第7章 放射線・放射性同位元素の利用の展開
7-1 放射線利用に関する基本的な考え方
放射線・放射性同位元素の利用(以下「放射線利用」という。)は、原子力エネルギー利用と共通の科学的基盤を持ち、先端的な科学技術や工業、医療、農業、環境保全、核セキュリティ、核鑑識等の幅広い分野で利用され、国民生活に広く関係しています。
放射線は、生体組織に対して過度に照射すると障害をもたらしますが、
1.物質を透過するため、物質や生体の内部を細部まで調べることができる。
2.局所的にエネルギーを集中させ、材料の加工や特殊な機能の付与ができる。
3.細菌やがん細胞などに損傷を与えて、不活性化することができる。
4.化学物質などに照射して別の物質に変えることができる。
など、応用、利用できる有益な性質があります。例えば、放射線による加工技術を利用して半導体や自動車タイヤをはじめとして様々な製品が生み出されています。また、放射線を用いた診断やがん治療は国民の健康維持に貢献しています。
近年では、理学・工学・医学など従来の垣根を越えた分野間の連携が盛んに行われるようになっています。さらには、加速器により生成する短寿命のα線放射性核種をがん治療に用いるシステムなどは、複数の専門領域の融合のみならず、国や大学、研究機関、民間企業が連携したオールジャパン体制での取組が求められています。放射線とは、一般的に核反応等により放出される高エネルギー粒子線並びに電磁波のことを指し、α線、β線及び陽子線のように電荷をもった粒子線や中性子線のような荷電していない粒子線及びX線、γ線のような電磁波など様々な種類があります。放射線は生体組織に対して過度に照射すると障害をもたらしますが、一方で、活用することによって我々の生活の向上に寄与する様々な性質を持っています。我が国では、放射線(図7-1)の有益な性質を学術研究や産業利用に活用する研究開発が進められてきました。今日では、放射線は先端的な科学技術や工業、医療(診断と治療)、農業、環境保全、核セキュリティ等の幅広い分野で利用され、国民の福祉、国民生活の水準向上等に大きく貢献してきています(図7-2)。また、加速器及び関連技術の格段の進歩により、量子ビームテクノロジーというイノベーションの有力なツールとしての一分野を形成してきています。
図 7-1 放射線の種類
(出典)地人書館 中村尚司著「放射線物理と加速器安全の工学」(1995年)に基づき作成
図 7-2 幅広い分野での放射線利用
(出典)第4回原子力委員会資料 第1号( 一財)放射線利用振興協会 岡田漱平「量子ビーム科学・放射線利用の過去・現在・未来」(2017年)
原子力利用に関する基本的考え方では、放射線利用に関して、今まで想定されていなかった領域も含めたイノベーションを創出することへの期待が示されています。また、放射線利用の観点での「原子力」が理学と工学の接点となり、イノベーションや人材需要への対応を先導することが期待されています。そして、世界をリードした市場の開拓に挑戦することにつながることになります。そのためには、今後も、既存基盤を戦略的かつ有効に利用していくだけでなく、放射線利用の更なる活用のための基盤整備(設備等の老朽化対策や適切な人材配置等)が必要です。また、新たな技術シーズの発掘や技術の高度化を進めるのと並行し、放射線による健康や環境等への影響の研究にも合わせて注力していくことも重要です。さらに、放射線利用が国民生活の向上に貢献しているという認識を広める必要もあります。
7-2 放射線利用に関する国際的な動向
放射線は国際的にも、工業や医療等、様々な分野で利用されています。特に開発途上国においては、健康、農業、産業、エネルギー等の分野における開発目標を達成するために、放射線利用に対する需要が高く、IAEAはこれらの国に対する支援を行っています。様々な支援のうち、IAEAは、放射線利用の専門家育成に焦点を当てており、1958年のIAEA創設以来、5万人近くの技術者がIAEAの研究施設での研修に参加し、各国における放射線技術者の育成に貢献しています [1]。
IAEAは2017年4月、産業界や研究機関による放射線利用の新たな国際的プラットフォームとする目的で、「放射線科学技術利用に関する国際会議」(ICARST 1 2017)をウィーンで開催しました。ICARST2017には各国の放射線技術の専門家、事業者や科学者等が500名以上参加し、放射線利用のケーススタディの紹介等が行われました [2]。7-3 我が国における放射線利用環境の整備
(1)放射線利用に関する規則
放射線利用は社会に大きな効用をもたらしていますが、関連機器や放射性物質は、取扱いを誤れば人の健康や環境に悪影響を与える可能性があります。このため、放射線による障害を防止し、公共の安全を確保するため、放射性物質及び放射線発生装置に係る使用、販売、廃棄等に対する規制や保安及び保健上の措置に関することが各種の法律で定められています。
放射線利用は、放射性同位元素や放射性発生装置の使用などを規制することにより、放射線障害を防止し、公共の安全を確保することを目的に制定された「放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律」(昭和32年法律第167号)、放射線障害等から労働者を保護する「労働安全衛生法」(昭和47年法律第57号)、放射線や放射性同位元素等を診断や治療で用いる際の基準等を定める「医療法」(昭和23年法律第205号)及び医薬品等の安全性等の確保のために必要な規制を行う「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」(昭和35年法律第145号)等に基づいて、厳格な安全管理体制の下で進められています。
(2)放射線防護に関する研究
放射性同位元素及び放射線発生装置を利用する際に、その利用業務に従事する者に放射線障害が発生することを防止するために講ずる措置を「放射線防護」といいます。原子力安全のための規制を担う原子力規制委員会では、2017年度から「放射線対策委託費(放射線安全規制研究戦略的推進事業費)」として、放射線源の規制及び放射線防護によって安全を確保するための調査や研究を推進する事業と、規制や放射線防護研究の活動の土台となる関連機関のネットワーク構築を支援する事業の二つを実施しています。特に放射線利用に関しては、2017年度の調査や研究を推進する事業において、ラジオアイソトープ(RadioIsotope)を活用した「短寿命α核種等のRI利用における合理的な放射線安全管理のあり方に関する研究」といった重点テーマが設定されています。量研放医研は、緊急被ばく医療体制の中核機関として、更に実行性のある緊急時の医療体制・支援体制の確立を目指しています。また、高線量被ばく患者に対する効果的な治療に資するため、最適な治療剤候補の同定や、多様な被ばく状況に対応可能な迅速かつ正確な線量評価手法の開発等の研究を行っています。
