原子力開発今後の問題

大 山 義 年

 原子力平和利用に関する予算が国会に突如として提出されたのは確か昭和29年である。それから今日まで約7年の期間を得た。

 当時に皆無に近かった原子力関係の研究あるいは事業もこの間に急激な発展が行なわれた。

 一面国際情勢もこの間に当時は考えられなかった程の変化をしている。その当時は文献あるいは情報は入手難であり、また原子炉の購入は勿論核燃料関係についても、その入手の可能性さえ問題となっていた。

 わが国の科学および工業力の基盤にのって、とにかくかかる短期間に施設あるいは研究面において一応世界的水準位置までに浮び上ってきたことは実に劃期的なことであったと思う。

 しかし、何事によれあまり急激に発展した仕事にはどこかに無理があるものである。また相当の無駄も承知でやらなければ事は急速にははこび得ないものである。

 化学実験室で完成された化学反応を工業化する場合、まず工程実験、次にpilot plant 等を経て初めて工業規模の設計に移るのが常道である。それには当然それ相当の暇がかかるし、またそのような慎重な手順を踏んだとしても、いざ工業化して見るとあちこちに誤りを見い出したり、また問題点を残すものである。わが国において原子力工業を正常なる軌道にのせて発展させて行くためには、やはり正統の手順を踏んで開発して行くことが一見手間どるごとくであるが、結局は早道であろう。

 それには確固たる国として不変の開発方針が打出されていなければならない。

 わが国の現在までの研究の状態はいわば探鉱作業であった。各地域の地質調査というかっこうの仕事であった。しかしながら今や探鉱の仕事も一通り終了したと見るのが現状ではなかろうか。いよいよ何処の地域を本格的に開発すべきかの腹をきめる時点にきているのではなかろうか。それにはわれわれの置かれた環境、経済力技術的能力等をにらみ合わせて探鉱し、製煉の対象とする少数の鉱山を独自の考えで決定すべきである。

 先般筆者は欧米の原子力関係問題を視察調査する機会を得たが、米国のごとき巨大な資本力のある国の開発方針と英仏等の国々の開発方針に著しい差異が判然としていることにきわめて興味を惹かれた。

 わが国において米国のごとき厖大な経費と人材をつぎこんで各種の形式の炉をあるいは燃料等を各所で開発研究していく方法はまず実行は不可能であろう。やはり英国あるいは仏国における自国独自の一定開発方針にしたがって、はっきり一本すじの通った方向に向かって集約的仕事を進めてゆく政策を学ぶべきである。

 少なくとも、原子力に関しては後進国であるわが国は、勿論技術導入その他の方法で先進国から技術を取入れることは必要であるが、徒らに他国における開発の完成を待つばかりで、いわゆる人の褌で相撲をとる式のことを主として考えるべきではなかろう。

 昭和34年以来の、驚異的な経済繁栄といわれている今日のわが国でも、原子力関係の開発研究に支払い得る経費は自から制限がある。

 われわれは前述のごとくに今日までの貴重な経験を生して開発目的を集約的に絞って、研究項目の整理、研究態制等の再検討をなすべき時点に既に到達していると考える。

 勿論このようなことは一応従来とも当然考えられすでにその努力が払われつつあることとは思われるが、実際の効果を期待するには断固たる英断と勇気を要するであろう。