原子力と世界連合


原子力委員会参与  大屋 敦

 先日スカンジナビア航空会社の北極回り旅客機が東京、コペンハーゲン間8,000マイルを正味わすかに31時間で飛翔した際、デンマークのハンセン首相は羽田で日本とデンマークとはお隣り同士になりましたと挨拶した由であるが、世界の国々が日増にその距離を縮めつつあることは驚くばかりである。民族の相違も国境の障壁もやがては各国相互間の文化の交流や物資の移動を妨げることが不可能になることであろう。最近、フランス、西独等6カ国が共通の市場を創設する案につき協議を進めた由であるが、この会談で欧州原子力機構の一つであるユーラトムの結成がいよいよ具体化されたことは、日本の原子力開発の将来にある示唆を与えたことになるであろう。原子力の技術、施設、原材料を関係諸国の間に有無相通ぜしめんとする考えがいかに大切であるかは、この会談が各国首相直々の間で行われたことをみても想像ができる。
 目下米国で創立準備中であるソ連を含めた国際原子力機関のことはさておき、世界の自由主義国家群を一丸とし原子力開発の協力機関を設置せんとする意見が、米国の一部で提唱されている。その主張の一節に「原子力の平和利用については、一国のみを考えるのはすでに時勢遅れであり、すべて世界的視野に立つことが肝要である。しかもその目的とするところのものは一国の支配にあらずして、世界の民福である。」と述べている。実際はそのとおりにいかぬにしても、原子力につき支配的の立場にいると思われる米国人の大きな反省であるともいえるだろう。
 日本は戦後における原子力研究の禁止により原子力の利用につき大きく −問題にならぬ程大きく− 遅れをとっている。相当明るい見通しをもっているとはいえ、国産のウラン鉱が近い将来数十万キロ、数百万キロにも上る原子力発電の燃料自給を達成しうるやは一応疑問とせざるをえない。否不足の場合をも勘案して今から対策を考えておかねばなるまい。結局どこかの国から鉱石なり、金属の形でウランを輸入する必要があろう。また原子炉はじめ、原子力施設に関する技術または施設それ自身についても先進国の援助を受けねばならぬことはすでに原子力界の常識になっている。かかる情勢下にあってもなおある特定の国と協定を結び、その国と親近の関係を作りだすことに政治的の紐つきと称して反対するものがあることは、どうしてもふに落ちない。国際機関ができた上という慎重論がでるのは原子力利用の世界動向についての見通しに徹していないためでなかろうか。アメリカの原子力委員会などは決して日本だけを対象にしている訳ではなく、数多い欧米各国を相手にしてそれぞれ双務協定を結んでいる。国際機関ができれば、必要に応じてそれに切り換えるのであろう。日本のみがなぜ特別の考慮を必要とするのか、どうしてもふに落ちない。無考えに飛びつくというのではない。見通しが肝要であると信ずるからである。
 現在のイギリスの技術でもウラン1トンは石炭の1万トンに相当する燃料価値がある。技術の進歩とともに、特に増殖炉でも実用になった暁には原子力発電に必要なウランを産地から消費国に輸送しかつこれを貯蔵する容易さは他の燃料の比でない。エネルギーを公平に世界に配分するため神が人類にその利用を垂訓されたものであるから、何人もほしいままに自己の利欲のためにのみ独占することは許されぬだろう。