未知の産業への情熱

大 屋  敦

 もう五年半前のことである。拙著産業人の原子力教室の自序に「正に70の手習で道楽半分にこの途に指を染めた素人の私が敢えて此書の刊行を思い立った云々」と書きしるしている。また、私の最も親しい友の一人であった元首相の故芦田均君は、その序文に「その大屋君が現代の学者の中に誤った政治的影響によって原子力の問題を履き違えた方向に持って行こうとする傾のあることを憂え」と私の心境への理解を示してくれた。

 その当時の日本には、素より唯一基の原子炉もなく元理化学研究所の仁科博士により設置されたサイクロトロンは、進駐軍の手により品川沖に沈められた後、これにつぐものもない有様で、残されたものは原子力開発と原爆をとり違え一途に原子力を恐怖する大衆と原子力の利用に焦せる産業人を頻りに警告する学者の一群だけであった。

 それが今日迄の変り方はどうであろう。技術革新のテンポの早さをこれ程如実に私共に示してくれたものは他に例を見ないだろう。

 却説私は今、原子力船専門部会と宇宙平和利用特別委員会の委員長を引き受けている。一つは原子力委員会、今一つは経団連関係である。先の短い私が敢てこの任に当ったのはどちらも予想もできない短い期間に意外の一大進展を見るかも知れないという私の期待によるものである。

 原子力船が、本来原子力発電のような陸上動力施設に較べ原子力の特性を生かしていることは周知の通りである。空気なしに燃焼のできる軽い燃料の利用は海運界は素より航空、宇宙船に迄その威力を発揮することになろう。残念ながら今の段階では放射能遮蔽の関係でその威力が著しく減殺されている。委員会の一応の結論では30ノット位の超高速船でなければ本来船に比し原子力船は著しく経済上優位に立てないようである。

 しかし、今後驚くべき大量の石油や鉄鋼石がはるばる我国に搬入されねばならぬ時代ともなれば本来船代りに超大型の高速度原子力船が洋上に闊歩するようにならぬとも限らない。少くも外注船を当てにせねばならない日本の造船業としては世界的視野の下に原子力船の動きに注意せねばなるまい。

 次に、宇宙開発の問題である。大多数の日本人は宇宙は米ソ両国の独檀場と極め込み吾不関焉と傍観しているようである。しかし、宇宙開発には最高の科学技術の粋を結集することを前提とするもので、若し日本が科学革新への世界的奉仕を念願するならば、いつかはこの問題と真剣に取り組む決意を固むる必要があろう。日本の科学技術にはその資格ありと信ずるが故に、敢てこれを強調せんとするものである。

 東大生産技術研究所の糸川博士主管の下に多数の大小のメーカーが協力して秋田県下で実験を積み重ねている観測用ロケットの打上げなども、その成果に就ては日本より米国のほうが遥かに重視しているようである。人工衛星とて他人事ではない。気象や国際通信に日本もこれを利用せんと関係者は熱心に希望している。宇宙開発に対する日本の協力という問題は日米最高経済会議の好個の議題であることを此際朝野でよく認識すべきであろう。

 日本の経済は素晴らしい勢で成長しつつある。これに伴って設備の投資が超速度を以て進められている。本来の物をよい品質で、より安く、より沢山つくり出すことも勿論歓迎すべきことであるが、未知の産業開発への努力を忘れてはなるまい。