前頁 |目次 |次頁

昭和42年度原子力年報総論


昭和43年8月
原子力委員会

はしがき

 最近におけるわが国の原子力平和利用に関する研究開発は、各界の努力により着実にすすめられておりますが、とくに昭和42年度におきましては、動力炉・核燃料開発事業団の発足をはじめ、原子力第1船の建造およびその陸上施設の建設の開始、日米および日英原子力協力協定の改訂、原子力発電所の建設および建設計画の進展等諸方面において著しい発展がみられました。

 なかでも、国のプロジェクトとして関係各界の総力を結集して推進されることとなった新した動力炉開発の中核体として動力炉・核燃料開発事業団の発足をみましたことは画期的といえましよう。

 原子力委員会は、原子力開発利用長期計画の線に沿って、これら研究開発の促進に一段と努力を傾注する考えでありますが、原子力平和利用の推進は、ひろく国民の理解の上に立ってこれを行なうことが必要であります。

 ここに、昭和42年度を中心とした研究開発の動向を顧みますことは、きわめて有意義であると思い、第12回原子力年報を公刊する次第であります。
  昭和43年8月

国  務  大  臣
原子力委員会委員長
鍋島 直紹

総論

§1. 概況

 わが国の原子力開発利用は、昭和36年に策定した「原子力開発利用長期計画」にもとづき着実にその成果をあげてきたが、最近における原子力発電の本格化、動力炉開発の進展、原子力船の建造、放射線利用の拡大等内外における原子力開発利用の進展に対処するため、原子力委員会は、42年4月13日、この長期計画を改訂し、今後のわが国におるけ原子力開発利用のすすむべき方向と施策の大綱を明らかにした。

 42年度は、この新長期計画の初年度として、わが国の原子力開発利用は、新たな段階への第一歩を踏み出したのである。

 すなわち、42年度には、動力炉・核燃料開発事業団の発足を初めとして原子力発電、核燃料、原子力第1船、放射線利用、核融合、安全対策、国際協力の各面において、それぞれ新情勢に即応した前進が示された。

 第一に、資源に乏しいわが国において、核燃料の安定供給と有効利用をはかり、原子力発電の有利性を最高限に発揮させ、さらには、わが国科学技術水準の向上と原子力産業基盤の確立をはかるため、原子力委員会は、さきに、高速増殖炉および新型転換炉をそれぞれ60年代の初期および50年代の前半に実用化することを目標として、その開発を「原子力特別研究開発計画(国のプロジェクト)」として推進する方針を決定した。

 42年度は、この方針にもとづき、開発体制の整備がすすめられ、原子燃料公社を解散し、その業務をひきついで、42年10月2日、動力炉・核燃料開発事業団(動燃事業団)が発足した。

 これにより、わが国がかつて経験したことのない大規模な研究開発計画が、関係各界の総力を結集して強力に推進されることとなった。

 第二に、急増する原子力発電に対処して、核燃料の低廉かつ安定な供給とその有効な利用をはかる観点から、原子力委員会は、上述のような動力炉の自主開発を強力に推進するとともに、核燃料資源の確保と国内における適切な核燃料サイクルの確立をはかるため、各界の協力のもとに核燃料懇談会を開催し、新長期計画に示した核燃料の基本的な考え方にもとづく一層具体的な施策の検討をすすめ、一貫した核燃料政策の確立につとめた。

 また、わが国の原子力発電が、当面、濃縮ウランを燃料とする軽水炉によって、その主流が占められる事情にかんがみ、政府は、さきに、原子力委員会の方針にもとづき、濃縮ウラン、プルトニウム等の特殊核物質の民有化の方針を決定し、民間による原子力産業の自主的な発展を期待することとしたが、42年度は、この民有化にともなって必要とされる措置に関し、その検討をすすめるとともに、濃縮ウラン入手のための日米原子力協力協定を改訂するなど原子力発電の推進に必要な施策の充実をはかった。

 第三に、原子力委員会は、原子力第1船の建造に関し、40年にその着手を若干延期して、技術的、経済的諸問題の検討を行なった結果、42年3月、「原子力第1船開発基本計画」を改定したが、42年度には、この新たな基本計画にもとづき、民間産業界の協力を得て、日本原子力船開発事業団(原船事業団)により原子力第1船の建造に関する業務がすすめられた。

 すなわち、42年11月、青森県むつ市に地元の了解を得て定係港を設置することとし、さらに、内閣総理大臣により原子炉設置の許可を受け、原子力第1船の建造は、定係港における付帯陸上施設を含め本格的に着手されるにいたった。

 第四に、放射線利用に関しては、医学、農業、工業等の各分野において、それぞれ着実な研究開発がすすめられ、42年度には、なかんずく、放射線化学とラジオアイソトープ工業利用の分野で、注目すべき成果がおさめられた。

