第11回国際連合科学委員会の状況

 第11回国際連合科学委員会は1962年3月5日から3月23日の3週間にわたってニューヨーク市国連本部において開かれた。わが国からは政府代表塚本憲甫放医研所長、代表代理として三宅泰雄(教育大)、田島英三(立教大)、木村資生(遺伝研)、市川竜資(放医研)の5名が参加した。

 今回会議は1962年秋国連総会に提出を予定している報告書の最終草案作成およびその採否を任務として行なわれた。報告書の本文を除き付属書各章については第9回および第10回会議において予備的草案の作文と討議が続けられてきたのであるが数回にわたる改作をへて、更に各国から提出されたコメントおよび最新のデータを取入れて検討された。放射性降下物に関する付属書では、1958年報告書以後の研究結果の増加により、その内容は前報告書と大きく異なったものとなった。例えば成層圏における放射性降下物の滞溜期間の推定は地表への蓄積状況を大きく支配する因子であるが、前回報告書にて10年の半減期とされたものが、その後、核爆発の場所、季節、高度等によって大きく異なることが判明され、1〜5年とかなり短かく推定されるようになった。また、核爆発の性質の変革によりそのTNT相当エネルギーに対応する核分裂生成物の量が年々異なることから、人体への線量を推定する際に、従来の爆発エネルギー単位の表現をやめて、ストロンチウム90の成層圏への注入率によることに変更された。即ち、年間○○メガトンに対して例えば骨随線量○○レムという計算をせず、90Sr○○メガキュリー注入により線量○○レムというような方式をとった。

 また各臓器に対する線量は1958年までの核爆発による今までに人類の受けた線量および今後もうける線量を計算し、次に1961年までに行なわれたものによる線量次に1965年まで続けられたときの線量、年々続ける場合として単位メガキュリーの90Sr生成に対しての総線量を計算し、それらの線量を西歴2000年までにどれくらいうけ、2050年までにどれだけうけ、合計でどれだけというような表現法を採用した。なお食生活の相異による人体各臓器への線量の相違をとり入れるため、食物別のグループを3通りに分けた。すなわち、I.ミルクを主とする国民、II.ミルクをかなりとる国民、III.ミルクが甚だ少ない国民で、日本をふくむアジアの多くの国はIIIに入るので、世界人口としてはおおよそ各グループ共1/3ずつの人口になる。各々に対し90Srの地表蓄積量、降下率に対する食物からの90Srせっ取率の依存度がちがうので別計算となり、90Srせっ取率(従って骨線量、骨随線量も)はIII>II>Iというふうになる。

 推算された人体への放射線量は自然放射能の何年分に当るかという表現でまとめられ、前報告書で行なわれた人体障害の数量的試算については、身体的影響小委員会、および遺伝的影響小委員会は共にその線量−障害関係のパラメータの提供をすることができなかった。従って1962年報告書では、身体的および遺伝的影響の数量的推算は要因に疑問点が多いことと一般の誤解を防ぐという観点から不採用となった。

 報告書主文は各Annexを要約した形で作られ、最終節で更に総括して人工放射線の人類への影響を説き不必要な放射線被曝の排除をうたった。

 報告書最終案は採択され、1962年秋の総会に提出されることにあったが、本年度としては総会の後に来年1月頃、ジュネーヴにおいて第12回会議を開くことを決定し、今後の科学委員会活動の継続または取止めについては総会の決定にまつわけである。なお次期議長にはペニンソン(アルゼンチン)、副議長にはエルカラドリ(アラブ)が選出された。