原子力局

原子燃料公社の開所式および開坑式

 原子燃料公社は、その発足以来早急に事業に着手するための準備を進め、特に地質調査所から引き継いだ鳥取県倉吉附近の小鴨、人形峠、岡山県倉敷北方の三吉の3地点(鉱床の概要については本誌8月号参照)の探鉱を急いでいたが、このほどその準備もととのい、また現地の業務を行うため倉吉市に出張所を設けることとなったので、公社の業務の開始を記念するとともにこの機会に現地関係者との親睦を図り、今後の運営を円滑にするため10月20日、21日の両日にわたり、三吉および小鴨で開坑式を、倉吉で出張所の開所式を行うこととした。

 この式典はわが国最初のウラン鉱開発の式典にふさわしく盛大に挙行され、出席者は国会議員からは海野、稲葉、星島、赤沢各衆議院議員、仲原、木島各参議院議員、監督官庁側からは井上内閣総理大臣秘書官、正力科学技術庁長官、斎藤科学技術政務次官、篠原科学技術庁次長、佐々木同原子力局長、関係行政機関からは通商産業省鉱山局長(代理)、同地質調査所長(代理)、同東京工業試験所長(代理)、同電気試験所長(代理)、広島通商産業局鉱山部長(代理)、広島鉱山保安監督部長(代理)、地元側からは三木岡山県知事、遠藤鳥取県知事を初め、岡山、鳥取両県、倉敷、倉吉両市の関係者多数、またその他関係機関からは早川日本原子力産業会議事業部長、駒形日本原子力研究所副理事長、坪井岡山大学温泉研究所長等の多数にのぼり、特に岡山、鳥取両県および倉敷、倉吉両市の絶大な援助により式典は予期以上の成果をあげることができた。

 式典はまず三吉における開坑式から始まり、20日午前11時、東京からの一行が県の世話による乗用車16台に分乗して到着、雲一つない秋晴れの下、松の緑濃き山々に囲まれた三吉鉱山において開坑式を挙行、正12時、正力国務大臣がボタンを押すとともに発破の響きが青空にとどろき、原子燃料開発の第一歩が踏み出された。

 続いて花火に迎えられて地元小学校講堂に設けられた会場において祝典を行い、来賓各氏の祝辞等が行われた。

 1時30分、ふたたび車を連ねて三吉を出発、岡山、津山を経て三朝に向い途中苫田高校および人形峠に立ち寄った。苫田高校は奥津温泉のすぐ南に位置し、この附近においてもウラン鉱が発見され、公社が鉱業権を出願中とのことであった。人形峠においては地質調査所に引き続いてすでに公社が探鉱を開始し、峠の山小屋に宿泊してピット掘りが進められていた。

 一行は午後7時三朝に到着、大橋旅館において懇談会を行い、正力国務大臣の原子力の将来に対する見通し等についての話があった後ウラン鉱、金属ウラン等の回覧が行われた。

 翌21日はまず小鴨鉱山において開坑式を行い前日同様正力国務大臣の手で発破のボタンが押され、探鉱坑道の掘進が開始された。

 続いて倉吉西高校の講堂において、公社倉吉出張所開所式兼開坑式の祝典が行われ、席上来賓各氏の祝辞の後出張所長から今後の決意がひれきされた。

 以上2日間にわたって行われた祝典、懇談会等の席上において、来賓各氏から述べられた祝辞等を総合して見ると、次のようであった。

 今回の公社の開坑式、開所式の意義は要するにわが国におけるウラン鉱開発の仕事がここに初めてその第1歩を踏みだしたということであり、国内エネルギー資源の不足が数年先に予想されている現在、原子力発電を目指して原子力の開発をいそぐことは目下の急務であり、これに対応するための国産ウランの急速な開発が望まれているにもかかわらず、従来わが国においてはペグマタイトにともなうウラン鉱以外のウラン鉱は存在しないといわれていたが、今回三吉、小鴨を中心として次々と鉱脈型鉱床にともなう二次成ウラン鉱が発見されつつあることは、将来ともにウラン鉱開発について明るい見通しをいだかせることにあるものとしており、また地元側の祝辞においてはこのような鉱脈型ウラン鉱が岡山、鳥取両県下に発見されたことの意義は、今後原子力産業が興隆するにつれて、両県民がそのにない手として原子力の先駆的役割をはたしうることを約束されたことにあるのであり、その意味において両県は公社の行うウラン鉱の開発について全面的に協力することが強調された。