科学技術者の夢をころすな


原子力委員会参与 高橋 幸三郎

 ソ連が人工衛星打上げに成功してから急にミサイルとかスプートニクと称されるロケット科学が世界の檜舞台におどり出したことは昨今の新聞雑誌を見て目まぐるしいほどである。
 ところがさる12月7日の夕刊は一せいに米国の人工衛星打上げ失敗を報じて、日本いな世界を驚かしたことも大きなニュースに違いない。
 米ソを中心とする東西両陣営が政治外交の面で大いに鎬を削ることは勝手だが、科学技術の面で優位を誇ってきたアメリカがロケット科学においてソ連にしてやられたという顕然たるこの事実は第三者であるわれわれ日本人としても対岸の火災視するわけにはいかない。なんとなれば従来なにごとも世界一でなければ承知しないアメリカがなぜ科学の面でソ連にしてやられたかその原因についてはわれわれとしても決して無関心ではあり得ないからである。ジャーナリズムの伝えるところによれば、米国側立ちおくれの原因は軍部すなわち陸海空軍のセクショナリズムに禍されていることと、また一方では科学技術者冷遇がその真因であるともいわれている。さもありなんとうなずかれる。
 陸海空軍を持たない日本ではセクショナリズムの起りようはずもないが、他の原因すなわち科学技術者冷遇問題はこれは大いに有り得るところである。12月6日の東京朝日論壇に掲げられた木村一治氏の論説を拝聴して撫然たるものを感じたのは筆者一人ではあるまい。筆者は技術者の一人として原子燃料公社を預っているものであるが、この先端的なむずかしい仕事を引き受けて立ちおくれた日本の原子力技術を、なかんずく燃料面においていかにして世界のレベルに早く近づかせるかについて日夜苦労している。この場合最も骨の折れる事柄はいかにして優秀な技術者を集めるかにある。
 日本の技術教育の貧困はいまさらいうても仕方ないが、官界といわず民間といわず一般社会の科学技術に対する関心と評価の低調なることは識者のともに憂うるところである。
 科学技術の振興対策として学者技術者の待遇を良くすることはもちろん必要欠くべからざることではあるが、これだけによって解決できるものではない。研究施設を充実することもぜひ考えなければならない問題ではあるが、これら一連の施策は金のかかる仕事であって一朝一夕には実現困難であることもわかる。しかし金をかけないでも実効のあがる妙案はないとはいいきれない。それはまず第一にかれらの夢を生かすことである。
 夢のない人生は寂しい。ことに科学技術者において然りである。昔ガリレオが時の宗教家、政治家に抗して地球自転説を唱えたのはかれの偉大なる夢であった。ワットが蒸汽機関を発明したのも、フランクリンが空中電気をとらえたのも、また近くはエジソンが電燈を発明し、マルコニーが無線電話を発明したのもこれ皆かれらの尊い夢の所産ではないか。原爆の発明に至ってはなまなましいアインシュタインの夢である。かく観ずるとき、夢なくしては世界の大発見大発明はありえなかったといってもあえて過言ではあるまい。
 原子燃料公社が目下探鉱中の人形峠ウラン鉱床のごときも、これまさに夢の所産である。地質技師たちが、日本にはウラン鉱はおそらく無いだろうという一部学者グループの悲観論に抗していちずに夢の世界にばく進し、文字どおり夕やみせまるころカーボーンに積んだシンチレーションカウンターの針のひらめきに胸おどらしたのは、かれらとして無上の喜びであったに違いない。この喜びは銭金では求められない尊い満足であって、過小評価してはならない。
 由来山師という語があるが、かれらは尊ぶべき夢遊病者である。今日わが国の大鉱山と称せられるもののほとんど全部といってもさしつかえないほどかれらの発見にかかるものであって、ただ運不運と経営に関するかれらの能力の限界がかれらの運命を左右したにすぎない。
 現在公社が行いつつある仕事は単に探鉱のみではない。冶金に関しても同様のことはいい得る。既成技術を海外から導入することは金さえ払えばいとも簡単である。しかしそれではわれわれの夢は許さない。心ある技術者は日本で育てた独自のもの、少なくとも丸がかえでない技術の発展を期待するに違いない。原子力基本法にある自主性とはすなわちこれであると信ずるが故に、われわれはいたずらに右顧左べんすることなく、正しい夢を描いて日本の原子燃料技術発展のためにその使命を全うしたいと考えている。

(原子燃料公社理事長)

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