不正確な科学記事

原子力委員会参与 三宅 晴輝

 放射性物質の降下問題で新聞が不正確な、あるいは誤った記事を書くということが問題になっている。科学記事の不正確については、むかし寺田寅彦博士が指摘しておられたのを読んだ記憶がある。だから、この問題は決して新しいものではなく、むかしからの宿題である。それが現在において解決されていないということだ。

 その欠陥を是正する方法として大新聞では学校で科学を勉強した者を入社させて、科学関係の記者に仕立てている所もある。これは解決方法の一つである。

けれども、一般的にジャーナリズムにいる者が自分の主観でモノを眺め、興味本位に色づけるという風習は、科学を勉強した者を記者にしたところで、なかなか容易に拭うことは出来ないだろう。ここに問題がある。

 これについては、外部から絶えず抗議して注意を促すことが必要である。面倒でも、これはジャーナリズムを良くするゆえんだから、その労を嫌わずに、その社に忠告してやることが肝要である。そうすれば、幹部は少くとも改善の意欲を忘れないであろう。

 さらに、最も必要なことはジャーナリズムの社内教育である。科学記事はセンセーショナルでなく、絶対に客観性を尊重したものたることを記者に始終叩き込む必要がある。不正確な、誤ったことを書くのは、記者教育が社内において悪いからである。もっとも、科学記事に限らず、社会的現象でも、人の話を聞いてそれを正確に伝えるということは」それ程容易な芸ではないのである。一字か二字の間違いで飛んでもないことになるのは、誰れでも知っている通りである。

 それを正確性を厳密に求める科学において間違ったら、それこそ救いようはない。ジャーナリズムは迅速を必要とする仕事であるから、非常に短時間の間に記事を書かねばならぬ。そこに熟慮する余裕が乏しいという約束が、最初から置かれている。しかし、それは記者の方においてエキスキュースにはならぬ。そんな事は初めから判り切ったことだからだ。そういう環境にあって、なおかつ、正確な記事を書くことが要求されるのである。

 従って、記者の修業は生やさしいものではないのである。けれども、この難しい、容易ならぬ修業を耐え忍んで行ない、他方、よく教育する風習が近来薄らいでいる様である。これでは科学記事の不正確は是正される見込は乏しい。 科学記事のみではない。政治記事も、経済記事も、みな正確を要求されることに変りはない。ジャーナリズムはウソを書くもんだ、と徹底して感ずる人もあるが、それでは改善の希望も何もない。矢張り、外部からも内部からも、これを良くしようという努力があってこそ見込みが出来る。放射性物質降下問題において、ジャーナリズムの不正確は大きく取り上げられ、論議されることは、非常に望ましいことである。