 とくに、新たな利用分野として、食品照射に関し、原子力委員会は、食品照射専門部会の報告にもとづき、42年9月、これを原子力特定総合研究として実施することとし、「食品照射研究開発基本計画」を定め、これにより、関係各機関の協力のもとに研究開発の総合的な推進がはかられた。

 第五に、核融合に関し、制御された核融合の実現を明確な目的とする総合的な研究開発を順次計画的に推進するため、新長期計画に示した線にそって、さらに具体的な方策の検討が核融合専門部会においてすすめられ、43年5月29日、その報告が原子力委員会に提出された。

 原子力委員会は、この報告にもとづき、「核融合研究開発基本計画」を定め、核融合研究を原子力特定総合研究として、44年度から、大学および民間企業の協力のもとに、日本原子力研究所(原研)をはじめ関係各機関において実施することとした。

 第六に、原子力委員会は、本格的な原子力発電の進展および動力炉開発計画の具体化に対応して、今後における安全審査に資するため、43年2月から原子炉施設安全問題懇談会を開催し、軽水炉に関する安全基準、高速炉等に関する安全審査等について、その問題点および解決の基本的方向に関し検討を開始した。

 一方、国内における核燃料加工事業の具体化にともない、政府は、その十分な安全性を確保するため所要の法律改正を行ない、また、原子力委員会は、核燃料物質の加工施設および輸送容器の安全性について、加工施設等安全基準専門部会を設けて検討をすすめ、それぞれ審査指針を作成した。

 さらに、放射性廃棄物の海洋への処分に関し、事前に十分な調査研究を行なうこととし、新長期計画に示した原子力委員会の方針に従い、実験施設等の整備がすすめられた。

 以上のように、42年度は、原子力開発利用の各分野において、新長期計画に示された方針と施策の具体化が着実にすすめられ、わが国の原子力開発利用は、ようやく実用化、産業化へ向って、大きく前進がはかられたのである。

 なかんずく、原子力発電は、海外において急速な進展をみせ、その経済性の著しい向上とともに、在来火力発電と競争可能となりはじめ、将来のエネルギー供給の有力な担い手として期待されるにいたった。

 わが国における原子力発電は、すでに営業運転を行なっている茨城県東海村のコールダーホール改良型炉(ガス冷却炉)1基のほか、41年度に3基の軽水炉の建設が開始され、その規模は総計130万キロワットに達することとなった。

 さらに、43年3月および5月には、各1基の軽水炉の建設が許可され、建設の準備がすすめられているが、これらにつづいて、各電力会社においても、原子力発電所の建設計画が具体的に検討されている。

 この結果、42年度当初、原子力委員会が新長期計画において想定した50年度600万キロワット、60年度3,000万ないし4,000万キロワット、というわが国の原子力発電の長期見とおしは、と くに50年度までについてみても、すでに陵駕されようとするすう勢にあることがみられる。

 このようなすう勢に対処して、原子力発電をわが国において適切に推進して行くため、政府は、在来型導入炉の国産化、核燃料加工事業の育成等に必要な措置を講じるとともに、上述のごとく、原子力委員会の方針のもとに、動力炉開発の推進、国内における核燃料サイクルの確立につとめてきた。

 とくに、核燃料サイクルに関しては、動燃事業団における使用済燃料再処理工場の建設計画の具体化がすすめられているが、さらに、プルトニウム利用あるいはウラン濃縮等の研究開発に関する具体的な方策についても検討が行なわれ、原子力発電の実用化に対応する体制の整備がはかられつつある。

 これらの原子力発電に関する分野のほか、すでに述べたごとく、原子力船、放射線利用等の原子力開発利用の各分野においても、実用化を明確な目的とする研究開発がそれぞれ強力に推進されるようになった。

 原子力委員会は、これらの研究開発の一層効率的な推進をはかるため、新長期計画において、基礎研究の一層の重要性を指摘し、その充実をはかる方針を明らかにするとともに、国として重点的かつ組織的にすすめる必要がある研究開発課題については、「原子力特定総合研究」および「原子力特別研究開発計画国(のプロジェクト)」として、各界の協力を得て、その研究開発を推進することとした。

 国のプロジェクトとしては、高速増殖炉および新型転換炉の開発計画および原子力第1船の建造計画を指定し、動燃事業団および原船事業団を中心として研究開発体制の確立をはかり、また、特定総合研究についても、原子力委員会は、42年9月14日、「原子力特定総合研究のすすめ方について」を決定し、これにもとづき食品照射、核融合等の研究開発の実施がはかられることとなった。

 このような国内における研究開発の実施体制の整備とともに、自主的技術の開発をはかるうえにも、有効な国際協力を行なうことはきわめて重要であり、このため、42年度には、上述のごとく、日米原子力協力協定のほか、日英原子力協力協定についてもその改訂が行なわれ、相互主義の原則のもとに必要な研究協力が行なわれることとなった。

 このほか、カナダ、フランス等との間に、情報の交換、技術の交流がすすめられた。

 他方、これらの研究開発等における国際的な協力とは別に、核兵器の不拡散に関する条件については、原子力開発利用の実用化、産業化がすすめられつつある今日、同条約がその促進に支障をもたらすことのないよう各界の強い関心が表明された。

