融合反応の一実験

原子力委員会参与 伏見 康治

 湯川財団のお金を頂いてシアトルの国際理論物理学会議に出席、私の専門である統計力学の会議で、パネルという雛壇の上で議論を戦わすという初めての経験を何とかお茶を濁してすまし、折角来たのだからと思ってサンフランシスコおよびロスアンゼルスに廻った。

 ロスアンゼルスの町のはずれに南ヵリフォルニア大学という田舎大学がある。これは、カルテックともカリフォルニア大学ロスアンゼルス分校ともちがう小さな大学である。ここに藤岡先生のお第子さんのお第子さんがいるはずであったが、そのお名前を正確には覚えていなかった。多分林さんだと思って、案内所のおばさんと談判したが、遂に名簿の中に林さんを発見できなかった。そこで実は林さんはどうでもよいので、ボルラート先生の実験を見せてもらいたいのだといったら、早速場所を教えてくれた。その建物つまり物理教室の事務所のおばさんに来意を告げると、すぐまた電話で連絡してくれる。この辺のビジネスライクのてきぱきした客扱いは、参与会の場所をまちがえて総理官邸に行ったときの玄関子のとり扱いとは大分ちがう。

 ボルラート先生は見学を大いに歓迎すると見えて、地下室に降りると既に部屋を出て私を待ち構えていた。実験室はまず私たちの実験室程度のこじんまりしたもので、また実験装置も一抱えの小さなものである。バークレーのベバトロンとか、カルテックのシンクロトロンとかばかでかい装置を見てきた眠から見るといかにもささやかなもので、私はこれを見てアットホームに感じるといったら、ボルラート先生は「これは日本人向きだよ」と返事した。日本ではむかし長岡半太郎先生が針金をコンデンスド・ディスチャージで爆発させて数万度の温度を得たことがあるといったら、あああの水銀から金をとるといった男かといわれた。

 ボルラート先生の装置はニュークレオニックスに載っていたとおりのもので、別につけ加えることがない。パイレックス製のドーナツ型放電管の外面には相当厚く銅メッキがしてある。この理由はプラズマの横にそれる不安定性を鏡像の原理で避けるためであるという。(私はこの銅メッキが放電管内部をシールドしはしないかと心配である。)ドーナツの内面にはセシウムをすこしつけておいて、光電子によって放電の始動を助けている。ボルラート先生は、クルチャトフ報告の実験で電極があることを攻撃し、高温高圧がそこから逃げてしまうから無極放電でなければならないと主張した。(私はまたボルラートの変圧器が果してうまくその二次回路であるドーナツに電力を食わせうるか疑問を感じる。)

 ボルラートがコンデンスド・ディスチャージをただやるというのでなく、多少ともねらいをつけて実験しているのには感心した。しかし、彼が測定器についてあまり語らなかったこと、恐らく何もしっかりした測定をしていないらしいことには、いささか失望した。プラズマの中で何が起っているかを知ることこそ、この問題の急所であるからである。

 AECという組織から離れた小規模ではあるが自由な研究について、私はその楽しさと限界とを知った。