ジュール・ゲロン氏の来日について フランス原子力庁の企画部長兼物理化学部長ジュール・ゲロン氏の来日については前号に記載したとおりであるが、去る10月1日午前4時半エアフランス機で羽田に到着した。 氏の滞日中の日程は次のとおりである。(ただし、本稿締切の10月10日以後の分は予定) ジュール・ゲロン氏滞日日程
注 ① 10月5日の講演会は、日本原子力産業会議、日仏工業技術会、日本化学会、日本原子力研究所の共催とする。 ② 東京でのゼミナールは、日本原子力産業会議、日本化学会、日本原子力研究所、原子燃料公社の共催とする。 なお、10月2日に行われた国会議員団との懇談要旨および記者会見の際の談話要旨を次にかかげる。 国会議員団との懇談要旨 (昭和31年10月2日 於 人事院ビル) 出席者 中曽根原子力合同委員会委員長 苫米地参議院議員 佐々木原子力局長 佐藤原子燃料公社理事 中曽根議員からフランスにおける鉱物開発についての質問に対し、ゲロン氏から次のような説明があった。 原子力関係予算の増大にともない減少してはいるが、鉱物開発関係予算はだいたい原子力関係予算の30%を占めている。 当初は全部の開発を政府自ら行ったが、最近では民間で採掘したものを政府が買い上げる方法も採っている。 今日フランスは核原料鉱物を自給し得るが、それは非常な幸運に恵まれたことももちろんであるが、政府のなみなみならぬ努力によるものであると考える。すなわちウラン鉱の探査には完全な地質地図が非常に大切であるが、これより重要なことはこれに当る人である。これら関係者の教育に政府は今日も努力を払っている。 工夫は味気ない生活の中で厳しい規律に従いながら作業に従事するので、転向者の数も少なくない。したがってできるかぎり多くの工夫を採用して教育を行っている。 また工夫の士気と作業の成否に重大な影響があるのは採掘用機器である。その性能、数量、修繕等にメーカーと密接に連絡をとり、これを指導してきた。今日ではそれほど困難な仕事とは思われていないが、終戦直後、いかなる前例もない事業を生活の悪条件の中で行わなければならなかったので非常な決意と努力が必要であった。 記者会見の際の談話要旨 (昭和31年10月2日 於 人事院ビル) 原子力関係における日仏協力方針につきゲロン氏が述べた談話の要旨は次のとおりである。 1.科学的意味の協力 2.技術の交換 3.政府間協定締結 |