 これに対し、原子力委員会は、原子力平和利用の推進をはかるうえに、同条約がいささかもこれを阻害することのないようその見解を明らかにし、政府は、この原子力委員会の見解にもとづき、同条約草案に対し、わが国の意見を反映させる努力を払った。

 以上述べたごとく、わが国の原子力開発利用は、すでに基礎的研究開発の段階から実用化、産業化の段階に移行しつつあり、総合的、長期的視野のもとに関係各界が協力して、これを推進することがより一層強く要請されるようになった。

 このような観点から、わが国における原子力開発利用を、なお一層強力に推進するため、その全般的な体制に関し、再検討を加える必要が認められ、また、42年4月、動力炉・核燃料開発事業団法案の国会審議の際にも、衆議院科学技術振興対策特別委員会において、「政府は原子力対策の強力な推進を図るため、原子力委員会も含む各機関の権限、機能等を再検討し、抜本的な改革を図るべきである」との付帯決議がなされた経緯にもかんがみ、原子力委員会は、43年3月14日、原子力関係機関体制問題懇談会を開催することとし、3月29日、その第1回を開催し、原子力委員会、研究開発機関等のあり方について倹討を開始した。

 わが国における原子力平和利用は、以上概観したごとく、42年度において、動力炉開発を中心として研究開発の新たな展開がはかられるとともに、実用段階にともなって、国内における原子力産業基盤の確立に必要な多くの具体的な問題も提起され、いまや、産業の発展と国民生活の向上にきわめて大きな影響を及ぼすことが明らかにされるにいたった。

 したがって、これをすすめるにあたっては、関係各界が一層の努力を傾注すべきことはもちろんであるが、ひろく国民一般の強力な支援がとくに要請されるのである。

 以下に、原子力委員会を中心とした42年度における原子力開発利用の進展を各分野について、述べることとする。

§2. 原子力発電所の建設

 原子力発電は、近年、技術進歩とともに、経済性が著しく向上し、わが国においても、その発電コストは、近い将来、重油専焼火力発電に十分競合しうると見こまれるにいたった。

 原子力委員会は、42年4月に改訂した「原子力開発利用長期計画」において、原子力発電は、このように経済性向上の見とおしが明らかであること、さらに石油に比較して、燃料の輸送および備蓄が容易であり、かつ、外賃負担および供給の安定性の面から有利であること等の理由から、これを「低廉な準国内エネルギー源」としで性格づけ、その長期の開発見とおしを明らかにした。

 一方、電気事業者においても、原子力発電に対する期待は急速に高まっており、積極的に原子力発電所の建設に取り組んでいてる。

 日本原子力発電(株)が茨城県東海村に建設した東海発電所(コールダーホール改良型炉16万6,000キロワット)は、42年7月、全出力営業運転を開始した。

 また同社が、福井県敦賀市に建設する敦賀発電所(沸騰軽水型炉32万2,000キロワット)は、41年4月に設置が許可され、44年度完成を目途に建設がすすめられている。

 東京電力(株)(東電)が福島県双葉郡に建設する福島原子力発電所(沸騰軽水型炉40万キロワット)および関西電力(株)(関電)が福井県三方郡に建設する美浜発電所(加圧軽水型炉34万キロワット)は、ともに41年12月に設置が許可され、45年度完成を目途に建設工事がすすめられている。

 また、東電および関電の両社においては、上記地点に2号炉としてそれぞれ78万4,000キロワット、50万キロワットの大容量の軽水炉を建設することとし、その設置の許可を申請したが、43年3月および5月に、内閣総理大臣によりその設置が許可され、建設が開始された。

 さらに中部電力(株)、中国電力(株)、北陸電力(株)、九州電力(株)、東北電力(株)の各電力会社においては50万キロワット級の原子力発電所を建設することとし、建設計画の検討がすすめられている。

§3. 動力炉開発の前進

 原子力発電の推進にあたっては、資源に乏しいわが国としては、核燃料の確保と有効利用をはかり、原子力発電の有利性を最高限に発揮させるため、適切な動力炉の自主開発を推進することがきわめて重要である。

 このような観点から、原子力委員会は、39年以来、動力炉開発懇談会を開催する等、わが国の長期にわたる動力炉の開発について総合的な見地から、その推進方策に関し検討を行なってきた。

 この結果、41年5月、高速増殖炉および新型転換炉の自主的な開発とその中核となる特殊法人の設立を骨子とする動力炉開発の基本方針を内定した。

 この方針のもとに、その特殊法人が発足するまでの暫定組織として、41年6月、日本原子力研究所(原研)に動力炉開発臨時推進本部を設置し、研究開発計画等について検討させた。

 その後、原子力委員会は、その動力炉開発の担当機関について所要の検討を行なった結果、42年2月、原子燃料公社を解散し、その業務をひきついで、動力炉開発および核燃料開発のための事業団を設立することを決定した。

