§2 海外における原子力開発利用の動向
4 高速増殖炉の開発

 濃縮ウランは,天然ウラン中のウラン―235の比率を高めるので,天然ウラン所要量を一層増大させ,また,これにより,ウラン―235の比率が天然ウランのそれよりも低下した劣化ウランが大量に生成され,蓄積されることとなる。したがって,将来にわたって,濃縮ウランを主体として原子力発電をすすめることは,核燃料資源の有効利用の観点から,原子力発電の有利性を最高限に発揮するものとはいい難い。
 このため,かつて,米国原子力委員会が「大統領への報告」(1962年11月)のなかで述べているように,「親物値(すなわち,ウラン―238およびトリウム)中の莫大な潜在エネルギー源を利用可能とする方向へ原子力発電計画を導くこと」はきわめて重要である。このような観点から,各国とも,電力生産のために自己が消費する以上の核燃料(プルトニウム)を生産(増殖)する動力炉,すなわち,高速増殖炉の開発に積極的に取り組んできている。
 高速増殖炉に対する関心は,今日のところ,世界的にナトリウムを冷却材に用いる液体金属冷却高速増殖炉に集中しているといえよう。とくに,1969年2月,これまでナトリウム冷却型とともにスチーム冷却型の高速増殖炉開発路線を追究してきたドイツ連邦共和国(ドイツ)において,スチーム冷却型炉開発計画の中止が決定され,一部にガス冷却型炉に対する評価もあるが,ナトリウム冷却型炉が大勢を占めるにいたっている。
 米国では,現在,燃料照射用大型実験炉として熱出力約4万キロワットの高速中性子束試験施設(FFTF)の建設が1973年臨界を目途としてすすめられており,また,ドイツとも共同してすすめられていた酸化物燃料高速実験炉(SEFOR,熱出力2万キロワット)が,1969年3月,当初の予定より若干遅れて,臨界に達した。さらに,1966年(41年)10月以来,事故で運転を中止しているエンリコ・フェルミ炉は,1968年,故障原因が確認され,1969年(44年)には新燃料の装荷を始める予定となっている。
 英国においても,高速増殖炉の開発は,原子力発電計画の当初から,強い関心をもってすすめられており,すでに,1959年(34年)以来,電気出力1万5,000キロワットのドーンレイ実験炉について各種の実験が実施されてきた。この経験をもとにして,1970年(45年)の完成を目途に,同じくドーンレイにおいて,電気出力25万キロワットの原型炉を建設することとし,現在,その工事は順調にすすめられている。
 この事業は,今回の産業界の編成により,新ニュークレアパワーグループ社(TNPG)が開発を担当することに決まり,これにともない逐次英国原子力公社(AEA)の人員と施設の引き継ぎが行なわれている。
 フランスにおける高速増殖炉開発については,ユーラトムと共同で建設し,1967年1月に臨界に達したナトリウム冷却実験炉ラプソディーについて,フランス原子力公社(CEA)は,1970年までに熱出力を45万キロワットに上昇させることを決定した。さらに,CEAは高速増殖炉の原型炉として,フェニックス炉(25万キロワット)の建設を打ち出し,1973年完成を目途に,1969年に建設に着手することにしているが,この建設にあたっては,CEA,フランス電力公社(EDF)および産業界が責任を負い,作業を分担する体制をとっている。
 ドイツの高速増殖炉については,重点施策の一つとして手がけられており,上述のように,1969年2月,蒸気冷却の炉型については,とくにその燃料における技術的解決の困難性にかんがみ,一定の基礎研究に限定されることになったが,ナトリウム冷却型炉については,1967年(42年)のベルギー,オランダの3国政府間の協力協定により,30万キロワットの原型炉の共同建設計画がまとまりつつある。これと併行して,増殖炉系と試験的ナトリウムのテストベッドとして,カールスルーエのKNKの2万キロワットのナトリウム冷却炉が,1969年運転開始の予定で推進されている。
 ソ連における高速増殖炉の開発については,1955年(30年)にBR-1(炉物理研究用)を完成して以来,1956年(31年),BR-2(炉物理,動特性研究用),1958年(33年)BR-5(炉物理,運転特性研究用)を建設し,これら一連の基礎研究を経て,高速炉の原型炉ともいうべきBN-350(35万キロワット)をカスピ海のマンギシュラック半島のチエブチエンコに建設中で,1970年初頭までに運転開始の予定となっている。この炉は,ソ連初の「2重目的炉」で,1日当り15万キロワットの電力と12万トンの真水を供給することができる。
 さらに,大型化した高速増殖炉BN-600(60万キロワット)の詳細設計を完了し,ペロルスクで建設に着手した。このBN-600の実験的裏づけを得るための高速実験炉BOR-60(6万キロワット)はメレケスで建設されていたが,1968年12月,臨界に達した。


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