第2章 機構および法制
§2 関係法令の整備

2−1 原子力災害補償関係法規の整備

 原子力の開発利用にあたっては,原子炉等規制法によって厳重な規制が行なわれ,災害を未然に防止するよう措置されているが,原子力には未だ未知の要素があり,万一の場合における原子力災害の発生する可能性を全く否定することは困難である.しかも災害が発生した場合には,被害は広範にわたるおそれがあり,かつ,後発性障害という特異な損害を与える可能性もある.この場合,原子力損害賠償制度が確立していないと,被害者は,民法の一般原則によって賠償請求することになるが,これでは,必ずしも正当な補償が受けられるとはかぎらない.また,原子力事業者も,大きな損害を受ける可能性があり,事業の合理的運営ができなくなるおそれがある.また,原子力関連産業も責任を追求されるおそれがあるので,安んじて,原子力事業に寄与することはできないであろう.したがって,万一原子力災害が発生した場合に十分な損害賠償がなされるような方策を講じて,原子力施設周辺の住民の保護を図り,原子力事業の健全な発達に資することとしなければならない。
 このため,原子力委員会においては,32年頃から災害補償について検討をはじめ,33年10月「原子力災害補償についての基本方針」を決定した.この方針に従って,政府は,暫定措置として規制法の一部を改正して,原子炉設置者に原子力損害賠償責任保険その他の損害賠償措置を講じさせることとした(これは35年1月1日から施行されている).この措置は,いうまでもなく,基本方針にいう原子力災害補償制度の一部であるに止まり,全般的な災害補償制度については一層の検討を要するので,あわせて原子力災害補償専門部会を設置じた.同専門部会は,原子力委員会から諮問された原子力損害賠償責任,原子力損害賠償責任保険,国家補償等原子力災害補償に関する基本的事項について鋭意審議し,34年12月答申を行なった。
 この答申は (1)原子力事業者は,原子力損害について無過失責任を負い,かつ,これ以外の者は責任を負わないこと,(2)原子力事業を営むにあたっては,責任保険その他の損害賠償措置を具備しなければならないこと,(3)損害賠償措置によっててん補されないときは国家補償すること,(4)原子力損害が生じた場合には行政委員会を設けて,その処理にあたらせることというものであった。
 原子力委員会は,この答申を受けて,2ヵ月余の審議を行ない,35年2月24日「原子力災害補償制度の確立について」を内定し,これに基づいて関係方面と意見を調整し,35年3月26日「原子力損害賠償制度の確立について」を決定した.この内容は(1)原子力事業者の賠償責任については,無過失責任とし,かつ,原子力事業者に賠償責任を集中したこと,(2)原子力事業者は損害賠償措置を講じなければ原子力事業の操業を行なわせないものとし,損害賠償措置としては,一工場または一事業所当たり50億円としたこと,(3)国の措置としては,損害賠償措置の金額までの損害で責任保険でてん補されないものについて政府が原子力事業者と補償契約を締結することおよび損害賠償措置の金額をこえる損害について国会の議決を経た権限の範囲内で原子力事業者に対して政府は必要な援助を行なうことができること,(4)相当規模の原子力損害が発生したときは,政府は国会に報告し,政府の措置について国会の承認を求めること,(5)原子力損害が生じたときは特別の賠償処理機関を設置して損害の評価,紛争の解決等にあたらせることというものであった。
 この決定については,3月29日「政府は,万一の場合における原子力の核的災害の特異性にかんがみ,別紙原子力委員会の決定の趣旨を尊重し,すみやかに今国会に法案を提出するものとする,」との閣議了解がなされ,以後法案化の準備が行なわれ,4月27日に原子力損害賠償の基本的制度を定める「原子力損害の賠償に関する法律案」が閣議決定された.ついで5月2日この法案は,国会に提出されたが,成立するにいたらず,継続審査が決議されたにとどまった.次の35国会においても審議が行なわれず,継続審査が決議された。
 その後,「原子力損害の賠償に関する法律案」において別に法律で定めることとされている「原子力損害賠償補償契約」について,その法案化の準備が進められた.35年10月より,原子力災害補償専門部会を再開して,約10回にわたって,原子力損害賠償補償契約に関する問題点すなわち,てん補範囲,補償契約違反の場合の措置等ならびに原子力災害賠償責任保険の問題点とくにそのてん補範囲,契約違反の効果等について審議を行ない,36年2月一応の結論をえた。
 この結論に基づいて関係各省と折衝を行ない,36年2月28日「原子力損害賠償補償契約に関する法律案」とともに閣議決定され,3月1日国会に提出された。
 2法案はともに国会においては,衆議院で先議され,衆議院科学技術振興対策特別委員会において慎重な審議が行なわれ,5月18日附帯決議を付して全会一致で可決され,同日本会議を通過した.この附帯決議の内容は,(1)安全基準を設定し,これに基づいて原子力損害に対する予防措置を講じ,また,施設周辺の住民等に対する線量調査を行なうこと,(2)従業員災害について必要に応じ措置すること,(3)50億円以上の損害について政府は十分な援助を行なうとともに事業者の利益金の積立等を指導すること,(4)国際条約が成立した場合には政府は必要な措置を講ずることというものであった.つづいて両法案は,参議院に送付され,商工委員会において慎重な審議が行なわれた後,6月2日に「従業員災害については別途措置すること.国の援助については被害者保護に遺憾なきを期し,原子力委員会が提出する意見書には委員会の意志を具体的に表示すること」とする付帯決議を付して全会一致で可決され,6月8日本会議を通過成立し,6月17日公布された。
 2法の概要は,次のとおりである。