 これらの構想を骨子として、原子力基本法の一部を改正する法律案および動力炉・核燃料開発事業団法案が第55回特別国会に提出され、同法案は、7月14日、両院の審議を経て成立し、7月20日に公布施行され、42年10月2日、動力炉・核燃料開発事業団(動燃事業団)は設立登記を完了し、資本金158億円をもって発足した。

 この動力炉の開発計画は、ウランの有する潜在エネルギーを最大限に活用し、核燃料の有効利用をはかることを目的とするものであるが、同時にこれを遂行することは、わが国科学技術水準の向上と原子力産業基盤の確立に大きく寄与することが期待されるものである。

 これは、わが国としては、かつて経験のない大規模な開発計画であり、その実施にあたっては、長期にわたり多額の資金と多数の人材を要するので、各界の総力をあげてこれを推進する必要がある。

 原子力委員会は、このような観点から、これを「原子力特別研究開発計画(国のプロジェクト)」として、実施することとし、国が開発の目標および期間を明確に定め、体制を整備し、広範な分野にわたる研究開発を系統的、計画的、かつ、総合的に行ない、関係各機関の適切な分担と協力によって、効率的にその推進をはかることとした。

 このような事情にかんがみ、動燃事業団は、原子力委員会の議決を経て、内閣総理大臣が定める基本方針および基本計画に従ってその業務を実施することとされている。

 このため、内閣総理大臣は、43年3月、高速増殖炉および新型転摸炉の開発目標の設定、その推進方策を骨子とする基本方針を策定するとともに、これにもとづき45年度までの第1次基本計画を4月に策定した。

 この基本方針においては、高速増殖および新型転換炉を、それぞれ昭和60年代の初期および50年代の前半に実用化するため、原型炉の建設運転までの開発を目標としている。

 すなわち高速増殖炉の開発については、プルトニウム-ウラン混合酸化物系燃料を用いるナトリウム型高速増殖炉の開発を目標として、まず熱出力10万キロワット程度の実験炉を建設し、ひきつづき電気出力20万ないし30万キロワット程度の原型炉を51年度ごろに臨界に達せしめることを目途としている。

 また、新型転換炉の開発については、天然ウランを燃料に用いる重水減速沸騰軽水冷却型炉の開発を目標として、初期装荷燃料として微濃縮ウランまたはプルトニウム富化天然ウランを用いる電気出力約20万キロワット程度の原型炉を49年度ごろ臨界に達せしめることを目途としている。

 42年度は、その初年度として、高速増殖炉については、実験炉の1次概念設計が完了し、ひきつづき2次概念設計に着手するとともに、原研の高速炉臨界実験装置の完成により、これを用いて炉物理研究がすすめられた。

 このほか高速増殖炉の開発に必要なナトリウム工学、主要機器および部品、プルトニウム-ウラン混合酸化物系燃料、安全性等について研究開発が原研、動燃事業団を中心としてすすめられた。

 一方、新型転換炉については、原型炉の概念設計を終え、動燃事業団により第1次設計が原子力産業界に発注された。

 これと並行して、炉物理研究のために臨界実験装置の建設、あるいは熱除去実験のために熱ループの製作がすすめられ、また安全性の研究開発が原研等で行なわれた。

 さらに、動燃事業団では、原型炉の設計精度の向上に資するため、わが国の新型転換炉と同系統の重水減速蒸気発生型炉(SGHWR)の開発をすすめている英国原子力公社の技術情報を入手することとし、43年2月、購入契約を結んだ。

§4. 核燃料政策の具体化

 わが国の原子力開発を円滑に推進するためには、核燃料の低廉かつ安定な供給を確保するとともに、その有効利用をはかることがとくに重要である。

 このため、原子力委員会は、42年4月に改訂した「原子力開発利用長期計画」において、核燃料の確保のための措置を講ずるとともに、わが国に適した核燃料サイクルを確立する必要があるとし、その基本的な考え方を明らかにしたが、42年度は、ひきつづきその具体化をはかり、今後の原子力開発利用の一段の発展に資するため、関係各界および学識経験者からなる核燃料懇談会を開催した。

 同懇談会は、42年6月から約10ヵ月間にわたって審議を行ない、43年3月、その報告書を提出した。

 その後、原子力委員会は、同懇談会の報告にもとづき、今後の核燃料政策について、検討をすすめていたが、43年6月、海外ウラン資源の確保、ウラン濃縮、使用済燃料の再処理、プルトニウムの有効利用、核燃料サイクルに関する試算、核燃料の民有化にともなう措置および核燃料に対する保障措置の適用について、今後の核燃料政策の方向を示した。

 核燃料の所有方式については、原子力委員会は、41年9月、日米原子力協力協定の改訂にあたり、特殊核物質の民間所有を認めることとし、安全保障措置等、必要な国内環境の整備をはかるとともに、濃縮ウランの購入の取引きを民間が直接行ないうるよう必要な措置を講ずる方針を決定した。

