各省関係


厚生省における原子力関係業務の実施状況

1.概   要

 放射線および放射性物質と厚生省との関係というと実に縁が深く、すでに厚生行政そのものの中に放射線および放射性物質の取扱いが融け込まれている。

 わが国において、原子力、殊にその利用に関して活発に世人の眼をひくようになったのはここ2ヵ年くらいで、歴史はすこぶる新しい。しかし厚生省が原子力に関係している分野は原子力発電、原子力船等華麗なものでなく、おもに人体に関連した分野である。従来から利用されているX線は疾病の診断、治療の上に欠くことのできないものであり、放射性同位元素も同様に診断、治療および研究に使用されている。

 放射性同位元素はその供給が容易になるにしたがい、使用が特に活発化してきているが、これらの放射線、放射性物質が医療面において使用される場合はすでに医療法により規制されている。また医薬品として使用されることは今後増加すると予想されるが、薬事法によって製造から市販されるまで規制されている。

 原子力の利用が活発化するにつれて、それだけ人体に対する障害の発生するおそれのあることは何人も予想し得るところである。放射線の体外照射については、従来から医師の間において研究が続けられているが、体内照射については、昭和29年3月1日のビキニ環礁における米国の核爆発実験に際し第五福竜丸の乗組員22名がいわゆる死の灰による障害を受けたことにより、特に関心をよんできた。またこの第五福竜丸事件をきっかけとし、さらに広島、長崎における原子爆弾被爆の関係もあり、放射線および放射性物質による障害の問題は非常な関心のまととなった。広島、長崎における原子爆弾の被爆者については、今なおその後遺症について問題があり、厚生省はこの後遺症の治療研究を行うため、昭和28年11月、国立予防衛生研究所内に原爆症調査研究協議会を設置した。たまたまビキニ事件の起るにおよび原爆症調査研究協議会を拡大強化して事件処理に対応したが、さらに昭和29年6月12日の閣議決定にもとづきこの協議会を発展的に解消し、関係各省協力の形で原爆被害対策に関する調査研究連絡協議会を設置し、原爆による障害防止対策を行ってきた。

 原子力にともなう障害は、動物、植物、その他種々のものにおこるが、究極は人体に対していかなる障害を与え、この障害を防止するにはいかにすべきか、もし障害をうけたらいかに治療すべきかということになる。

 厚生省の原子力に関係する分野は、原子力の利用という分野もあるが、原子力による障害防止という分野が厚生省に特に課せられた分野であるということに特異性がある。厚生省は人間の疾病の予防および治療と社会福祉という二つの大きな分野を担当しているので、疾病の予防および治療に関連した省内の部課は多かれ少なかれ原子力に関係しているということは他の省とことなるということに特徴がある。

2.機   構

 原子力に関係する省内のおもな機構は次のとおりである。

(1)公衆衛生局

 放射線、放射性物質による一般的な障害防止の面に主として関係し、省内の原子力問題に関しては連絡調整をはかり、対外的な窓口となっている。局内部課については、

 (a)公衆衛生局企画課

 省内における原子力に関する事実上の窓口であり、原爆被害対策に関する調査研究連絡協議会の総括的運営に当っている。また広島、長崎の原爆被爆者について所管し、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律案(今国会提出予定)の主管課となっている。

 (b)環境衛生部環境衛生課

 公害方面の主管課であり、雨、空気、水等環境衛生の放射能汚染の問題を取り扱い、原爆被害対策に関する調査研究連絡協議会の環境衛生部会の幹事を行っている。

 (c) 環境衛生部食品衛生課

 食品衛生を主管し、食品の放射能汚染問題を担当し、原爆被害対策に関する調査研究連絡協議会の食品衛生部会の幹事を行っている。

 (d)環境衛生部水道課

 飲料水の放射能汚染問題を取り扱っている。

(2)医務局

 原子力に関しては、患者の診断、治療等の部門を担当し、病院、診療所におけるX線、放射

性物質の取扱い、場所の管理等をも行っている。すなわち医療法の施行を担当している。

 (a)総務課

 医療法の施行に関連し、X線、放射性物質の病院、診療所等医療に使用されるものについて主管している。

 (b)国立病院課

 患者の診断、治療等放射線の利用面の研究から、人体への直接の障害の臨床的研究分野を担当し、原爆被害対策に関する調査研究連絡協議会の医学部会の幹事を行っている。

(3)薬務局

 放射性物質が医薬品、医療用具あるいは化粧品として利用されるものについて薬事法による規制を行っている。原子力の利用面に関する色彩が強い。なお、放射性物質を利用した医薬品等の薬事に関する重要事項を審議し厚生大臣の諮問に応ずる機関として薬事審議会にアイソトープ含有医薬品等特別部会ならびに調査会を設置し、現在活発な活動を見せている。