原子力機構は、外部被ばくや内部被ばくに関する研究や関連する基礎データの整備等を進めており、核医学検査・治療に伴う患者の被ばく線量評価のための米国核医学会の線量計算用放射性核種データ集の改訂に貢献する等の成果も上げています。
(3)放射性同位元素及び放射線発生装置の利用状況
放射線障害防止法の規制の対象となる放射性同位元素又は放射線発生装置は、様々な用途で幅広く利用されています。それらの使用事業所は、2018年3月末時点で8,162事業所に達しています。これを機関別に見ると、民間企業が5,036か所、研究機関が441か所、医療機関が1,121か所、教育機関が507か所、その他の機関が1,057か所です(図7-3) [3]。
図 7-3 放射性同位元素又は放射線発生装置の使用事業所の推移
(出典)原子力規制委員会「表2 機関別使用事業所数の推移」(2017年)に基づき作成
これらの事業所においては、コバルト60が医療用具の滅菌等の照射装置やレベル計に、ニッケル63がガスクロマトグラフ装置に、クリプトン85が厚さ計に、ストロンチウム90がたばこ量目制御装置に、セシウム137がレベル計や密度計等に、イリジウム192が非破壊検査装置に、アメリシウム241が厚さ計や密度計等に主に使用されています。また、医療機関においては、ヨウ素125、イリジウム192、金198等が密封小線源として、コバルト60及びセシウム137が遠隔照射治療装置及びガンマナイフ装置の線源として利用されています。
放射線障害防止法に定める放射線発生装置は、2017年3月末時点で1,711台に達しています。放射線発生装置の75.0%は医療機関に設置され、がん治療等に利用されています [4]。また、同装置は教育機関、研究機関、民間企業等にも設置され、様々な研究開発や事業活動等に利用されています。そのほか、放射線障害防止法の規制対象とならない低エネルギー電子加速器、イオン注入装置等も民間企業等に多数設置され、幅広く利用されています。
放射性同位元素や放射線発生装置の利用によって製造された医療機器や加工製品は、我が国の国民生活に広く普及しており、2015年度の放射線利用の経済規模は約4兆3,700億円と評価されています(図7-4)。
図 7-4 2015年度の我が国における放射線利用の経済規模
(出典)第29回原子力委員会 資料第1-1号 内閣府「放射線利用の経済規模調査」(2017年) [5]
コラム ~放射線利用規模の変化~
原子力委員会では2017年に、2005年度の調査から10年ぶりに、2015年度の放射線利用の経済規模を調査して公表しました [5] [6]。その経済規模は、放射線を利用したサービスの価格や放射線照射の割合を考慮した製品の市場価格等から推計したもので、放射線が国民の生活にどの程度貢献しているかを示す指標の一つと捉えることができます。
2015年度の放射線利用の経済規模を2005年度と比較してみると、放射線利用分野の全体として増加しており、放射線利用の国民生活への貢献が着実に拡大していることが伺えます。2015年度の工業分野や農業分野における放射線利用は、2005年からほぼ横ばいでしたが、医療・医学での放射線利用の成長が顕著に表れています。特に、放射線を利用した診療行為が増加しているためと考えられ、例えば粒子線治療については、2005年度は約27億円であったのに対し、2015年度は約140億円にまで増加しており、経済規模は10年でおよそ5倍に成長しています。
調査年度 工業分野 医療・医学分野 農業分野 放射線利用合計 エネルギー利用 2015年度 22,200
19,100
2,400
43,700
3,307
2005年度 23,000
15,000
2,800
41,117
47,410
1997年度 21,773
12,000
1,167
35,000
57,913
2005年度と2015年度の放射線利用の経済規模の比較
7-4 我が国における放射線利用に関する取組と現状
(1)工業利用
我が国では、工業分野において、材料の検査や生活に身近な製品の材料加工等に放射線が利用されています。2015年度の放射線利用の経済規模は約4兆3,700億円と評価されていますが、このうち、工業分野は約2兆2,200億円と、他の放射線利用分野と比較して、最大の規模となっています(図7-4)。特に病院で使われるX線検査と同様の原理で放射線透過検査を用いる材料検査、材料の改善を行う材料加工及び産業活動で放出される多種多様な廃棄物について放射線を利用することにより有害物の除去や滅菌などを行うなど環境に優しい技術を開発する環境保全等の様々な観点で放射線が活用されています。
例えば、部材や製品の厚さ、密度、水分含有量等の精密な測定や非破壊検査等においても放射線が利用されています。私たちの生活に関係する材料検査の例としては、鉄道のレールや自動車部品の検査が挙げられます。このような検査や測定に用いられる装置は、2017年3月末時点で、厚さ計が376事業所に2,469台、レベル計が132事業所に1,670台、非破壊検査装置が106事業所に972台設置されています [4]。
また、材料加工の観点から強度、耐熱性、耐磨耗性の向上等、材料の改質にも用いられています。特に利用規模が大きい半導体加工においても、各プロセスで電子線、X線、イオンビーム等の電磁波や粒子線が利用されています。さらに、自動車タイヤ、テレビに使われる耐熱電線・ケーブル、熱収縮チューブ・フィルム、発泡プラスチック等の製造にも電子線を用いた放射線加工技術が利用されています。近年では、放射線橋かけ 2 によるハイドロゲル創傷被覆材や燃料電池用電解質膜の製品化がされています(図7-5)。
このように、工業分野での放射線利用は多岐にわたり、その経済規模は先に紹介したように放射線利用全体のおおよそ半分を占めています(表7-1、図7-6)。
我が国における放射線利用の経済規模のうち、工業利用が占める割合は約半分の2兆2200億円であり、そのうち半導体製造は1兆円程度の経済規模を占めています。特に半導体製品において、原子炉内で発生する中性子を活用して製造されるNTD(NeutronTransmutationDoping)シリコンは極めて高性能であるため、大きな電力を扱うパワー半導体に不可欠であり、今後の産業界の需要が高くなっていくと予想されています。
