第5章 国際関係活動
2.各国との原子力協定の動き

(1)日米原子力協定の動き

(1)日米原子力協定の動き

 我が国として最初の原子力協定である日米原子力協定(いわゆる「研究協定」)は,昭和30年12月に発効し,この協定に基づき,我が国最初の原子炉として日本原子力研究所に二つの研究炉(JRR-1,JRR-2)が導入され,その燃料の濃縮ウランが供給されたが,その後,我が国の原子力平和利用の進展に伴い,濃縮ウラン供給枠の拡大,一動力炉導入等のために,数次にわたる一部改正或いは全面改訂が行われてきた。
 現行の日米原子力協定は,昭和43年7月に発効のものを,濃縮ウラン供給枠の大幅拡大のために,昭和48年に改訂したものである。
 しかるに,米国は,昭和53年3月,原子力資材,技術の輸出に際して,核不拡散の観点から規制を強化することを目的とする「1978年核不拡散法」が成立したことに伴い,我が国に対しても,同年10月,現行日米協定の改訂交渉開始の申入れを行った。
 これを受けて,昭和54年2月,日米原子力協定改訂に係る日米協議が行われ,我が方は,米側から,「1978年核不拡散法」に基づいて作成されたモデル協定の説明を受けた。
 一方,米国は,「1978年核不拡散法」の発効以降,現行協定に基づく各種規制権の行使に際しても厳しい姿勢を示しており,例えば,海外再処理委託のための使用済燃料の第三国移転に関する承認,研究炉用高濃縮ウランの輸出に関する承認等に当たっては,ケース・バイ・ケースの判断基準を適用してきている。

(2)日米再処理交渉

 米国の核不拡散政策の強化は,昭和46年以来建設を続けてきた動力炉・核燃料開発事業団東海再処理施設の運転を開始しようとしていた我が国にとって,直接的影響を与えるものとなった。すなわち,同再処理施設では,日米原子力協定の下で米国から輸入した濃縮ウラン燃料を再処理することとしていたため,我が国は,同協定第8条C項に基づき,再処理の実施について米国との共同決定を得るべく昭和51年夏より準備を進めていたところであったためである。
 本件に関する米国側の態度は極めて厳しく,我が国は原子力開発利用が我が国のエネルギー上の安全保障及び経済発展にとって必要不可欠であるとの認識の下に,
① 核拡散防止の強化には積極的に協力する。
② 原子力平和利用の推進と核拡散防止は両立させるべきである。
③ 核不拡散条約においては,非核兵器保有国での原子力平和利用が保証さ
 れており,同条約の加盟国が原子力平和利用で差別されてはならない。
 との点を基本的立場として交渉に臨んだ。
 交渉は,昭和51年末より開始されたが,約8ケ月に及ぶ日米間協議の結果,昭和52年8月29日から9月1日までの間,東京で開催された第3次日米交渉において,我が国の主張に沿って,東海再処理施設を運転することに関し,宇野科学技術庁長官とスミス核不拡散問題担当大使両代表の間で原則的な合意が成立した。
 日米両国は,昭和52年9月12日,日米原子力協定に基づき,東海再処理施設の運転開始に当たり「合衆国産の特殊核物質の再処理についての日米原子力協定第8条C項に基づく共同決定」を行い,同再処理施設における当初2年間,99トンの使用済燃料の再処理について,同協定第11条の保障措置が効果的に適用されることを確認した。本共同決定に当たり,両国はこの共同決定に至る経緯にかんがみ,米国は原子力の開発が我が国のエネルギー上の安全保障及び経済発展にとって重要であることを認め,その結果,次のようなことを相互に了解した旨を共同声明とした。