 この方針にもとづき、政府は41年10月の閣議で、遅くとも43年11月末までに特殊核物質の民間所有を認めることとした。

 その後、政府は、この方針にそって、日米協定の改訂交渉をすすめていたが、原子力委員会は、新日米協定が43年7月10日に発効したことにかんがみ、7月15日以降、特殊核物質の民間所有を認めることとした。

 ウラン資源の確保については、ひきつづき国内資源の把握につとめた結果、この1年間に267万トン(U3O8換算1,689トン)の埋蔵鉱量(可能鉱量を含む)の増加をみた。

 一方、海外ウラン資源については、上記の日米協定において、濃縮ウラン161トン(ウラン-235量)プルトニウム365キログラムの供給枠を確保したのをはじめ、電力業界は軽水炉用ウランの原料として、カナダと約1万4,000トン(U3O8)の長期購入契約を行なった。

 また、海外ウラン探鉱についても、42年度から三菱金属鉱業(株)が、カナダのリオ・アルゴム社と米国で共同探鉱を開始したほか、43年4月からは電力業界と鉱山業界が協力して、米国のカー・マギー社とカナダで共同探鉱を行なうこととなった。

 さらに、海外のウラン鉱業事情調査のため、42年度は、動燃事業団から、カナダ、中南米、米国、オーストラリアへ、また日本原子力産業会議から、米国、カナダに、それぞれ調査団が派遣された。

 プルトニウムの研究開発については、かねてから原研と動燃事業団は、発電用原子炉の新燃料としてプルトニウム燃料の共同研究開発をすすめていたが、43年5月、その試作に成功し、ノールウェーのハルデン炉で照射試験を行なうこととなった。

 このほか米国のエンリコ・フェルミ炉において照射試験を行なう準備がすすめられている。

 加工事業については、原子力発電の進展にともない、核燃料の需要見とおしが明確になってきたことなどから、42年までに6社から加工事業の許可申請が提出されている。

 一方、原子力委員会は、加工施設の安全性の審査指針作成のため、41年8月、加工施設等安全基準専門部会を設置したが、同部会は42年5月、「加工施設の安全審査指針」を作成し、原子力委員会に報告した。

 また、使用済燃料の再処理については、原研の再処理開発試験室で、43年3月以来、JRR-3の使用済燃料を使用して、再処理試験を行なっていたが、43年5月、独自の技術により、わが国としては初めてプルトニウム-239の抽出に成功した。

 また、動燃事業団では46年度完成を目途に、再処理工場の建設計画がすすめられている。

§5. 原子力第1船の建造

 原子力第1船については、38年7月に決定された「原子力第1船開発基本計画」にもとづき、原船事業団を中心に、その建造のための準備がすすめられていたが、入札に対して予算船価(36億円)と業者の見積船価(約60億円)との間に大きなへだたりがあり、契約の成立をみるにいたらなかった。

 このため、原子力委員会は、その着手を延期することとし、40年8月以来、原子力船懇談会を開催し、基本計画の再検討、国産舶用炉と輸入舶用炉の比較等について検討をすすめてきた。

 原子力委員会は、同懇談会の報告にもとづき、国内技術を主体とする原子炉を塔載する原子力第1船の建造を推進すべきであることを確認した。

 その後、原子力委員会をはじめ、関係機関の間で、船種、大きさ、船価等について意見調整が行なわれた結果、船種については海洋観測船から特殊貨物船に改め、また、大きさについても、従来の6,000総トンから8,000総トンへ大型化することとし、42年3月「原子力第1船開発基本計画」を改定した。

 「原子力委員会は、これら原子力第1船に対する考え方を、42年4月に改訂した「原子力開発利用長期計画」にとり入れた。

 こうして、原子力第1船については、46年度に完成することを目途として、42年度から本格的にその建設に着手することとし、42年度には約56億円の予算措置が講じられた。

 また、第1船およびその付帯設備の総所要資金は、約108億円と見積られているが、このうち民間出資については、20億円とすることについて関係各界の了承がえられた。

 この結果、原船事業団は、基本計画の改定に即応し、第1船の設計変更を行ない、42年4月、原子力第1船原子炉設置許可を内閣総理大臣に申請するとともに、11月、船舶建造許可を運輸大臣に申請した。

 また、原船事業団は、建造準備に並行して、定係港建設地の選定をすすめていたが、42年11月、青森県むつ市下北埠頭部を建設地とすることについて、地元の了承を得た。

 原子力委員会は、原子力第1船の原子炉設置許可申請後、定係港を含め安全審査をすすめていたが、42年11月、内閣総理大臣に対し、許可の基準に適合している旨答申した。

 これを受けて、内閣総理大臣は、同月、原船事業団に、原子力第1船原子炉の設置を許可した。

 さらに、同月、運輸大臣は、第1船の船舶建造を許可した。

 これよりさきに、原船事業団は、船体部について石川島播磨重工業(株)と、原子炉部について三菱原子力工業(株)とそれぞれ建造契約を締結したが、両契約は、原子炉設置許可および船舶建造許可によって発効し、両社は第1船の建造に着手した。