しかし、国内においてシリコンの照射・製造が可能な原子炉JRR-3では、東日本大震災以降、新規制基準適合性審査への対応や耐震工事などの取組により停止したままの状態です。一方、海外では10か国以上にて、試験研究炉を活用したシリコン照射に関する商業利用がされています。特に、オーストラリアのOPALやドイツのFRM-Ⅱなどの原子炉は、大口径(12インチ)のシリコンについても照射が可能であることや、照射孔が複数あり運転日数も長いため、JRR-3と比較して、年間生産量はOPALで10倍、ERM-Ⅱで2.5倍になっています。
このため、国内のシリコンを製造する企業では、安定的な供給等の観点から、生産の大部分を海外の研究炉で照射しており、活用時間を確保するために日本企業同士で競争しています。海外では研究用原子炉であっても、工業用ニーズを踏まえて、小型炉を設置・運営していることが確認されます。今後の我が国の国際競争力を担保する上でも、まずはJRR-3の再稼働に向けた取組を進めるとともに、原子力機構は利用状況の改善を図りつつ、その経験を活かして、今後、研究用原子炉の方向性を検討するに当たっても、海外の研究炉の取組を参考にしつつ、RIやシリコン製造など産業界からの様々なニーズを踏まえ、文部科学省の枠を超えて省庁を横断して検討していくことが期待されています。
このほかにも放射線は、化学殺菌のような残留有害物がないことや、包装したままでの滅菌ができること等から、注射針、注射筒、縫合糸等、100種類以上の医療用具の減菌にも活用されています。このほかにも放射線は、化学殺菌のような残留有害物がないことや、包装したままでの滅菌ができること等から、注射針、注射筒、縫合糸等、100種類以上の医療用具の減菌にも活用されています。図 7-5 放射線を利用した製品の例
(出典)第4回原子力委員会資料第1号 放射線利用振興協会 岡田漱平「量子ビーム科学・放射線利用の過去・現在・未来」(2017年)
表 7-1 工業分野での放射線利用 利用分類 適用対象項目 利用分類 適用対象項目 半導体加工
半導体素子+集積回路
高分子加工
ラジアルタイヤ・ゴム
半導体製造装置
電線・ケーブル
照射設備
診断用X線装置
発泡プラスチック
医療放射線関連装置及び製品
放射線計測機器等
放射線機器・RI装備機器
イオン加速器
放射線減菌
注射筒
画像診断用核医学装置
真空採血管
治療用粒子加速器
手術用不織布製品
電子加速器
注射針
医療用密封同位元素
輸液・輸血セット
検査用核医学装置
チューブ・カテーテル
放射線同位元素治療装置
手術用手袋
非破壊検査
(放射線検査)-
人工血管
放射線減菌
人工関節・人工骨
縫合糸
透析器
ガーゼ・脱脂綿
放射線計測機器等
放射線防護用設備・機器
図 7-6 工業分野での放射線利用の経済規模
コラム ~研究用原子炉JRR-3における中性子産業利用~
茨城県東海村の原子力科学研究所にあるJRR-3は、昭和37年に初の国産研究用原子炉(研究炉)として建設され、原子力の黎明期を支える多くの研究に広く利用されました。研究炉の需要の広がりに応じて、昭和60年から平成2年にかけて大規模な改造を行い、新たに冷中性子源、中性子導管等を導入し、本格的な中性子ビーム利用も可能にした我が国最大級の多目的研究炉です。中性子には,「観る」、「創る」、「治す」という機能がありますが、JRR-3では、中性子の優れた透過力を利用した工業製品内部の可視化、中性子が持つ波の性質を利用した機械構造物を構成する物質のミクロな原子構造解析に代表される「観る」機能(ビーム利用)と、中性子を照射し、物質の性質を有用なものに変化させる「創る」機能(照射利用)を利用した産業利用が行われてきました。
中性子ビーム利用による産業利用の代表例として、中性子ラジオグラフィーと中性子残留応力解析があります。中性子は、金属に対しても大きな透過力を持っていますが、その透過力は元素ごとに異なり、特にX線が不得意とする水素にも感受性を持つという大きな特徴を持ちます。そのために、内部に水やオイル、高分子材料など水素を多く含む物質を含む工業製品中の内部可視化に大きな威力を発揮するのが、中性子ラジオグラフィーです。
研究用原子炉JRR-3で中性子を使って行われている産業利用
JRR-3では、稼働状態を模擬したエンジン内部のオイルの動きを観察することで、エンジンの低燃費化につながる摩擦損失の低減や、次世代自動車などの電力源として有望な燃料電池の内部で発電時に生成される水の挙動を解析し、自動車の環境負荷低減につながる電池の性能向上に有用な知見を与えました。また、建築物や橋梁などの老朽化の原因となるコンクリート中の水の動きの観測により、構造物の長寿命化にも貢献してきました。
中性子残留応力解析は、中性子の優れた透過力とミクロな結晶構造のひずみを測定することができる特徴を利用した、材料深部の数cmに及ぶ応力・ひずみ分布を非破壊かつ非接触で測定できる唯一の方法です。JRR-3では、原子炉配管などを模擬した溶接部、自動車部品や鉄道レールなどの輸送機器、さらには、コンクリート構造物内部の鉄筋の応力解析など、材料開発から製品開発、利用、保守に至る機械・構造物のライフサイクルを支える材料評価技術として、工業製品等の高性能化、高信頼性化、長寿命化に貢献してきました。
ほかにも、JRR-3は、半導体や鉄鋼製品等の品質管理、製品開発、各種環境試料の元素分析に有用な放射化分析、農産物や石材等の産地同定、化学計測のための標準物質の詳細分析のための即発y線分析に加え、電子部品の中性子照射損傷効果の検証、フィッショントラック法による地質試料の年代測定等の非破壊検査、中性子遮蔽材の遮蔽性能の実測など、幅広い分野で使われてきました。
照射利用では、RI製造、NTD(NeutronTransmutationDoping)シリコン製造が代表的なJRR-3での産業利用です。RI製造では工業用途のRIとして60Co、169Yb、192Ir等が、医療用途として、153Gd、192Ir、198Au等がそれぞれ製造され、工業製品の透過撮影等の工業分野、悪性腫瘍の放射線治療等の医療分野に貢献してきました。また、シリコン半導体としては極めて高い品質を誇り、将来の電子デバイスの高度化や電車のインバーター等で利用される大きな電力を扱うパワー半導体に不可欠と考えられるNTDシリコン半導体製造では、年間約4トンの製造実績がありました。
