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昭和61年度の原子力委員会による
海外原子力関係者の招へいについて

昭和61年3月18日
原子力委員会




 昭和61年2月14日付原子力委員会決定、中華人民共和国核工業部長 心雄氏招へいについて、下記の随行者をも招へいすることとする。

中華人民共和国  核工業部北京原子炉工学研究設計院長
呂 徳賢氏
中華人民共和国  核工業部外事局副局長
劉 雪紅女史


(参考)

昭和61年度の原子力委員会による
海外原子力関係者の招へいについて

昭和61年3月18日
原子力委員会

 昭和61年度の原子力委員会による海外原子力関係者の招へいを下記のとおり行なう。

1.被招へい老
中華人民共和国  核工業部長(大臣)
 心雄氏
中華人民共和国  核工業部北京原子炉工学研究設計院長
呂 徳賢氏
中華人民共和国  核工業部外事局副局長
劉 雪紅女史

2.招へい目的
 中華人民共和国とは、昨年7月、第4回日中閣僚会議において、日中原子力協力協定が正式署名される等近年著しく原子力分野における協力関係が緊密化している。

 その中にあり、核工業部は中華人民共和国における原子力の研究開発及び原子力発電所の建設を担当しており、同氏は、その長にある。

 今回、同氏を招へいし、原子力分野の諸問題につき意見交換を行なうことにより、日中両国の相互理解を図るとともに今後の原子力平和利用に関する国際協力の発展に資することとする。

3.招へい期間
 昭和61年4月1日(火)  日本着
 昭和61年4月10日(木)  日本発

(参考)《心雄氏の略歴〉
1931年7月6日  淅江省呉興県(現湖州市)生れ(64才)
1952年  天津南開大学機械工業学科卒業
 黒龍江省鶏西炭鉱で働く
1954年  鶏西市の先進技術労働者に選ばれる
1956年  中国共産党入党
1958年  党中央の原子力工業の迅速建設の決定を受け、核燃料工場の準備建設業務に参加(於大西城)
1960年  核燃料工場の主生産現場工芸技術グループ長及び主任
1978年  核燃料工場長
1982年5月  核工業部副部長
1982年9月  中国共産党中央候補委員
1983年6月  核工業部長

《呂徳賢氏の略歴≫
1929年8月4日  淅江省生れ(56才)
1952年  武漢大学電気機械科卒
 〃  湖南大学にて助手として勤務
1954年  モスクワ動力学院研究生
1959年  中国原子力研究所補助研究員
1965年  北京核工程研究設計院の主任技師、研究室主任高級技師を歴任
1982年11月  同院常務副院長
1983年3月  同院院長
 現在に至る

《劉雪紅女史の略歴≫
1952年12月15日  山東省生れ(33才)
1977年  北京外国語学院卒
 現在に至る


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