第6章 放射能対策

§5 調査結果

 米国原子力委員会の発表によれば,36年9月から11月までに行なわれたソ連の核爆発実験の規模は,1発で50メガメンのものも含まれたが,総エネルギーで120メガトン(約30回)と推定され,33年11月までの,米英ソ国による総核爆実験規模の170メガトン(約250回)には達しなかったが,ほぼそれに匹敵する大規模なものであったといわれる。また,36年のソ連の核爆発実験によって,地球全体にばらまかれた放射性降下物の量は,33年以前のそれの約1/2程度と推定されている。
 このため,ソ連が核実験を再開して間もない頃の10月中旬から,とくに50メガトン超大型爆発実験後の11月初旬にかけては,わが国においても,雨や塵の中にかなり高い放射能が検出された。こうした事態に備えて,わが国においては,さきにのべたように関係機関の密接な協力のもとに放射能監視体制が確立され,放射能レベルの上昇に注意を続けてきた,放射性降下物の降下量はその後次第に減少した。37年4月になって,米国がクリスマス島海域において核爆発実験を再開したこと,また例年,成層圏内の放射性降下物が春季に対流圏に多く降下ずる傾向があることなどから,今後も放射能調査はさらに注意深く継続されることとなっている。
 36年度中におけるわが国の放射能レベルの状況をながめてみよう。


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