しかし、東電福島第一原発事故後に制定された研究炉の新規制基準適合性審査のため、東日本大震災以来、JRR-3は停止したままとなっています。ビーム利用の一部は、大強度パルス中性子源を使ったビーム利用実験が可能なJ-PARCの物質・生命科学実験施設(MLF 3 )でも行われていますが、定常中性子ビーム利用及び照射利用に関しては基本的に海外の研究炉に頼らざるを得ない状況が続いています。JRR-3では平成18年から6年間、中性子の産業利用推進を目的とした「中性子利用技術移転推進プログラム(文部科学省)」が行われ、産業利用件数が右肩上がりに伸びていた矢先に、時が止まってしまいました。
東日本大震災から7年を経過した現在では、学術界に加え産業界からも一刻も早いJRR-3の運転再開が強く望まれています。新規制基準適合性審査合格と耐震補強工事後の平成32年秋の運転再開を目指すとともに、停止期間中に失われてしまった国際競争力を回復するための装置の高度化や産業利用を促進するための体制強化など、原子力科学研究部門として研究成果の最大化に向けた準備を最優先で進めています。コラム ~研究炉による半導体の製造について~
我が国における放射線利用の経済規模のうち、工業利用が占める割合は約半分の2兆2200億円であり、そのうち半導体製造は1兆円程度の経済規模を占めています。特に半導体製品において、原子炉内で発生する中性子を活用して製造されるNTD(NeutronTransmutationDoping)シリコンは極めて高性能であるため、大きな電力扱うパワー半導体に不可欠であり、今後の産業界の需要が高くなっていくと予想されています。
しかし、国内においてシリコンを照射・製造が可能な原子炉JRR-3では、東日本大震災以降、新規制基準適合性審査への対応や耐震工事などの取組により停止したままの状態です。一方、海外では10か国以上にて、試験研究炉を活用したシリコン照射に関する商業利用がされています。特に、オーストラリアのOPALやドイツのFRM-Ⅱなどの原子炉は、大口径(12インチ)のシリコンにも照射が可能であることや、照射孔が複数あり運転日数も長いため、JRR-3と比較して、年間生産量はOPALで10倍、ERM-Ⅱで2.5倍になっています。このため、国内のシリコンを製造する企業では、安定的な供給等の観点から、生産の大部分を海外の研究炉で照射しており、活用時間を確保するために日本企業同士で競争しています。
海外では研究用原子炉であっても、工業用ニーズを踏まえて、小型炉を設置・運営していることが確認されます。今後の日本の国際競争力を担保する上でも、まずはJRR-3の再稼働に向けた取組を進めるとともに、今後、研究用原子炉の方向性を決定するにあたっても、海外の研究炉の取組を参考にしつつ、RIやシリコン製造など産業界からのニーズを踏まえ、文科省の枠を超えて省庁を横断して検討していくべきと考えられます。(2)医療・医学利用
医療・医学分野における放射線利用については、X線検査やCT検査等による画像診断や、放射線照射によるがん治療が、多くの医療機関で採用されています。経済規模の視点からも、2005年度からの10年間で約4,000億円の増加があり、放射線を用いた画像診断や治療が拡大していることが伺えます(図7-4) 4 。
放射線を利用した画像診断には、外部から放射線を照射し、身体の内部を撮影するX線検査や断面を撮影するCT検査等と、放射性同位元素を用いた核医学検査があります。核医学検査の代表例にはポジトロン断層法(PET 5 )やシンチグラフィがあります。核医学検査では、体内に放射性同位元素を含む薬剤を投与し、その薬剤が発する放射線を捉えることにより、人体内での薬剤の動態や分布を画像化することができます。例えば、がん細胞に集積しやすい薬剤を投与すれば、人体内のどこにがん細胞があるかを詳細に把握することができるため、がんの早期発見につながります。また、最近では、アルツハイマー病患者の脳に蓄積する異常タンパク質に結合する放射性薬剤を用いて、アルツハイマー病の早期診断につなげる研究も行われています(図7-7)。
図 7-7 アルツハイマー病の発症と進行に伴う異常タンパク質の脳への蓄積の変化
(出典)国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構放射線医学総合研究所ウェブサイト「認知症で神経細胞死を引き起こす異常タンパク質の生体での可視化に世界で初めて成功」 6
また、放射線の細胞殺傷能力を利用した放射線照射によるがん治療が多くの医療機関で採用され、外科手術と比較して、患者の体への負担が少ないなど、更なる普及が期待されています。その方法は、身体の外から放射線をあてる「外部照射」と、身体の内側からがんやその周辺に放射線をあてる「内部照射」に分けられます。外部照射は使用する放射線や方法等により幾つかの種類に分けられますが、放射線機器へのコンピュータ技術の応用により患者に対する身体的負担の少ない治療を実現する手段の一つとして身近な存在となっています。例えば、強度変調放射線治療は、加速器で発生させた放射線ビームを照射する範囲や強度、方向をコンピュータで最適化することで、がん細胞周辺の正常組織への放射線量を抑え、がん組織への集中的な照射を実現しています(図7-8)。
図 7-8 強度変調放射線治療の概念図
(出典)国立研究開発法人国立国際医療研究センター病院「強度変調放射線治療(IMRT)」 7
最近は、加速器で発生する陽子線や重粒子線等の粒子線もがん治療に用いられています(図7-9)。粒子線治療には、X線治療と比較して、がん病巣部により高い量の放射線を照射することができる利点があります。2018年3月時点で、国内には6か所の重粒子線治療施設と14か所の陽子線治療施設があります [7]。重粒子線治療については、量研放医研において、重粒子線がん治療装置(HIMAC 8 )を使用した臨床試験及び先進医療等により、2018年2月までに、前立腺、骨・軟部、頭頸部、肺、すい臓等の腫瘍を中心に11,000例を超える臨床例が蓄積されています。量研放医研を含む各地の治療施設においても、治療の実績が挙げられており、2016年3月までに、臨床試験及び先進医療を合わせて約15,000例が報告されています。このように重粒子線治療が今後普及していくためには、これまで量研放医研で実施してきた臨床研究の成果に基づく適応の明確化と治療法の標準化が必要です。このため、量研放医研は2016年に、全国の重粒子線治療施設での共同臨床研究を実施する「重粒子線治療多施設共同臨床研究組織(J-CROS)」を立ち上げました [8]。
