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放射化分析による証拠資料の異同識別に関する研究


警察庁 科学警察研究所

1. はじめに

 最近は科学捜査の重要性が認識され、科学的に犯罪を解明するための法科学が体系化されつつある。法科学には犯罪の種類、証明が必要な事柄に応じてあらゆる分野の技術が応用され、事件の解決に役立っているが、その1つに異同識別と称して「ものの比較」がある。

 犯罪現場で採取された捜査資料と被疑者の所持品あるいは他の類似犯罪現場の遺留品等との類似性、関連性を調べることは、被疑者の犯行を裏付ける証拠となり、物の真贋を識別したり、犯罪相互の類似点を究明して犯罪捜査に貢献し、更に法廷証拠を確立する等重要な意味がある。

 これらの資料の比較には、その成分を詳細に分析して相互の特徴点を比較対照することになり、この目的にはできるだけ数多くの特徴点を捕えることが有利である。この点放射化分析は非破壊多元素同時分析が行え、しかも高感度であるため微量の試料でも分析可能である等、異同識別法として極めて優れた特徴を備えている。

 当所においては、その特徴点を生かして実際の事件例に応用し得るよう、種々の資料について放射化分析による異同識別法の研究を行って来たので、主要なものを応用例を混じえて紹介する。

2. 自動車塗膜の比較

 近年、交通事故が増加し、悪質なひき逃げ事件等が重大な社会問題となっている。交通事故現場には、衝突の結果として自動車の塗膜が破片となって散乱したり、被害者の着衣などに微量の塗膜片が擦過状に付着して発見される場合が多い。

 自動車の塗膜は通常、層状をなしていて、上塗り、中塗り、下塗りとよばれる三層からなっている場合が多く、交通事故で問題となるのは、車両の色をきめる上塗り塗膜の比較であり、色調も豊富で類似したものも多い。このような塗膜は、主成分である透明な樹脂と着色目的で配合されている顔料成分などからなっており、色が明らかに異なる場合を除き、色による識別は困難な場合が多い。類似した色調の塗膜であっても、異った顔料を使用している場合も多く、この顔料成分に由来する無機成分に着目し、中性子放射化分析による多元素同時分析を行い、検出された核種を比較することにより、塗膜相互の異同を識別する方法の確立を検討した。

 まず、基礎データを得る目的で各自動車メーカーから提供されている鑑識用標準車両塗装紙から色調の類似した上塗り塗膜を選定して原子炉で中性子照射し、γ線スペクトロメトリーを行い、特徴成分元素の検出を試みた。

 その結果、従来識別が非常に困難とされていた白色塗膜からは46Sc、47Sc、48Sc、65Zn、182Ta、122Sbなど12核種が検出された。白色顔料としては一般にチタン白(TiO2)が使用され、Tiの(n、P)反応によって生成した46Sc、47Sc、48Scがすべての白色塗膜から検出された。また、亜鉛華、硫化亜鉛などの白色顔料に由来すると思われる69mZn、65Znさらに、チタン白中に不純物として含まれるTaに由来する182Taが特徴的に検出された。

 白色塗膜の比較にあたっては、これらの塗膜中に検出された核種を定性的に比較することも有効であるが、検出された核種の計数比を計算することにより、より詳細な識別が可能となった。白色顔料に由来する3種の核種(46Sc、65Zn、182Ta)に着目して、それらの計数比を計算した結果、65Zn/46Sc比は、0〜1.1、182Ta/46Sc比は0〜3.2の範囲であり図1に示したようにかなり広い範囲に分布していた。これらの結果から65Zn/46Sc、182Ta/46Sc比すなわち、ZnとTiの比、

図1 白色塗膜中の65Zn/46Sc、182Ta/46Scの分布

TaとTiの比が色調の類似した白色塗膜であっても異同識別の指標となることがわかった。

 さらに、同一自動車メーカーで使われている異なる塗料メーカーの同色塗膜中、昭和55年度から57年度のものについて、これらの核種についての計数比の変化をみたところ、4社のうち2社については、年度間の差異はほとんどなかったが、他の2社では57年度において182Ta/46Sc比が小さくなっていることが認められた。

 有色塗膜については、各色ともそれぞれの色調に応じて着色顔料に由来する特徴的な核種が検出できた。赤色のものからは、82Br、99Mo、51Cr、59Feなど10核種が検出された。赤色顔料としては、クロムバーミリオン、ベンガラ、有機赤色顔料などが使用されており、その結果、特異的な核種として、クロムバーミリオン(PbCrO4、PbMoO4、PbSO4)に由来する99Mo、51Cr、ベンガラ(Fe2O3)に由来する59Fe、有機赤色顔料に由来すると思われる82Brが検出された。これらの核種は、赤色塗膜相互で含有量が異なるため、識別の際の有効な指標となることが明らかとなった。青色のものからは、64Cu、82Br、51Crなど10核種が検出された。青色塗膜は、白色顔料のチタン白にフタロシアニンブルーなどの青色顔料を混合して着色されているため、TiO2に由来する46Sc、TiO2中の不純物に由来する182Ta、フタロシアニンブルーに由来する64Cuが検出され、これらが特徴的な核種であった。また、特異なものでは82Brが多量に検出される塗膜もあった。黄色のものについては、51Cr、122Sbなど10核種が検出され、今回分析した同一色番の3種の塗膜を比較したところ、122Sbの計数値に差異があり識別の指標となった。

