樋口放医研所長逝く


  放射線医学総合研究所所長樋口助弘医学博士は、かねてから病気療養中であったが、さる8月夕日午後1時30分、肝臓疾患のため東京慈恵会医科大学附属東京病院において死去された。享年62。葬儀は放射線医学総合研究所および東京慈恵会医科大学の合同葬として、8月13日、芝青松寺において執り行われた。
 ながくわが国放射線医学界の重鎮として、斯界の発展に尽力してきた同博士の死は、創立1周年を迎え、ようやくその建設も緒についた放射線医学総合研究所とともに、今後の活動が期待されていただけに、関係各方面の哀悼の念はより一層切なるものがある。ここに、同博士の経歴を回顧してその業績をしのぶとともに、謹んで冥福を祈るものである。

    樋口助弘医学博士略歴

明治29年 4月 新潟県に生る
大正 7年 6月 第六高等学校卒業
  11年 3月 九州大学医学部卒業
     4月 北里研究所入所副助手細菌学を修む
     9月 北里研究所退所、九州大学医学部副手、法医学教室において血清学を修む
    11月 九州大学助手
  15年 2月 九州大学講師、傍ら内科学を修む
昭和 2年 3月 人の同種血球の溶解素についての研究で医学博士
   3年 4月 欧州留学、レントゲン物療学を修む
   4年12月 帰学
   5年 3月 九州大学副手医学部医員、第一内科教室勤務
    12月 東京慈恵会医科大学助教授、同大学附属病院物療科部長
  7年 12月 東京慈恵会医科大学教授、東京慈恵会医科大学放射線物療科学部長
  13年 4月 日本レントゲン学会長(1年)
   6年 6月 学術研究会議放射線医学協議委員
  22年 4月 日本医学放射線学会長(1年)
     6月 日本放射線技術学会名誉会長
  23年 1月 日本学術振興会第115小委員会委員
       財団法人東京慈恵会医科大学理事(2年)
     5月 日本医学会幹事(4年)
  25年 5月 社団法人日本医学放射線学会総務理事
  27年 8月 診療エックス線技師国家試験委員
       同委員長(2年)
     9月 科学技術行政協議会専門委員
       人事院専門委員
  28年 2月 医師国家試験委員(2年)
  29年 5月 社団法人日本放射性同位元素協会理事
  30年 3月 診療エックス線技師国家試験委員(2年)、同委員長
     5月 日本医学会評議員
     9月 日本工業標準調査会委員
  31年 2月 日本学術会議原子力特別委員会委員
     3月 厚生省成人病予防対策協議連絡会委員
     4月 文部省科学研究費等分科審議会委員
     5月 原子力委員会専門委員
    12月 日本原子力研究所放射線防護委員
       文部省大学設置審議会臨時委員
  32年 7月 放射線医学総合研究所長
     8月 日本工業標準調査会委員、国立遺伝学
       研究所評議員、日本学術会議原子力特
       別委員会委員幹事、日本学術会議放射
       線影響調査特別委員会委員医学班主
       任、原子力委員会専門委員、放射線審議会委員
   33年8月 正五位勲四等に叙せられ瑞宝章をおくらる

      

     樋口博士の研究業績
 以上のような職歴とともに樋口博士はその専門領域の研究においても多くの業績をのこされているが、わが国で放射線が医療に利用されたはじめから、主としてエックス線の利用による診断、治療に関する研究に従事、その成果を数多くの論文に発表されている。最近では特に放射線障害の研究に力を注がれ、放射線保護物質の研究や、昭和31年度文部省科学研究費による総合研究、特に「放射能の人体最大許容量の決定」については、研究班長としての取りまとめにあたるなど学界の推進力として多方面に大きな足跡をのこしている。