前頁 | 目次 | 次頁

酒類香気の生成に関する研究



大蔵省 国税庁 醸造試験所

1. はじめに

 酒類は古くから人々に愛され、社会の潤滑油として機能して来た食品で、我が国でも多種類の酒が生産され、酒税は国の有力な財源である。これらの酒類はそれぞれ特有の香味を持ち、時代の流れに従って少しづつ変化しているが、優れた品質の製品を安価に安定して供給するためには先ずその香味生成の機作を知る必要がある。ここでは醸造試験所で行っている原子力試験研究の中で清酒の香気生成機作の解明とその利用に関する研究をとり上げて述べることにする。

2. 清酒の主要香気成分

 多くの酒についてその香気成分は類似しており、ただ、その含量、組成が異なり、酒の香の違いの主な要因と考えられている。この中で主要な成分は高級アルコール、酸とそのエステルで特に後者は微量でも製品に特有の芳香を与える。これらの大部分は発酵中に酵母により生産され、その機作や酵母菌株、発酵条件の影響を知ることが先ず必要である。

 ここで清酒の製造工程を簡単に説明しよう。

 米は唯一の原料穀類で、精米歩合70%程度(米の表層を重量の30%ほど削りとった)の白米をこしきで蒸して用いる。その一部に黄麹菌(Aspergillus oryzae)の胞子を接種し、約40時間培養して麹を作る。麹と蒸米を水に加え、純粋培養した清酒酵母を接種して増殖、発酵させて酒母を作り、麹、蒸米、水と混合して主発酵を行わせる。蒸米と麹は3段階に分けて投入し、酵母の増殖や雑菌汚染に対する抑止力に併わせて次第に物料を増して行く。発酵は低温で進行し、最高品温は15℃前後で、麹の酵素により米のでんぷんが分解されてグルコースが生成し、これが酵母の働らきでアルコールに変る。発酵は15~25日間で終了し、アルコール分17~20%のもろみは搾って固形物(酒粕)を分離し、液部は清澄させた後、通常は加熱殺菌後熟成させて製品とする。

 清酒は著量のn-プロパノール、イソブタノール、イソアミルアルコール、エネチルアルコールとその酢酸エステルである酢酸イソアミル、酢酸フエネチル、酢酸エチルやカプロン酸、カプリル酸、カプリン酸のエチルエステルを含み、特にエステル含量は香気に大きく影響する。

3. 高級アルコールの生成機作

 高級アルコールは酵母により次の2経路を経て生成される。

① ロイシン、バリン、イソロイシン等→酵母菌体→イソアミルアルコール、イソブタノール、活性アミルアルコール等

② グルコース→酵母菌体→ケト酸→高級アルコール

 ↓

アミノ酸

 ロイシン-14Cを用いた実験の結果、培地中のアミノ酸(ロイシン、バリン、イソロイシン等)により①経路のfeed back阻害が起り、②経路に沿って高級アルコールが生成される一方で、①経路のアミノ酸の酵母菌体内とり込み、高級アルコール変換もアンモニウム塩や共存するアミノ酸の存在により規制される複雑な系であることが明らかになった。

 ビール酵母、ワイン酵母、清酒酵母それぞれ2経路の関与の程度が異なり、生成する高級アルコール組成も変化し、酵母菌株が酒質に与える影響が大きいことが理解できる。

 高級アルコール生成系に異常を生じた酵母を用いて香味の異なる新タイプの酒を作る目的で清酒酵母のノルロイシン・ノルバリン耐性突然変異株を造成した。バリン-14C、ロイシン-14Cを用いて酵母のとり込みの初速度を測定した結果、いずれの変異株も膜透過機能が低下し、結果として①経路に沿った高級アルコールの生成が活発に行われることが認められ、醸造への応用が期待される。

4. エステルの生成

 前述のようにエステル、特に酢酸イソアミル、カプロン酸エチル、カプリル酸エチルは清酒の主要な香気成分で、それぞれ数ppm程度含まれ、一般に含量が増すほど芳香が高まり、優れた吟醸酒では普通酒の2倍以上が含まれる。これらの生成は酵母菌株により大きく異なり、清酒酵母は一般に生成量が大きい。一方、発酵条件も生成に影響し、好気条件では生成は著るしく低下し、精米程度の低い白米も同様の結果となる。このような粗白米は多量のオレイン酸、リノール酸(不飽和脂肪酸)とパルミチン酸(飽和脂肪酸)を含むが、オレイン酸-14Cとパルミチン酸-14Cを用いた実験の結果から米中のこれら脂肪酸は迅速に酵母菌体にとり込まれ、主として細胞膜の構成フォスハチジルコリンなどに入る。一方、イソアミルアルコール-14Cを用いた実験から次の事実が明らかになった。エステル合成酵素が菌体内に存在し、生成したイソアミルアルコールとアセチルCoAから酢酸イソアミルを作る。生成したエステルは細胞膜を通って発酵液中に溶出するが、前述の不飽和脂肪酸の多い細胞膜はエステルの透過性が低く、飽和脂肪酸の多い細胞膜の酵母に比べて少量のエステルが発酵液中に存在することになる。好気条件下で酵母は著量の不飽和脂肪酸を合成し、細胞膜の不飽和脂肪酸含量も高まるが、もろみのような嫌気条件下では培地からとり込んだ脂肪酸が多く、不飽和脂肪酸を多量に含む粗白米を用いたもろみでは酵母菌体の不飽和脂肪酸含量は高く、結果としてもろみ中の酢酸イソアミルなどエステル含量は低くなる。

 このように酵母の高級アルコールやエステル生成機作が明らかになったことから従来、酒造技術者の勘を頼りに醸造されて来た芳香の高い吟醸酒の原料として不飽和脂肪酸の少い高度な精白米が用いられる理由も理解でき、製造工程を科学的に管理する方法が明らかとなり、多くの酒造場で吟醸酒が生産されるようになった。これに関連して原料米をリパーゼを含む水に浸漬することにより白米中に含まれる脂肪酸グリセライドを分解し、遊離した脂肪酸を米を蒸す工程で分解揮散する方式が開発され、香気成分の多い清酒を低コストで醸造することができるようになった。

5. その他の研究成果と今後の予定

 清酒は熟成中に濃色になり、新鮮な香は失われるが、深味のあるまろやかな味になる。清酒中にアミノ酸やグルコースが多いと熟成は早く、着色も増加する。清酒にグルコース-14Cを加えて熟成中の変化を調べた結果、熟成時の着色はアミノ酸とグルコースが反応し、3-デオキシグルコソン(3-DG)を経てメラノイジンを生成するメラノイジン反応が主体であることが明らかとなり、熟度の予測や温度管理の指標として3-DGを使用することの適切さが証明された。

 その他清酒の主要有機酸であるコハク酸とリンゴ酸の標識化合物を用いた酵母の生成機作の解明など現在RIを用いて酒質の向上や製造の合理化に関する研究が行われているが、今後は放射線を利用した酒類や原料の殺菌、熟成、優れた性質を持つ酵母や麹菌の造成などの研究が予定されている。



前頁 | 目次 | 次頁