 布片に擦過状に付着したものについても、布片に付着させたままで分析することにより、それぞれ特徴的な核種が検出でき、その識別が可能であった。しかし、布片から検出される24Na(半減期15時間)などの影響を考えると塗膜相互の比較をする際、24Naの減衰を待ち長半減期の核種を対象とする方がより有効であると考えられた。

 また、擦過状に付着した塗膜では、有色塗膜であっても微量のためその色調を比較することすら困難な場合が多いが、放射化分析法により検出された多元素相互の関連性を比較すれば、塗膜の擦過であることの証明や擦過塗膜と被疑車両のものとの相互比較が有効に行えることが明らかとなった。

 最近扱った交通事故例として、トラックと自転車の接触事故があり、自転車の車体の一部に緑色塗料が付着しており、この付着物とトラックのナンバープレートの塗料と一致するか否かを調べる必要性がでてきた。塗膜は2層からなり、一層は緑色で厚さ約10μm、2層目は白色で約30μmであった。この塗膜を中性子放射化後、二層に分離して各々のγ線スペクトルを測定したところ、ナンバープレートの塗料の緑色の部分からは、131Ba、47Sc、51Cr、64Cuが検出され、白色の部分からは47Scが検出された(図2)。一方、自転車に付着していた緑色塗料からも同様な核種が検出され、他の手法による機器分析結果や状況証拠との総合判断により、自転車にトラックのナンバープレート部分が接触したと判断された。

図2 塗膜のγ線スペクトル

A:ナンバープレートの緑色の層(厚さ10μm)
B:ナンバープレートの白色の層(厚さ30μm)

3. ハンダの識別

 不法爆破事件の場合、現場資料を丹念に調べると時限装置の破片が発見され、通常は電気的な時限装置が用いられるため、配線に用いられたハンダ類が現場資料として採取保存されることになる。

 ハンダは錫と鉛の合金であって、その成分比によって分類されているが、その他微量の夾雑するヒ素、アンチモン、銅等の不純物の含有量によって特徴付けることができる。数ケ所の爆破現場から採取された時限装置のハンダ異同識別が求められたり、被疑者があれば、その所持するハンダとの異同識別を放射化分析法により行ってその容疑性を確かめる等既に数例の事件例を経験している。

4. 朱肉の識別

 詐欺事件などの文書偽造における朱肉の識別にも放射化分析は有効な方法である。朱肉の顔料成分としては、カドミウムマーキュリーレッド(HgS・CdS)、クロムバーミリオン(PbCrO4、PbMoO4、PbSO4)などが一般に用いられ、増量剤として硫酸バリウムが使用されている。市販の朱肉を中性子放射化分析で分析した結果、Na、Hg、Cd、Mo、Cr、Baなど9元素が検出され、定性的には、Hg−Cdを含むもの、Cr−Moを含むもの、両者を含むもの、その他のものの4群に分類された。これらの元素を比較すれば、相互の比較が可能となるが、実際の鑑定では、紙面に押印されたものとの比較が必要となり、より複雑になる。しかし、紙からは通常、Hg、Cd、Mo、Cr等の元素は検出されず、同一紙の印影や記載のない部分を対照として同様に分析して検出される元素を差し引けば、朱肉成分相互の異同識別が可能である。

 実際の応用例も多く、一例として領収書に押印されたものを紙とともに分析したところSm、Ba、Mo、Cr、Sb、La、Na、Kが検出され、対照として紙のみを分析した場合に検出されるSm、La、Sb、Kを差し引いたところ、被疑者が所持していたスタンプ台の朱肉と成分が完全に一致し、領収書の偽造事件を解決する一助となったことがある。

5. おわりに

 放射化分析法の特徴を生かし、犯罪現場に遺留された証拠資料と被疑者が所持している資料の関連性を明確にする異同識別法の研究について2、3の事件例をあげて紹介した。犯罪現場で発見される証拠資料は多種多様であり、自動車塗膜、ガラス、プラスチック、繊維、インクなど身近なものであっても一度犯罪に関係が生じた場合は、異同識別の必要にせまられることとなる。このようなものは一見同じように見えるものであっても、化学分析を行って成分を比較すると、微量の含有不純物などに差異が見出される。放射化分析法は、その性質から見て、これらの微細な差異を明らかにするのに最も適した方法であり、今後さらに活躍の場が増えていくものと考えられる。

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