 (a)薬事課

 薬事法を主管し、化粧品として使用される放射性物質および医療用具を取り扱い、またその製造場所の規制を行っている。

 (b)製薬課

 医薬品として使用される放射性物質の品質、製造の監督、指導を行っている。

(4)原爆被害対策に関する調査研究連絡協議会

 昭和29年6月12日の閣議決定にもとづき設置されたものであって、厚生省、文部省、運輸省、農林省、原子力局等の各省およびその附属機関(たとえば、運輸省では気象庁、気象研究所、海上保安庁等)東大、京大、立教大、科学研究所その他の学識経験者より構成されている協議会であって、委員30名、専門委員30名よりなる。部会は次の5部会である。

 総括部会:部会長塩田広重以下委員26名

 医学部会:部会長都築正男以下委員11名

        専門委員9名

 環境衛生部会:部会長中泉正徳以下委員17名

        専門委員9名

 食品衛生部会:部会長刈米達夫以下委員15名

        専門委員15名

 広島長崎部会:部会長小島三郎以下委員13名

        専門委員2名

 以上の協議会により原爆実験の対策を講じている。この協議会より文書とし出したおもなも

のに次のものがある。

  原子爆弾後障害治療指針(広島長崎部会日本医師会雑誌第34巻第12号)

  放射性物質障害の有無に対する健康診断基準(医学部会 昭和31年6月)

  原水爆被害調査研究報告(医学部会)

  放射性物質に対する許容度の考え方(食品、環境部会 昭和31年)

(5)地方衛生研究所

 全国46都道府県および大阪市、名古屋市、京都市、神戸市には地方衛生研究所が設置され、伝染病の細菌検査、食品の検査、医薬品の検査、環境衛生検査その他一連の直接一般大衆に関連する試験検査を行い、その府県の住民の保健を守ると同時に国の要請する全国的な公衆衛生業務の運営の円滑を計っている。放射能検査は、その設備が十分ではないが、昭和29年以来多少の差はあるが、三十数ヵ所が行ってきている。すなわち雨水、飲料水、食品等につきグロスアクティヴィティの測定を行ってきている。今後、全国的に放射能汚染の調査、すなわち一般大衆に対する障害防止の網を整備するとすれば、直接一般民衆に接しているところの地方衛生研究所の整備をはかることが最も運営を円滑にし、かつ効果もあがることが期待される。

3.研究機関

 厚生省直轄研究機関として原子力の利用あるいは障害防止の研究に関係しているおもな施設は次のとおりである。

(1)国立予防衛生研究所

 放射線および放射性物質の生物におよぼす影響、すなわち究極は人体に対する影響の研究と放射性同位元素を用いて、生体反応、生物学的製剤の検定方法の研究等利用面の研究の両者が行われる。

 現在既に研究に着手している題目および近く着手する題目のおもなものに次のようなものがある。

 動植物体内のK含量

 正常人の血液像と放射線による変化

 微生物による放射性同位元素の濃縮

 体液の排泄物中の放射性物質の定量

 汚染魚体に含まれる放射性同位元素

 Zn65の動物体内の分布

 放射性同位元素の動物体内の蓄積、分布、排泄

 S35によるファージー合成機構

 I131による抗原抗体反応の研究

 Co60による殺菌、殺卵

 抗生物質の中間代謝

 生物学的製剤、抗菌性物質製剤の検定法

 放射線の感染におよぼす影響

 その他

(2)国立衛生試験所

 放射性物質により汚染された飲料水、食品の検査、汚染物件のデコンタミネーション、放射性物質を用いた医薬品の検査、基準、規格、試験法の設定等障害防止に関する研究と積極的に放射性物質を医薬品、医療用具あるいは化粧品に利用する研究との両者の研究を行う。

 現に着手しまたは近く着手する題目のおもなものに次のものがある。

 放射性同位元素の水可溶性、水溶性の研究

 活性炭その他を用いる汚染除去能力の研究

 Zn65の膵臓ランゲルハンス組織機能に関する研究

 汚染魚類その他食品に関する研究

 人工放射能と天然放射能(K40)との分離測定

 無菌操作を必要とする注射液のCo60による殺菌と成分におよぼす研究

 NaI131液の規格試験法

 ステロイド性ホルモンの作用機転の研究

 食品規格としての微量Sr90の定量法設定

 K40およびC14の計測方法

 化粧品の体組織吸収

 その他

(3)国立公衆術生院  

 国立公衆衛生院はその特殊の性格により、公衆衛生に従事する技術者に対し原子力に関する一般教育を実施するとともにあわせて障害および利用に関する研究が行われる。ことに大気汚染および衛生工学上の伝統的な業績を活用して放射性物質による大気汚染、廃棄物処理に関する衛生工学的研究等障害防止の面の研究が特徴づけられる。
 放射性物質は、今でこそ特別なものとして限られた範囲のものに利用されているが、今後は通常の研究にどしどし利用される気運にあり、したがって放射性同位元素を用いての研究なり、仕事なりが一般化することが予想せられ、この廃棄物の処置に関する研究は公衆衛生上重要なものである。

