第1章 平和利用と国際関係

(4)核不拡散条約の批准

 昭和24年にソ連が原爆を開発し米国の核兵器独占が失われた。次いで,昭和27年に英国,昭和35年にフランスが核実験を実施し,昭和39年には中国が核実験の実施を公表した。こうした状況下で国際的に核兵器の拡散に対する危機感が急速に高まり,昭和40年の国連総会においては,核不拡散条約(NPT)の締結に向けて努力するとの決議が採択された。
 我が国は,NPT条約は平和を希求する日本の政策に合致するとの認識の下に,原子力委員会の意見を踏まえて,
 ① 核軍縮の促進,
 ② 平和利用の推進を阻害しない保障措置,
 ③ 核兵器国
と非核兵器国との間の平等,
の3点を基本方針として関係国へ強く働きかけた。こうした我が国をはじめとする非核兵器国の意見は,一部条約案の中に取り入れられたほか,非核兵器国の安全保障に関する米英ソの宣言が出される等の形で反映されたことから昭和43年国連総会において本条約案が採択され,昭和45年3月には批准国が43ヶ国を越え核不拡散条約が発効するに至った。
 我が国は昭和45年2月に同条約に署名し,
 ① 核軍縮の推進,
 ② 非核兵器国の安全保障の確保,
 ③ 原子力平和利用における核兵器国と非核兵器国との平等の確保に強い関心を有することを強調する旨の政府声明を発表した。また,原子力委員会は平和利用に関して
 ① 条約運用に当たっては,平和利用を阻害せず,特にIAEA保障措置については各国の管理制度を活用して簡素化を図ること,
 ② 核兵器国もその平和目的の原子力利用をIAEA保障措置の対象とすること,
についてその重要性を重ねて強調する旨委員長談話として発表した。
 その後,これらの問題点について国内で検討が進められる一方,昭和47年よりこれと並行してIAEAとの間でNPT条約下における保障措置につき予備交渉が行われた。昭和50年に入って,IAEAによる査察を合理化,簡素化し,国内の計量管理制度を最大限に活用することが合意され,NPT条約下における保障措置を受け入れた場合においても他の国特にユーラトムとの並びから考えて実質的に不利とならない見通しが得られた。これを踏まえて政府は本条約を国会に提出し,翌昭和51年本条約が批准された。


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