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昭和40年度原子力年報の発表


昭和41年7月26日

 原子力委員会は、昭和31年度以降毎年、わが国における原子力開発の過去1年間の動向をとりまとめた原子力年報を作成し公表してきたが、このたび、40年度を中心とする第10回の原子力年報を作成し、7月26日の閣議に報告した。

 本年報は、8章からなり、第1章総論においては、40年度がわが国の原子力開発利用10周年にあたるので、過去10年の過程を回顧するとともに、40年度を中心とする原子力開発利用の主な動向と海外における動力炉の開発状況を総括的に述べた。第2章から第8章までの各論においては、原子力発電、動力炉の研究開発、放射線の利用、国際協力等の項目について具体的に述べた。これらのうち、40年度における重要な動きを述べると、つぎのとおりである。
(1)日本原子力発電(株)の商業発電を目的とする敦賀発電所(同社2号炉)が設置を許可され、その建設が開始された。このほか、関西、東京の両電力会社の原子力発電所建設計画も具体化し、41年度にはいり、それぞれ炉型を決定して設置許可の申請が行なわれた。

(2)在来型炉の国産化、新型転換炉および高速増殖炉の開発に関する基本方針が原子力委員会において、各界の意見を徴しつつ慎重に検討された。その結果、在来型炉の国産化は民間企業を主体としてすすめるとともに、わが国の国情に適した新型転換炉および高速増殖炉の開発を国のプロジェクトとして強力に推進する方針が内定された。

(3)原子力第一船の建造着手が若干延期され、原子力委員会により原子力船懇談会が開催され、船価低減の可能性、国産舶用炉と輸入舶用炉の比較等原子力第一船開発基本計画の実施上の問題点について検討が行なわれた。(注)

(4)ウラン-235などの特殊核物質は現在国の所有とされているが、わが国の原子力発電所建設計画が民間事業者により本格化してきたこの時期に、すべての核燃料を民有化し、各企業の責任において自主的に運営させることが、今後の発展のためには、より適切であるという観点から、原子力委員会により特殊核物質を民有化するという方針のもとに検討がすすめられた。

 また、国内で使用済燃料を処理するため、再処理工場の設計がはじめられた。

(5)放射線の利用は、医学、工業、農林水産業など広範な分野において多岐多様に行なわれた。とくに、工業利用における放射線化学の研究開発面に一段の進展がみられ、また、食品の保存をはかるための放射線照射が注目されるようになった。

(6)原子力開発利用を推進するにあたり、ひきつづき安全対策についての努力が払われるとともに、中共核実験および米国原子力潜水艦のわが国への寄港に伴う環境放射能調査が実施された。

(7)国際原子力機関(IAEA)の総会が、はじめて本部所在地であるウィーンを離れて東京で開催され、各国代表によりわが国における原子力開発状況が深く認識されて、今後の国際協力を推進するうえできわめて大きな意義があった。

(注)原子力第一船の建造については、その後、41年7月にいたり、以上の検討の結果、建造費を増額して、既定の線にそって国産炉により建造する方針が確認され、その推進がはかられることとなった。

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