自主的活動の基盤を確立するため,特殊核物質の民間所有を認める方針を決定した。また,日米協定の改定について,核燃料安定供給の確保とともに,我が国民間企業を契約の当事者とすることを方針とした。政府はこれらも踏まえ米国との交渉を進め,昭和43年7月,日米協定が発効した。これによって,特殊核物質の民間所有化が具体化し,その後の本格的原子力発電時代に対応した民間ベースでの核燃料確保が図られることとなった。これらの国との二国間原子力協定は,必要な改定を経て現在まで継続されている。このほか,我が国は,燃料供給国の多角化を図るため,昭和47年2月に日豪原子力協定及び日仏原子力協力協定に署名した。


(脚注)
JPDR(JapanPowerDemonstrationReactor,日本原子力研究所):濃縮ウラン,軽水減速冷却(BWR),電気出力1万2千5百キロワット,昭和38年10月26日初発電,昭和61年度から本格解体の予定。


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