原子力発電計画について

原子力委員会参与 菊池 正士

 原子力発電の計画をめぐって動力炉の早期導入に対する学界側の慎重論と産業界側の積極論が一時鋭い対立にあるように思われたが、最近は慎重論の影がうすくなり動力炉の早期導入が大勢を支配しているような感じがする。元来慎重論を分析すると三通りになる。

 第一は政治的考慮から来るもので、いそいで協定を結ぶのはよくない。国際管理機構ができるまで待てというものであり、第二は技術的に見てまだまだ原子力は発展の途上にあるのだからこの段階で既製品の発電所を買うことは無駄であろうというのであり、第三には国内技術育成の意味から手放しの外国依存に対する警戒である。

 早期導入賛成論の方もこれを分析するとだいたい三通りくらいになる。

 第一に原子力発電という大事業を導入するという華々しさに幻惑されている面も絶無とはいえない。第二に国内技術に対する不信任から日本の科学者、技術者にはまかせてはおけないという考えもあろう。また第三には国内技術の育成の意味で早く導入した方がよいという意見もあろう。

 これらの論拠が実はいろいろにまざりあって時と場合によっていろいろの形をとって発言されるために不必要な誤解を招き国内体勢がはなはだしく不一致であるかのごとき感を抱かせられる場合が往々にしてある。たとえばある狭量の科学者は一から十まで国産でやるべきだというような議論をしたことがあるかもしれない。それに対してある産業界の人は日本の科学者は自分の力も知らないで昔の国粋主義者と同様だとけなす。これではまったく子供のけんかのようなものである。

 私は現在のところ科学者側の人でも産業界例の人でも常識のある人たちの意見はだいたいにおいて一致していると思う。

 第一にあせっても致し方ない。アメリカ、イギリス、ソビエト、フランスが断然進んでいるのはあたりまえのことである。これを見てジタバタあわてることはすこしもない。火力発電がなくなってしまった訳ではないのである。

 第二にだからといってしかしあまりのんびりすることはできない。近い将来に適当の規模の動力炉の導入は必要であろう。

 第三にしかしその場合導入の主眼は国内技術の育成という点に置くべきである。したがって導入と並行して国内技術の開発に万全の策を施し最善をつくさねばならない。

 私はこの最後の点の重要性の認識が一般に果して十分であるか否かなお多大の不安を持っている。