(4)国立らい研究所

 らい患者は特殊な施設においてのみ取り扱われ、またらいについての治療法なり診断法に放射性同位元素の利用価値が予想されるため、本研究所において研究を行うようになっている。

(5)国立栄養研究所

 放射性同位元素の利用の研究が主であって、栄養素の体内における代謝の研究、栄養の原理の研究を行うとともに放射線照射食品の栄養成分に与える変化および人体におよぼす影響等について研究する。

(6)国立病院、国立療養所

 基幹国立病院においては、人体に対する障害と悪性腫瘍等の治療、その診断への利用等について研究される。現在取りくんでいるおもな題目は、障害防止については

 放射線(放射性物質)による障害の診断基準(体内照射、体外照射)の研究

 放射線(放射性物質)による障害の治療方法(体内照射、体外照射)の研究

 放射線(放射性物質)による障害予防に関する研究

(a)体内に侵入せる放射性物質および体表に附著した放射性物質の除去

(b)γ線、β線その他の放射線の障害防御のための遮蔽の研究

(c) 放射線障害の生物学的防御に関する研究

 放射線の人体におよぼす最大許容量の研究

 その他

 利用面としては、悪性腫瘍に対するCo60の大量照射、アイソトープによる診断、その他治療の研究、結核菌その他細菌の研究等広く利用されている。

4.一般大衆に対する障害防止体系

 ここに述べるのは、放射線や放射性物質を取り扱う職業人でなく、一般大衆に対する障害防止、換言すれば、公害としての放射線、放射性物質による障害の予防のための機構である。
 厚生省としては、一般大衆の保健を守る責任をもっている。したがって、一般大衆の日常の衣、食、住に対して衛生上有害なものに対する監督指導、ひいてはさらにこの監督指導により大衆の保健の増進をはからなければならない。このことは放射線や放射性物品以外のものについては既に実施していることであって公衆衛生といい、環境衛生というも上述のことにほかならない。環境衛生に関しては地方自治体が国の委任事務として、また地方的に特殊のものについては自主的に実施して厚生省は指導監督という方法によってその円滑をはかっている。放射性物質については、現在はその平和利用の程度がまだ低いのでそれほど問題にならないが、今後普及されるにつれ一般公害として当然問題になる性質のものである。また現にわが国の実施していることではなく、むしろ実施を好まない原水爆実験が大国の間に行われ、好むと好まないとにかかわらず放射性物質による環境の汚染が増加の傾向にある。かような事態にあるとき、国の施設のみでこの防止態勢をとることは、経済的にみても、実施する施設の数からみても十分には行え得ないことは明白であり、国と地方自治体と協力した態勢をとることが最も能率的であることがわかる。厚生省は日常一般大衆の直接接触する最小限度の分野において、国と地方自治体と共同した防御の体系を考えている。このさしあたり必要な防止体系として直轄研究機関と地方衛生研究所の分担事項を次のように立案し、実施せんとしている。

国立予防衛生研究所

 生物、人体における放射能の測定と地方衛生研究所に対する指導

国立衛生試験所

 雨水、天水、上水、下水、食品等の調査と地方衛生研究所の指導および地方衛生研究所から送付された試料の分析

国立公衆衛生院

 大気汚染の測定と放射性物質の衛生工学的処置、公衆衛生技術者の教育

地方衛生研究所

 地表塵、雨水、天水、上水、下水、食品等の放射能と地域的特殊調査

 放射性物質の調査においては、分析まで実施しなければ意味がないが、現在分析には高度の技術を要するため、地方衛生研究所は必要と認められる試料を中央の直轄機関に送るように措置せざるを得ない。しかし将来は分析能力を附与することが必要となる。

5.緊急とする問題点

 福竜丸事件以来厚生省は放射能問題ととりくんできたが、まだ十分な態勢がとられていない。予算上からも制約され、また調査に従事するスタッフもまだ充実されない。したがって今後の緊急問題としては、次の三つがあげられる。

(1)技術者の養成訓練

(2)国立予防衛生研究所、国立衛生試験所、国立公衆衛生院の放射性物質測定施設の整備

(3)地方衛生研究所の放射能測定施設の整備

 技術者の養成訓練は昭和32年度からは、やりくりしても実施しなければならない。
 地方衛生研究所の整備については、32年度予算の要求をしたが、実現をみなかったことは非常に遺憾であり、今後一層の努力をしなければならない。議論はともかくとして放射能による公害に対しては、現在の諸法律の施行の上からも厚生省は責任をもたされている。たとえ放射線医学総合研究所は設立されたとしても、行政上の実施しなければならない任務に対しては厚生省の機関において実施できるように整備されなければならない。障害防止については、その性格が地味でありかつ縁の下の力持ち的仕事であるためとかく軽視されがちである。原子力を産業開発に役立たせることは非常に必要ではあるが、そのためにはこの障害防止の態勢を整備することが最も大切である。