内部照射には、放射性同位元素を容器に密封してがん組織等に直接挿入する密封小線源治療と、経口薬や静脈注射によって非密封の放射線同位元素を体内に取り込む内用治療があります。我が国で利用可能な放射性同位元素内用療法の一つであるストロンチウム療法は、骨に集積しβ線を出す放射性のストロンチウム89を投与することで、骨に転移したがんによる痛みを緩和します。これらに加え、ホウ素中性子捕捉療法(BNCT 9)と呼ばれる、がん細胞に集まる性質を持つホウ素入り薬剤を投与し、患部にエネルギー強度の弱い中性子を照射することで、中性子とホウ素の核反応で放出されるα線とリチウムががん細胞を効率的に死滅させる治療法が悪性脳腫瘍等に実施されています。また、加速器で生成した短半減期のα線を出すアスタチンを活用したα線核医学治療法では、2028年に臨床導入を目指しています。これらは、国内の大学の加速器センターが連携して進めており、放射線が実用の先端を開いているのみならず、大学のアイデアを実用に展開した例としても注目されています。
放射線治療は国民生活に普及してきていますが、課題もあります。例えば、粒子線治療のような医療技術は、施設整備に多大な費用を要するため、全国での配置は限られているのが現状です。また、高度化していく放射線治療を適切に提供していくために、治療で使用する機器の精度管理や、放射線の照射計画に携わる専門職を確保する必要性もあります。また、米国をはじめとする海外では、「医学物理士」と呼ばれる放射線治療のハイテク化を支える専門職がおり、医療現場で活躍しその社会的地位や認知度は高い存在です。我が国では今後の放射線治療の拡大に向けて、このような役割を担う人材を持ち込むことも重要です。これらの課題に対応するために、2017年度から2022年度までの6年程度を対象として国が定めた「がん対策推進基本計画(第3期)」では、標準的な放射線治療の提供体制について、地域間の格差是正を進めるとしています。また、高度な放射線治療については、必要に応じて、都道府県の間での連携や、医学物理士等の治療に必要となる人材の在り方について検討するとしています [11]。
図 7-9 粒子線治療の登録患者数(1994年6月~2016年3月)
(出典)(公財)医用原子力技術研究振興財団「各粒子線施設における治療の登録患者数(年度別)」(2018年) [9]、国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構放射線医学総合研究所病院「放医研における重粒子線治療の登録患者数」(2017年) [10]に基づき作成
コラム ~がんと放射線医療~
日本人の半数以上が生涯でがんに罹患し、3人に1人ががんで死亡しています。がん治療に必要なCTスキャナについては、世界のおよそ3分の1が我が国に集中しています。このような背景から、我が国における医療用被ばくは世界トップレベルクラスですが、被ばく量がCTの100分の1以下である胸部レントゲン撮影で見つからなかった肺がんがCTで発見されることなど、病院では日常的に見られる事です。そして、技術の進歩によりCTの被ばく量自体も今後、大きく減ると見られています。
がんの早期発見のカギとなるがん検診でも、CTの優位性が証明されつつあります。ヘビースモーカーを対象にした肺がん検診で、検査方法を“低線量CT”か胸部レントゲン撮影か、無作為に割り当てて、早期発見の効果を評価した米国国立がん研究所の大規模研究があります。その研究の結果、CT検査を受けた人の死亡率は胸部レントゲン撮影の場合よりも20%も低いことが分かりました。
放射線治療は手術、薬物療法と並ぶがん治療の3本柱の一つです。コンピュータや機械工学の進歩を受けて、がん病巣にだけ放射線を集中させる「高精度化」が進み、肺がんや前立腺がんなど、多くのがんで手術と同じ位の治癒率をもたらしています。我が国では更なる普及が期待されるが、欧米ではがん患者の6割が放射線治療を受けているものの、我が国では3割程度にとどまっています。またX線CT診断装置は我が国で普及しており、日本メーカーの世界シェアも大きいものの、核磁気共鳴を利用する診断装置は欧米のメーカーのシェアが大きく、放射線治療用加速器は米国のベンチャー企業のシェアが大きい状況です。今後の放射線治療の発展のためには、米国で医学物理士が果たしている役割を我が国の医療現場に持ち込む必要性があるとともに、中学校、高等学校でのがん教育が開始されるなど放射線教育の充実も重要です。
放射線治療の様子
コラム ~加速器を用いた新たながん治療法の開発~
植物や人体を含む私たちの身の回りの様々な物質の構成元素の原子核を、放射性同位体(RI)に置き換え、RIから放出される放射線を手がかりにすることにより、物質内の元素の挙動をリアルタイムで追跡する究極の微量元素分析が可能になります。RIで標識化された元素の化学的性質は普通の元素と変わらないため、RIが役立つ分野は、物理、化学、生物等の基礎科学から、工学、農学、薬学、医学等における応用開発まで極めて広いです。近年は、加速器を用いて製造される半減期の短い、短寿命RIを利用した先進的な放射線医療薬品開発、トレーサ実験、イメージングの応用展開が活発になって来ました。中でも、新たな進行がん治療法として期待を集めているのが、α線核医学治療です。
この治療法では、α線を放出するRIとがん細胞に集積する性質を持つ薬剤を結合し体内に投与します。がん細胞に自発的に集積したRIから放出されるα線は細胞のすぐ近くで全てのエネルギーを失うので、極めて高いがん細胞殺傷能力を持ち、かつ、体外には出てこないので、治療に際して隔離病棟が必要ありません。患者さんに優しい、極めてQOL 10 の高い治療法です。2016年には、ドイツのハイデルベルグ大学で、体中に転移が見られる前立腺がんの患者さんに、α線放出核種アクチニウム-225を用いた薬剤を投与した結果、がんが消滅するという衝撃的な治験結果が発表されました。
我が国では、がんのPET診断によく使われるフッ素と同じハロゲン族の元素であるアスタチン-211を用いた薬剤開発が大阪大学や量子科学技術研究開発機構などで活発に研究されています。2018年3月には、大阪大学でアスタチン‐211を製造し、がんのPET診断薬を基にアスタチン-211医薬候補を合成し、担がんマウスに投与したところ、顕著ながんの増殖に対する抑制効果が確認されたことが報告されました。