 まず,原子力損害の賠償に関する法律は,原子力損害が発生した場合における損害賠償に関する基本的制度を定め,もって被害者の保護を図り,あわせて原子力事業の健全な発達に資することを目的として,原子力損害賠償責任,損害賠償措置,国の措置等について定めている。
 すなわち
 (1) 原子力損害賠償責任については,民法の特例として原子力事業者に無過失責任を課するとともに責任を集中し,かつ,求償権についても制限を行ない,被害者の保護を図るとともに原子力関連産業からの円滑な供給を期し,あわせて保険関係が複雑化することを防いでいる。
 (2) 原子力事業者は,一工場または一事業所当たり原則とし50億円の損害賠償措置を講じでいなければ原子炉の運転等をしてはならないものとし,賠償履行の確保を図っている.損害賠償措置の内容としては,責任保険および補償契約の締結が典型的なものであるが,供託その他これらに相当する措置であってもよいこととなっている。
 (3) 損害賠償措置の金額をこえる損害が発生した場合には,政府は,この法律の目的を達成するため必要と認められるときは,原子力事業者に対して必要な援助を行なうものとし,被害者の保護と原子力事業の健全な発達に遺憾なきを期している。
 (4) 損害賠償についての紛争の和解の仲介等を行なわせるため,科学技術庁に原子力損害賠償紛争審査会を必要に応じて設置し,賠償処理の迅速公正を図ることとしている。
 (5) 原子力損害が発生した場合には,政府は国会に報告するとともに原子力委員会が提出した意見書をそのまま国会に提出することとして,原子力損害の処理について国会の意志が十分に反映されるよう措置している。
 次に原子力損害賠償補償契約に関する法律は,現在の責任保険契約でてん補しない損害をうめるための一種の国家保険契約ともいうべき原子力損害賠償補償契約の内容を定めたものである.その内容は,次のとおりである。
 (1) 補償契約で補償する損失としては,地震,噴火による損害,正常運転による損害,後発性損害など損害の性質上民間保険でてん補できないもののほか,責任保険契約に違反したため責任保険でてん補されないものも含まれる。
 (2) 補償契約で補償する金額は,原則として損害賠償措量の金額までである。
 (3) 補償料は,補償損失の発生の見込み,国の事務取扱費等を勘案して政令で定めることとしている。
 (4) 補償契約等に違反した場合の効果については,,通常の契約のように政府の免責としないで,補償金を返還させるとか,補償契約を解除するとか,あるいは過怠金を徴収するに止めている.しかも解除は90日後に効力が発生するものとし,被害者保護に配慮している。
 この2法は,公布後9月以内に施行されることになっている.なお,2法は,損害賠償措置について民間の原子力損害賠償責任保険制度の確立を前提としている.核原料物質,核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律の改正に伴い,その損害賠償措置の一つの方法として,原子力損害賠償責任保険の早期実現が要請され,わが国保険業界でも約款等の検討を行ない,35年2月29日付でその営業が認可された.その後,原子力研究所は,JRR-2の運転を契機として原子力局の指示に従い,36年2月15日JRR-1およびJRR-2について,保険金額5億円の責任保険契約を締結した.この保険契約においては保険料は年間約830万円となっているが,原子力責任保険料率は大数法則も確立しておらず,また補償料率との関係もあり,今後さらに基本的に研究する必要があるので,一応暫定的なものとされている。
 現行の保険制度は,災害補償2法を前提としていないので,その約款の内容を改め,保険制度の運用方法を改善して,損害補償措置までの金額については,責任保険および補償契約により完全に補償される体制を確立しなければならない.これらの点については,補償契約法の立案過程において原子力災害補償専門部会等で検討されたところである.さらに保険料率については,原子力事業の経済性にも係る問題でもあり,今後,慎重な検討を要することはいうまでもない。
 また,災害補償制度の対象外となっている従業員損害については,労災補償制度に委ねる趣旨であるが,原子力損害は,認定上かなり困難があること等からみて現行制度についてもさらに検討を加える必要があろう.つぎに災害補償に関する国際条約については,36年4月原子力船運航者の責任に関する条約案について審議するため,海事法外交会議が開催され,また,5月には原子力損害民事責任に関する最少限度の国際的基準に関する条約案について審議するため原子力民事責任に関する政府間会議が開催されるなど活発な動きがみられた。
 海事法外交会議は4月17日から29日までベルギーのブラッセルで開催され,国際海法会で作成されたいわゆるリエカ案と国際原子力機関で作成されたIAEA案を基礎として原子力船運航者の責任に関する条約案の審議を行ない,わが国からも代表が出席した.この会議においては,署名のための最終草案は確定されるにいたらず,近い将来再び政府間会議を開いて検討の後決定することとなり,暫定草案の作成をなすにとどまった.条約案については今後さらに政府間会議において検討される予定であり,それに先立って常設委員会を設置してその準備を行なうこととなっている。
 原子力損害民事責任に関する政府間会議(条約起草委員会)は,国際原子力機関の主催の下に5月3日から13日までウィーンにおいて開催され,過去3回にわたって開催された専門家会議にひきつづき政府間における会議をもつこととなりわが国からも代表が出席した。
 今後,条約化の動きは一層活発になるものと考えられ,わが国としても,災害補償関係2法を基礎としてその見解を早急に固める必要があり,原子力災害補償専門部会においてもこの検討を行なう予定である。


目次へ          第2章 第2節(2)へ