 この結果は,我が国の基本的な立場を貫き,また,現行の日米原子力協定の枠組を超えた新たな権利義務を生ぜしめることがなかったという意味で満足できるものであった。また,両国は,今後原子力平和利用と核不拡散とを両立させるため一層の努力をし,そのため国際原子力機関の強化及び国際核燃料サイクル評価について共同して貢献していくことが確認された。
 現在,共同声明の趣旨を踏まえ「混合抽出法」に関する試験研究等が東海再処理施設を中心に積極的に進められており,その成果について意見交換を行うため,昭和53年9月(於東京),54年1月(於サニベール),同年10月(於東京)の三回にわたり,東海再処理施設に関する日米技術専門家会合が開催された。この技術専門家会合は,今後予定される東海再処理施設に関する政策レベルの交渉の結論を予断することにつながるような議論は行わないことを前提として開催され,日本側からは,東海再処理施設を中心に進められてきた混合抽出技術及び混合転換技術に関する試験研究の成果が報告された。
 また,同じく共同声明の趣旨を踏まえ昭和53年2月に東京で,我が国と米,仏,IAEAとの間で会合が持たれ,東海再処理施設に関連して,再処理施設に対する保障措置技術を進展させるための共同研究(TASTEX:Tokai Advanced Safeguards Technology Exercise)を行うこととなった。TAS‐TEXでは,研究項目として13の項目(Task)が選定され,これまでに技術者の相互派遣及び研究情報の交換が進められてきている。また,同会合においてTASTEXの進捗状況のレビュー及び問題が発生した場合の解決を図るために,TASTEX運営委員会を適宜開催することが了承された。同委員会は,昭和53年11月及び昭和54年9月の2回,東京で開催された。
 共同声明における当初の再処理施設運転期間「2年間」は,国際核燃料サイクル評価(INFCE)の行われる期間を考慮したものであったが,INFCEの期間が当初予定の2年間より約半年間延長されたことに伴い,日米双方は,共同声明に述べられている当初の運転期間を55年4月30日まで延期することに合意し,昭和54年10月,その旨を確認する口上書を交換した。

(3)日加原子力協定の動き

 日加原子力協定は,カナダからのウラン輸入を目的として,昭和35年に発効して以来,10年間の有効期間を経た後も,6カ月前の廃止の事前通告がないことにより,自動延長されている。
 カナダは,インドの核実験を契機に,昭和49年12月,保障措置の強化を目的とする新ウラン輸出政策(昭和51年12月追加)を発表し,我が国も含め,原子力協定締約国に対し,原子力協定改訂交渉の申し入れを行った。

 我が国は,このようなカナダの申し入れを受け,昭和52年1月に,東京において第一次交渉を行って以来数次にわたる交渉を経,途中カナダの対日ウラン禁輸措置はあったものの,昭和53年1月に合意に達した。
 同年8月に,園田外務大臣とホーナーカナダ通産大臣との間において,日加原子力協定改正議定書の正式署名が行われた。同議定書は,批准承認を得るため,昭和54年5月,第87回国会に上程されたが,審議未了,廃案となった。同議定書については批准承認を得るため,今後,国会に再上程する予定である。
 なお,主要改正点は,次のとおりである。
① 規制の対象として,核拡散防止上「機微な情報」 (濃縮,再処理,重水生産及び重水減速炉に関する情報)等を加える。
② 事前同意の対象として,規制対象核物質等の「第三国移転」及び「再処理」の他に,新たに「20%以上の濃縮」及び「プルトニウム及び高濃縮ウランの貯蔵」を加える。
③ 核物質防護に関して,国際的な水準に沿つた措置を講ずることを加える。

(4)日豪原子力協定の動き

 日豪原子力協定は,豪州のウラン輸入を目的として昭和47年に発効した。
 オーストラリアは,ウラン資源国としてカナダと同様な立場から昭和52年5月保障措置新政策を発表し,我が国を含む原子力協定締約国に対し,協定改訂交渉の申し入れを行った。

 我が国は,オーストラリア側の申し入れを受け,これまで3回にわたり協定改訂交渉を行った。(昭和53年8月 東京,同年12月 キャンベラ及び昭和54年7月 東京)

(5)日英・日仏原子力協定の動き

 日英協定は昭和43年,日仏協定は昭和47年に発効しているが,日英協定では,天然ウランの入手,再処理委託等が進められ,日仏協定下では天然ウランの入手,濃縮委託,再処理委託等が進められた。


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