α線核医学治療の臨床導入は2028年頃を目指していますが、その実現のためには、大強度で小型の新たな加速器の開発や、半減期の短いα線放出核種を取り扱う合理的な法令等の整備など多くの課題の解決が必要です。医学・工学・理学の分野間の連携のみならず、国や大学、機関、民間企業が連携したオールジャパン体制での取組が求められています。
α線核医学治療法について
短寿命RI供給プラットフォームと将来のα線核医学治療薬の供給体制について
(3) 農業利用
農業分野では、品種改良や害虫防除、飼料等の殺菌、対象物の振る舞いや分布を追跡するアクチバブルトレーサー 11 、緑化資材の開発等に放射線が利用されています。
① 品種改良
植物にγ線等を照射することによって、低タンパク白米のイネや脱粒性をなくした飼料用イネ、黒斑病に強いナシ、斑点落葉病に強いリンゴ、花の色や形が多彩なキクやバラ、病害虫に強く冬でも枯れない芝等、多数の新品種が作り出されてきました。このような放射線の利用により生み出された新品種は、農薬使用量を削減できるため、農業関係者の経済的・身体的負担の軽減や環境の保全に貢献するだけでなく、消費者の多様なニーズに合った商品開発にも貢献しています。
国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構は、炭素イオンビームをコシヒカリの種に照射することにより、人体に健康影響を及ぼし得るカドミウムをほとんど含まないイネの突然変異体「コシヒカリ環1号」(図7-10)を開発しました。「コシヒカリ環1号」をほかの水稲品種と交配させることで、低カドミウム品種の普及と、カドミウムによる健康影響のリスク低減が期待されます。
図 7-10 高カドミウム土壌で栽培したときの玄米カドミウム濃度と籾・玄米の外観形質
② 害虫防除
人工的に飼育した害虫の雄のさなぎに適量の放射線を照射すると、それから羽化した成虫は正常な雌成虫と交尾することはできますが、受精させることができなくなります。このような雄の成虫を自然界の害虫集団に継続的に大量に放飼すると、雌が受精能力のある雄と交尾する機会が少なくなり、受精卵を生む割合が減り、やがて害虫集団の絶滅が期待されます。このような害虫防除方法を不妊虫放飼法といいます。
この方法により、沖縄県と奄美群島に生息するウリミバエを根絶する事業が、1972年から行われています。1993年にこれらの地域からウリミバエが根絶されたことにより、ゴーヤ等のウリミバエが寄生する果菜類の移動規制が解除され、県外への出荷ができるようになりました。しかし、沖縄県は常に南方の国々からウリミバエが侵入する危険にさらされているため、現在でも不妊虫放飼法を用いてウリミバエの侵入・定着の防止を図っています。
そのほか、沖縄県と奄美群島に生息しているサツマイモの重要害虫であるアリモドキゾウムシやイモゾウムシに関しても、久米島、津堅島、喜界島において、不妊虫放飼法を用いた根絶防除が進められています。海外では農作物に影響する害虫に限らず、人の健康に関係する害虫についても放射線を利用した防除法が用いられています。IAEAはジカ熱の感染拡大が認められる中南米諸国等に対して、ジカウイルスを媒介する蚊の不妊虫放飼法に関する技術を提供する取組を実施しています [12]。③ 食品照射
食品や農畜産物にγ線や電子線等を照射することによって、発芽防止や熟度遅延、殺菌、殺虫等の効果が得られ、食品の保存期間を延長することが可能です。
このような食品照射は、農作物の損耗防止、香辛料、鶏肉、魚介類等に付着している食中毒菌の殺菌等において、既に世界の多くの国々や地域で法的に許可されています。我が国では、食品の製造工程又は加工工程の管理を目的とし、かつ食品の吸収線量が0.10Gy以下の場合、又は、ジャガイモに発芽防止の目的で照射する場合に限り、食品への照射が認められており、1974年から北海道士幌町でジャガイモの発芽防止のための照射が行われています。
7-5 放射線利用に関する先端的取組
放射線は、物質の根源や宇宙誕生時の物質の起源に迫る基礎科学研究や、物質の極微の世界の構造を調べる研究等に利用されています。これにより、学術分野の進展に貢献し、人類共通の知的資産となる物理の諸原理を解明するとともに、最先端のライフサイエンスや医学、工学、農学等、幅広い分野での研究開発の成果を創出しています。
ライフサイエンス分野では、放射光からのX線を利用したタンパク質の構造解析、陽電子 12 放出核種を利用した植物体内の光合成産物やカドミウム等の微量物質動態の動的観察、中性子ラジオグラフィー 13を利用した生きた植物の根の生長の観測等、ほかの手段では代替できないユニークな研究が行われています。このほか、放射性同位元素をトレーサー 14として使用した植物に対する施肥効果、物質代謝及び免疫応答の研究、放射化分析を用いた植物による微量元素の吸収の研究、植物体内への複数元素の移行や分布の同時計測にマルチトレーサー 15 を利用する技術開発等が進められています。
また、試料に含まれる天然起源の放射性同位元素(炭素14等)の崩壊状況を測定することにより、その試料年代を知る年代測定技術は、これまで考古学の分野で多く利用されてきました。新たな応用として、地球温暖化の研究に関連して、地球の様々な所に蓄積している炭酸ガス等の年代測定研究が行われています。
また、加速器は、基礎科学の進歩や学術研究、工業、農業、医療活動等の放射線利用分野の拡大に貢献するとともに、先端的な放射線利用である量子ビームテクノロジーを発展させる上で重要な基盤施設です。
原子炉においても、定常ビームであることを必須とした実験や照射応用など、原子炉からの中性子の特徴が活きる分野もあることから放射線利用が進んでいます。特に大学や研究機関の研究炉は原子力関係人材の育成の場としての機能もあることから、適正規模の研究炉施設の維持・運営が望まれています。京都大学研究用原子炉(KUR 16 )では、原子炉から発生する中性子を利用して、イメージングや放射化分析、ホウ素中性子捕捉療法(BNCT)等の研究が実施されていることや、大型施設に比べて様々な研究分野の目的に応じた自由度の高い実験を行える利点を活かし、研究分野の複合や融合化を進めることで、研究に革新をもたらし、高い成果を創出していく「複合原子力科学」の拠点として、学術分野や科学技術へ貢献していくことを目指しています [13]。〈放射光施設〉