 また、原船事業団は、内閣総理大臣の原子炉設置許可により、定係港の建設の準備に入り、現在、岩壁の築造等がすすめられている。

 なお、原子力第1船は、基本計画に示されているように、国内技術を主体に建造されるが、原子炉部装置の効率的な製作をすすめるため、米国のウエスチングハウス社に設計のコンサルタントを依頼することとしている。

 また、最近における船舶の高速化、巨大化の傾向から原子力船がその有利性を発揮する分野はますます大きくなるものと期待され、原子力委員会が新長期計画に示した見とおしの方針にもとづき、舶用炉の改良研究をはじめ、原子力船の実用化に関し、民間産業界においても検討が行なわれ、原子力船に対する関心のたかまりがみられた。

§6. 放射線利用の進展

 放射線利用は、ラジオアイソトープの円滑な供給、施設の充実、利用技術の開発にともない、医学、農業、工業等の各分野に普及し、とくに最近では、短寿命核種および標識化合物の国産化がすすめられる一方、放射線測定器、粒子加速器などの関連機器の発展とも相まって、その利用分野は一段と拡大している。

 これにともなって、放射線を利用する事業所の数も、逐年、着実に増加しており、42年度末には、1540事業所に達することとなった。

 原子力委員会は、このような放射線利用の進展にともない、ラジオアイソトープの生産、廃棄物処理等の促進をはかるとともに、利用分野の一層の拡大をはかるため、放射線利用に関する研究を推進してきた。

 42年度は、とくに、近年世界各国で注目を集めつつある食品照射の研究開発の重要性にかんがみ、「食品照射研究開発基本計画」を策定し、原子力特定総合研究の最初のケースとしてこれを指定し、この研究開発を強力に推進することとした。

 医学利用の分野では、放射線によるがん等の悪性腫瘍の治療は、すでに広く普及しており、全国主要な病院あるいは各地のがんセンターには、コバルト-60照射装置、リニアック、ベータトロン等の粒子加速器が設置され、威力を発揮している。

 また、ラジオアイソトープによる各種疾病の診断についても、短寿命ラジオアイソトープ、放射性医薬品の国産化、放射線医療機器の改良等による診断技術の向上により、ラジオアイソトープが広く用いられるようになった。

 農業利用の分野では、施肥法、農薬散布法の改善のための研究にラジオアイソトープが用いられ、その成課が実用に供されているほか、優良品種の育成のため、放射線を用いた品種改良の研究がすすめられている。

 工業利用の分野では、厚さ計、液面計等のゲージング利用、バルブ、ボイラー等の非破壊検査としてのラジオグラフィー利用、工程管理等のためのトレーサー利用、放射化分析への利用等広範な利用がはかられている。

 また、ラジオアイソトープ電池の開発がすすめられ、民間においてストロンチウム-90を用いたラジオアイソトープ電池の試作に成功した。

 放射線化学については、新製品の製造、品質の改良等にきわめて有望であり、工業化への研究開発がすすめられている。

 原研高崎研究所では、すでに粉末ポリエチレンおよび日本放射線高分子研究協会大阪研究所(大阪研究所)において着想がえられたトリオキサン重合について工業化試験が行なわれてきたが、43年5月、わが国独自の技術により、安価な方法でトリオキサン重合による新製品の工業化について見とおしがえられた。

 また、42年6月、大阪研究所が原研に移管され、新たに原研高崎研究所の大阪研究所として発足し、放射線化学の基礎研究をすすめている。

 食品照射については、食生活の改善、食品流通の安定化に大きく寄与することが期待される。

 このため原子力委員会は、40年11月、食品照射専門部会を設置し、その研究開発の推進方策について検討してきたが、同専門部会は、42年7月、原子力委員会にその審議結果を報告した。

 原子力委員会は、同専門部会の報告にもとづき、同年9月、食品照射を特定総合研究として、関係機関の協力のもとに計画的に推進することとし、「食品照射研究開発基本計画」を策定した。

 これにより、発芽防止を目的とする馬鈴薯、玉ねざの食品照射については42年度から3年計画として、殺虫および殺菌を目的とする米の食品照射については42年度から5年計画として、研究開発をすすめることとなった。

 ラジオアイソトープの供給については、主として社団法人日本放射性同位元素協会を通じて頒布されているが、放射線利用の拡大に対処して、自給を目途に国内生産体制の整備も原研等においてすすめられており、短寿命核種を中心に国産のラジオアイソトープの供給が増大しつつある。

§7. 安全対策

1. 安全のための諸施策
 原子力開発利用の推進にあたっては、原子力施設の安全を確保し、原子力関係作業従事者、周辺の住民をはじめ一般国民を放射線から防護することが重要である。

