第4章 国際関係活動
2 各国との原子力協定の動き

(1)日米原子力協定の動き

 我が国として最初の原子力協定である日米原子力協定(いわゆる,  「研究協定」)は,昭和30年11月に発効し,この協定に基づき,我が国最初の原子炉として日本原子力研究所に二つの研究炉(JRR-1,JRR-2)が導入され,その燃料の濃縮ウランが供給されたが,その後,我が国の原子力平和利用の進展に伴い,濃縮ウラン供給枠の拡大,動力炉導入等のために,数次にわたる一部改正或いは全面改正が行われてきた。
 現行の日米原子力協定は,昭和43年7月に発効のものを,濃縮ウラン供給枠の大幅拡大のために,昭和48年12月に改正したものである。
 しかるに,米国は,昭和53年3月,原子力資材,技術の輸出に際して核不拡散の観点から規制を強化することを目的とする「1978年核不拡散法」が成立したことに伴い,我が国に対しても同年10月,現行日米協定の改正交渉開始の申入れを行った。
 これを受けて,昭和54年2月,日米原子力協定改正に係る日米協議が行われ,我が方は,米側から,「1978年核不拡散法」に基づいて作成されたモデル協定の説明を受けた。
 一方,米国は,「1978年核不拡散法」の発効以降,現行協定に基づく各種規制権の行使に際しても厳しい姿勢を示しており,例えば,海外再処理委託めための使用済燃料の第三国移転に関する承認,研究炉用高濃縮ウランの輸出に関する承認等に当たっては,ケース・バイ・ケースの判断基準を適用してきている。


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