放射光は、幅広い波長領域の高輝度な光であり、物質・材料科学や生命科学等、広範な基礎研究から応用研究に活用できる研究手段です。X線領域においては、日本初の放射光源加速器として1982年に完成した放射光科学研究施設(PF 17 )は、PFリング、アドバンストリング(PF-AR)の二つの放射光専用光源加速器を有する放射光施設であり、最新の技術を取り入れた実験装置の開発等により、物質・生命科学研究に貢献しています。PF-ARは、パルス放射光を利用して物質の状態変化を捉える研究が行われているほか、高エネルギーX線を利用して得られる高温高圧条件下での構造解析により、地球科学研究にも貢献しています [14]。また、1997年10月に共用を開始した大型放射光施設SPring-8 18は、微細な物質構造や状態解析が可能な世界最高性能の放射光施設であり、生命科学、環境・エネルギーから新材料開発まで広範な分野において、先端的・革新的な研究開発に貢献しています。さらに、日本初、世界でも米国に次いで2番目に建設され、2012年3月より共用運転を開始したX線自由電子レーザー(XFEL 19 )施設SACLA 20 は、波長がX線領域のレーザーで、非常に高速のパルス光であるため、X線による試料損傷の低減が期待でき、また、物質を原子レベルの大きさで、かつ非常に速く変化する様子をコマ送りのように観察することが可能です。例えば、SACLAのX線自由電子レーザーを用いることで、従来の低温での解析とは異なり、生体に近い常温での酵素分子の立体構造解析が可能になります。このため、常温特有のタンパク質や水の動き、酵素反応機構を明らかにすることができ、新しい素材や医薬品等の開発等、医療や工業への応用も期待されています [15]。〈RIビームファクトリー〉
国立研究開発法人理化学研究所(以下「理化学研究所」という。)にある「RIビームファクトリー」は、水素からウランまでの全元素の放射性同位元素(RI)を、世界最大の強度でビームとして発生させる加速器施設です(図7-11)。2015年12月には、本施設で合成に成功した原子番号113の元素が新元素であることが国際機関により正式に認定され、理化学研究所を中心とする研究グループが新元素の命名権を獲得、2016年11月に元素名を「ニホニウム(nihonium)」、元素記号を「Nh」とすることが国際純正・応用化学連合(IUPAC 21 )にて正式決定されました。さらに、2017年12月には73種類の新しい放射性同位元素が発見されたことが発表されました。2010年以降、理化学研究所では132種類の新たな放射性同位元素を発見しており、同様の研究を行っている米国、英国、ロシア、ドイツよりも多くの発見数を記録しています [16]。
図 7-11 RIビームファクトリー(RIBF)超伝導リングサイクロトロン
(出典)国立研究開発法人理化学研究所仁科加速器研究センター「RIビームファクトリーの施設」 22
〈大強度陽子加速器施設(J-PARC)
2009年に施設の本格運転が始まった大強度陽子加速器施設(J-PARC 23 )は、核破砕反応により生成される多様な2次粒子を用いて、広範な領域の科学技術の研究を行うための施設です(図7-12)。タンパク質の構造解析等の物質・生命科学研究、物質の起源を探るための原子核・素粒子物理学研究等、基礎研究分野から産業利用まで幅広い分野での研究・開発が行われています。物質・生命科学、ハドロン、ニュートリノの各実験施設が稼働しており、さらに、加速器を用いて使用済核燃料に含まれるマイナーアクチノイド等を異なる元素に変換するための基礎的な研究を行う核変換実験施設(TEF 24 )の整備も検討されています。
図 7-12 大強度陽子加速器施設(J-PARC)
コラム ~原子力技術応用分野と大学における中型中性子源の役割~
「原子力」という言葉を聞いたとき、多くの人は「原子力エネルギー」つまり「原子力発電」を思い浮かべます。しかし、実際にはそれと同等以上に「原子力技術を利用」した多様な応用分野がありますが、放射線(粒子線)や放射性同位元素の応用分野は、一般の方々には「原子力」という言葉とは結びついておらず、つい忘れられがちです。
京都大学複合原子力科学研究所(旧原子炉実験所:平成30年4月改名)では、京都大学研究炉(KUR)と京都大学臨界集合体実験装置(KUCA)という2基の研究用原子炉、さらに陽子線や電子線加速器等を有しています。高出力(定格出力5MW)のKURや加速器では「原子力技術を利用した広範囲の基礎科学」への貢献を、ほぼゼロ出力のKUCAでは炉物理研究教育による原子力人材育成等の「原子力エネルギー分野」への貢献を行っています。我々は、このように原子力の両面に対してバランス良く貢献することが重要だと考えています。
また、KURは大学所有としては高出力ですが、決してトップクラスの大型施設ではありません。このような中型施設は、「新しい挑戦の場」としての役割が重要です。J-PARCやJRR-3等の先端施設は「成果を収穫する場」であるのに対し、柔軟な研究開発の機会の提供、異分野からの参入、全く新しいアイデアの可能性追求、さらには若手研究者が腕を振るう「育成の場」としての役割を担います。
研究用原子炉は魅力的な研究ツールですので、極めて広範囲な分野の研究者が集まります。その結果、通常の研究所では決して出会うことのない、極めて離れた異分野間の交流が日常的に発生し、それに伴う新たな融合研究分野の生成の場となっています。例えば、ホウ素中性子捕捉療法(BNCT)では、医学、薬学のみならず、原子炉や加速器の専門家が協力することで発展しています。このようにして新しく生まれる分野を、我々は「複合原子力科学」と命名し、積極的に推進したいと考えています。
まとめますと、大学における中型中性子源等の特長及び役割は次のように考えられます。
1)原子力技術応用研究分野は、放射線(粒子線)やRIを利用する広大な分野であり、関連産業規模も大きく、原子力エネルギー研究とあわせて原子力研究の両輪となっています。
2)中型中性子源(研究炉・加速器)は、大型施設を補完するものであり、「挑戦・育成の場」として、学術・産業の両面に対して重要な役割を果たしています。研究炉・加速器に用いる共同利用・共同研究を軸に、原子力科学の発展と有効利用に向けた研究を推進することが求められます。
3)我々は、「複合原子力科学」を多様な学問分野を融して新たな研究分野を創出するものとして発展させ、学術・科学技術に貢献して行きます。
京都大学複合原子力科学研究所(左 KUR、右 KUCA)
7-6 放射線利用分野の人材育成
(1)国内における人材育成