 このためわが国における原子力開発利用の進展に対応し、関係法令の整備がすすめられる一方、原子力施設、および放射線取扱施設に対する規制、監督の措置が講じられてきた。

 「核原料物質、核燃料物質および原子炉の規制に関する法律」(原子炉等規制法)については、最近原子力発電の進展にともなって、核燃料の加工事業が具体化され、また、核原料物質を原材料として使用する事業が増加しつつあり、これらにおける十分な安全性を確保するため、その改正が必要となった。

 このため、加工施設の設計および工事方法の認可ならびに施設検査制度を新設するとともに、核燃料の加工、再処理事業者に対し、核燃料取扱主任者の選任、核原料物質を原料として使用する事業者に対し、核原料物質の使用の届出等を義務づけることとし、43年3月、同法の一部改正法案が国会に提出され、5月15日可決成立し、5月20日公布された。

 原子炉等の安全審査については、42年度原子炉安全専門審査会が11回開催され、原子力船サバンナ号の本邦水域立ち入り、原子力第1船原子炉設置、東電、福島原子力発電所の2号炉の建設、住友原子力工業(株)の臨界実験装置の設置変更等7件について、安全審査を終了した。

 また、原子力委員会は、安全審査の問題点およびその解決の基本的な方向を検討するため、43年2月、原子炉施設安全問題懇談会を開催し、軽水炉に関する安全設計基準の整備および高速炉等に関する安全審査の方法等について審議を行なうこととした。 加工施設等の安全対策については、核燃料加工事業の具体化にともない、原子力委員会は、41年8月、核燃料物質の加工施設および輸送容器の安全性の審査指針について審議にあたらせるため、加工施設等安全基準専門部会を設置した。

 同専門部会は、2つの小委員会を設け、検討をすすめた結果、42年5月、加工施設小委員会は、「加工施設の安全審査指針」、43年4月、輸送容器小委員会は、「核燃料物質輸送容器の安全性審査基準」を、それぞれ作成し、原子力委員会に報告した。

 放射性廃棄物の海洋放出については、海洋環境の保全および人体の安全確保をはかるため、42年度はひきつづき放射性物質の海中での挙動に関する調査研究が行なわれ、とくに、放射線医学総合研究所(放医研)では、茨城県那珂湊市に臨界実験場を設置するための準備がすすめられた。

 不測の事態による放射線災害に対する緊急時対策については、42年6月に科学技術庁防災業務計画が、43年3月に原研防災業務計画が、それぞれ作成、公表された。

 東海地区地帯整備については、5ヵ年計画によりすすめられているが、同計画の第2年度にあたる42年度は、ひきつづき道路の整備等が行なわれた。

2. 環境放射能対策
 環境放射能調査は、42年度も、ひきつづき核爆発実験にともなう放射性降下物および米国原子力軍艦の寄港に関し、それぞれ実施された。

 核爆発実験は、42年6月および12月に中共により、第6回および第7回の実験が、また、6月から7月にかけて、南太平洋でフランスにより計3回の実験が行なわれたが、12月の中共核爆発実験により、わずかながら放射性降下物が認められたほかは、わが国への影響はほとんどみられなかった。

 しかし、内閣の放射能対策本部(対策本部)では、41年12月の第5回中共核爆発実験により、わが国で観測された1日降下量としては、最高の値が検出された事情にかんがみ調査体制の強化と対策の実施について検討を行なった。

 この検討の結果、対策本部の方針にもとづき、科学技術庁原子力局は、2ヵ年計画で調査体制の強化をはかることとし、42年度に、その第1年度の整備を行なった。

 米国原子力軍艦の寄港は、42年4月から43年5月にかけて横須賀港に7回、佐世保港に2回行なわれた。

 とくに、43年1月には、原子力水上軍艦としてははじめて、原子力空母エンタープライズおよび原子力フリゲート艦トラクストン号が佐世保港に寄港した。

 これらの米国原子力軍艦の寄港にともなう放射能調査については、これまで、とくに放射能水準の変化はみられなかったが、43年5月の原子力潜水艦ソードフィッシュ号の寄港に際し、停泊中に行なわれた5月6日午前の中間測定において、一部で平常値の10〜20倍の値が一時的、かつ、局所的に散在して記録された。

 科学技術庁はこの測定値は人体に実害はないと判断したが、その原因を究明するための検討を5名の専門家に依頼した。

 専門家検討会は現地調査を実施するなど調査検討をすすめた結果、5月13日、科学技術庁長官に対し、中間報告を行なった。

 5月14日、原子力委員会は、この中間報告を考慮し種々検討の結果、次のような見解を政府に対し申し述べた。

 すなわち、それは異常値の原因究明については、さらに調査検討をすすめるべきこと、原子力軍艦寄港時における政府の放射能調査体制の整備強化をはかる必要があること、さらに異常値について調査中であることにかんがみ、また前項の体制の整備強化を図る必要があるので、その間、原子力軍艦の寄港が行なわれないよう善処すべきものと考えるとの内容であった。

