行政の科学化と原子力

原子力局次長 法貴 四郎

 2、3年前の諸説紛々たる時代に比べれば、随分思想統一が行われ、わが国の原子力開発コースもおぼろげながらそのコースが定まりかけているというのが現状であるが、少しく具体的な問題となると、まだまだ関係者の間でも考え方の上に相当大きな喰違いの見受けられることが多い。原子力という最も新らしい科学技術の分野において比較的科学的根拠に乏しい直観的論議が多いのも大きな矛盾であるが、不確定要素が多いことを考えれば止むを得ないことと思われるものの、一面このような環境が素人的論議を助長し、そのために問題を混乱させているという現象もまた見逃し得ないところである。

 原子力行政のみならず、わが国の行政がすべて今少しく科学的根拠の上に立つ合理性と、ある期間に対する計画性とを持たなければならないと考えるのは、恐らく多数人の共通した心理であろう。大正、昭和を通じての科学技術の輝やかしい発展を考えるとき、これに比べて行政機構ないし行政技術の旧態依然たる非科学性は余りにも対蹠的である。由来わが国の行政はともすれば直観ないし単純なる経験に基づく即応的判断力による部分が多く、綿密に集計された統計資料に基づく科学的帰結を重視しないうらみがある。行政が科学的合理性を持たず、単に当事者の顔と直観と利害によって左右されるということであれば、国民の不幸はこの上も無い。

 勿論このような事実があるとしても、それは単に為政者のみの罪ではない。一般的通念に従えば、科学よりも文学を好み理知よりも情操を重しとするわが国民性に発する当然の帰結であって、その淵源する処は国民精神の問題とも考えられる。

 科学技術庁設置の大きな目標の一つは「行政の科学化」にある。なかんずく原子力行政は時代の先端を歩むものとしてその行政は最も科学的であらねばならない。行政の科学化を図るにはいろいろの手段が考えられるが、国家として重視すべきものの一つは調査機能の充実であろう。すべての行政企画は広汎精緻なる調査結果の上に科学的合理性を以て組立てられたものであらねばならぬ。最近「科学技術情報センター」の構想が打出されているのは誠に結構と思われるが、このような重要な機能が従来の国家行政機構中から脱落していたとすれば、官僚の怠慢をそしられても止むを得ない。私見によればこの場合調査の主体性と責任とは政府自らがとるべきであり、また調査範囲を特に「科学技術」に限定する要はなく原則的には国家行政機能のすべてにわたって行われなければならぬと思う。

 原子力はその問題の性質上、国際的関連、長期計画的要素が特に重視されねばならず、政策立案に当っては他の部門に比し一段と調査機能の充実が要望される次第であって、われわれもまたこの線に沿って努力しなければならない。