様々な分野で利用され、私たちの生活や社会に便益をもたらす放射線ですが、取扱いを誤れば、環境を汚染したり、人体に悪い影響を与えたりする可能性があります。そのため、放射線を取り扱う人が適切な知識と理解をもって、安全に作業や管理を行う必要があります。しかし近年では、予算の減少や施設の老朽化等のために、放射線を利用するための教育や訓練を行う機会が減少しています(図7-13)。また、人材不足から、技術や知識が継承されないことで、今後の安全管理に支障を来す状況が生じる可能性もあります。
福井県では、放射線利用・原子力基盤技術人材育成事業として、2016年度に工業分野、農業分野での放射線利用に関する研修を実施しています。公益財団法人若狭湾エネルギー研究センターのイオンビーム照射施設において、金属等の材料改質や花き類や野菜の品種改良等に関する研修が30回実施されており、福井県内の各公設試験研究機関の研究員の技術修得に役立てられています [17]。
放射線利用が拡大している医療分野でも人材育成が進められています。2012年度から2016年度にかけて実施された、文部科学省の「がんプロフェッショナル要請基盤推進プラン」では、放射線治療の教育養成拠点を形成する事業も実施されており、筑波大学を含む8大学が取り組んだ「国際協力型がん臨床指導者育成拠点」では、最終的に放射線腫瘍医37名、医学物理士57名を含む435名のがん専門医療人材が養成されました [18]。
図 7-13 大学等における放射線管理の懸案事項
(出典)第18回原子力委員会 資料第1号 原子力規制委員会「放射線利用の安全確保における課題について」(2016年)
(2)海外における放射線利用分野の人材育成協力
我が国では、原子力や放射線利用に関する研究人材の交流制度を通じて海外の人材を受け入れています。しかし、途上国の人材には、我が国で育成された後に必要なRI・放射線施設や設備、機器等が母国で不足しているために、研究が十分に行えない場合があります。国際協力での技術交流や共同開発、共同事業において、人的な貢献以外にもRI・放射線機器等の研究資材に関する支援が必要とされています。我が国が主導するアジア地域での原子力平和利用協力の枠組みFNCAでは、放射線利用開発と研究炉利用開発、原子力安全強化、原子力基盤強化に関するプロジェクトが実施されています。放射線利用開発の分野では、マニュアルやガイドラインの作成等に我が国の多くの研究者が携わっており、アジアにおける放射線利用の発展に大きく貢献しています。FNCAの枠組み内での、アジア諸国の放射線利用分野における国際協力の成果については、第3章の3-3に記載しています。
- International Conference on the Application of Radiation Science and Technology
- プラスチックやゴムに代表される高分子材料に放射線を照射することにより、材料中の分子鎖にラジカルといわれる化学反応性に富む成分が発生します。ラジカルによって高分子鎖同士は強く結びつき、高分子材料の強度を高める等、物性が改善されることがあります。このような技術を放射線橋かけあるいは放射線架橋と呼びます。
- Material and Life science Experimental Facility
- 詳細は「コラム~放射線利用規模の変化~」に記載しています。
- Positron Emission Tomography
- http://www.nirs.qst.go.jp/information/press/2013/09_19.html
- http://www.hosp.ncgm.go.jp/s036/040/index040.html
- Heavy Ion Medical Accelerator in Chiba
- Boron Neutron Capture Therapy
- Quality of Life
- アクチバブルトレーサーは、安定な元素をトレーサー(追跡子)として農作物や農作物の育つ環境中等の化合物の挙動を調べる方法です。トレーサーは試料採取後に放射化を行うことで、定量分析されます。非放射性同位元素を用いるため、放射能による環境汚染を生じません。
- 陽電子は、電子の反粒子であり、質量等の粒子の特徴は電子とほぼ同等ですが、電荷は電子と反対という特徴を持っています。
- ラジオグラフィーは、非破壊検査の一種で、X線や中性子といった放射線を用いる透過検査方法です。放射線の物質を透過する性質を利用して、対象を破壊せずに内部の検査を行うことができます。
- トレーサーは、観察対象とする動植物等に放射性同位元素で標識した化合物を投与し、その放射性同位元素から放出される放射線を測定器で追跡することで、その観察対象内における化合物の挙動を調べる方法です。これに用いられる放射性同位元素をトレーサー(追跡子)といいます。
- マルチトレーサーは、トレーサーの一種です。加速器を利用すると、同時に複数の放射性同位元素を生成し、トレーサーとして利用することができ、これをマルチトレーサーといいます。マルチトレーサーを用いれば、多数の元素の挙動を同じ条件の下で同時に追跡することができます。
- Kyoto University Research Reactor
- Photon Factory(フォトンファクトリー)
- Super Photon ring-8 GeV
- X-ray Free Electron Laser
- SPring-8 Angstrom Compact Free Electron Laser
- International Union of Pure and Applied Chemistry
- http://www.nishina.riken.jp/facility/SRC.html
- Japan Proton Accelerator Research Complex
- 核変換実験施設(Transmutation Experimental Facility)は、加速器駆動システム(ADS:Accelerator-drivenSystem)に関する技術の確立を目指す「ADSターゲット試験施設(TEF-T)」と、小型の原子炉を用いて核変換技術の成立性に係る物理的特性やADSの運転・制御に関する研究・開発を行う「核変換物理実験施設(TEF-P)」の2つの施設で構成されています。
- http://www.mext.go.jp/a_menu/kagaku/shisetsu/index.htm
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