 科学技術庁は、原子力委員会の見解にもとづき、専門家検討会に5名の専門家を追加した。

 同検討会は、米国側の専門家の意見をも聴するなど調査検討を続けた結果、5月27日、最終報告を科学技術庁に提出した。

 その要旨は、今回の平常と異なる測定値の原因としては、放射能によるものと考えるのが妥当であるが、放射能の原因については、科学的にソードフィッシュ号によるものと確認するにはいたらなかったこと、また、米国側からは、ソードフィッシュ号の今回の佐世保寄港中、放射性物質は一切放出されなかったとの言明は得られたが、これを裏づける科学的説明および資料は、軍機に触れるものとして提供されなかったとするものであった。

 原子力委員会は、この専門家検討会の報告をもとにし、米国側専門家の米国政府への調査報告書をも参照しつつ、検討を行ない、5月29日、本件に関する見解として、(1)原子力軍艦のわが国寄港中は、原子炉の一次冷却水が艦外へ放出されないこと、(2)一次冷却水以外のあらゆる系統(たとえば、ドレイン系統など)からも放射性物質が排出されることのないよう、従来より一層その管理が厳重になされること、(3)原子力軍艦の寄港中は、米国側においても環境モニタリングを行ない、必要に応じ測定結果がわが方に提示されるようにすること、(4)わが国の放射能調査体制の整備強化を図り、今回の如き事例に対しても原因の解明に役立つようにすること、の4点を政府に対し申し述べた。

 政府は、上記原子力委員会の見解にもとづき、(1)、(2)、(3)の事項については、米国政府に対し申し入れを行なうとともに、(4)の事項についても「原子力軍艦の本邦寄港にともなう放射能調査の整備方針」を定め、予備費を支出して、わが国放射能調査体制の整備強化をはかることとした。

§8. 国際協力の新展開

 わが国は、国際原子力機関(IAEA)など原子力関係国際機関に対し積極的に参加し、これら各機関の活動に協力しているほか、米国をはじめとする先進諸国との協力協定の締結等により、核燃料、原子力機器、技術情報等の入手をはかり、原子力開発利用を促進してきた。

 42年度には、33年に締結された日米、日英の両原子力協力協定について、10年間の有効期限が追っていること、また、わが国の原子力発電の進展にともない、濃縮ウランの確保をはかる必要があることなどのため、その改訂交渉が行なわれ、それぞれ43年2月および3月に調印され、日米協定については、43年7月10日、発効した。

 日米協定においては、濃縮ウラン161トン(ウラン-235量)、プルトニウム365キログラムの供給枠を確保するとともに、これらの特殊核物質の取引については、民間が直接行ないうることとしたほか、米国から供給された燃料の再処理を国内でも行ない得ることとするなど、相互主義に向って一歩前進した。

 日英協定においては、相互主義の原則を確保するとともに、英国から導入する原子炉の運転について必要な燃料に関し、英国はその供給を保証した。

 なお、両協定の保障措置については、従来どおり、IAEAに移管することとなった。

 また、両協定の有効期間は30年である。

 研究開発における国際協力に関しては、42年度も、積極的に推進され、42年11月には、東京において第3回日加技術会議が開催され、動力炉開発を中心として情報の交換が行なわれた。

 また、動力炉開発、放射線化学、その他の分野において、ENEAのハルデン計画への参加をはじめ、米国、英国、フランス等との間に、共同研究の実施、技術情報の入手等が行なわれた。

 さらに、核兵器の不拡散に関する条約については、42年8月、米ソ両国より国連18ヵ国軍縮委員会に、同条約の草案が提示され、さらに43年1月および3月にその修正案が提示された。

 原子力委員会は、これら草案に対し、核爆発の平和利用に関する権利の留保、保障措置の実施方法等につき、42年8月および43年2月に、その意見を表明した。

 なお、同条約は、43年6月、国連総会において採択をみるにいたった。

§9. 原子力関係予算

 42年度原子力関係予算は、現金額156億円、国庫債務負担行為額56億円である。

 これを41年度予算と比較すると、現金額において27億円、21%の増加をみた。

 42年度予算の主なものには、原研における材料試験炉の建設、動燃事業団の新設をはじめとする高速増殖炉および新型転換炉の研究開発、動燃事業団および原子燃料公社における使用済燃料再処理施設の設計、プルトニウム燃料の開発、高速増殖炉開発のための大型ナトリウムループの建設、α-γケーブの建設、および新型転換炉の設計研究、原船事業団における原子力第1船の建設等があげられる。

 42年度末の定員は、科学技術庁原子力局および水戸原子力事務所157名(増減なし)、放医研401名(増減なし)、原研2,135名(126名増)、動燃事業団776名(42年10月、原子燃料公社の定員727名(35名増)を吸収し発足)、原船事業団73名(5名増)で合計3,542名となり、41年度末に比し、215名の増加となっている。
前頁 |目次 |次頁