わが国原子力開発の進展に当って

原子力委員会委員 石川 一郎

 原子力利用の問題は、最初は悲惨な兵器として日本国民の脳裡に焼きつけられたので、その後世界に膨湃としておきた平和利用についても、日本では一部の反対論があったりしてなかなか踏み切りができなかった。しかし昨年から次第にその重要性が認識されて、調査研究のために欧米にも出向く人が多くなり、特にこのごろ、諸外国のその方面の権威者が来日して、国内一般も平和利用の促進に関心が強まった。日本はこの先十年もたてば数十万kWの発電を原子力によらねばならぬ見透しもあるし、アイソトープの利用もこれこそ末広がりに人間生活の各般の細部にまで利用されて行くであろう。

 日本は、世界の原子力利用の最もテンポの速かだった約十年間いわばつんぼ座敷におかれ、少なくとも十数年は遅れているといわれる。それを取り返して先進国と肩を並べるには相当の努力を要することは勿論であるが、しかし、例を日本が蒸気汽缶を受入れた過去に徴しても、周知のようにワットの発明以来百年くらいたってからであった。爾来よくこれを自家籠中のものとして、今日では機関車のごとく海外にも輸出している。原子力産業は遅れたりといっても十年そこそこ、それに世界の先進国といってもまだ五十歩百歩のところが多いのであるから、こちらの意気込みによってはあえて悲観するにも当らぬ。

 一体日本の文化の形成は、文化史を遡ってみても、社殿建築、茶道、詩歌、仮名文字に現われるわび、さび、簡素さといった固有のものと考えられるものもあるが、たとえば、漢文字、儒教、仏教の渡来から明治における欧米文化の移入に至るまで、元をただせば外来文化の受入れでないものはない。もちろん、一国の文化は他の国との文化交流によって進歩するものではあるけれども、日本の現代の文明を基礎づけるほとんどは外来移入といってよかろう。日本独特の文化といわれるものも、これは日本の世界における飛び離れた地理的環境から激しい世界文化の交流がなかったためとも見られよう。むしろ日本文化の特性は、かずかずの外来文化を素直に受け入れながら、それをただ習得しただけでなく、これをよく消化して自らの文化を創造してきた点であろう。

 現在の世界は史上にないほど、接近していることでもあり、新しい原子力産業のごときは虚心にこれを受け入れて早く自分のものにする心構えが必要である。しかし、新しい仕事は何かと議論も多くなり、ともすれば眼前の急を求めて拙速になりやすい。そのために禍根を遠く将来にのこすおそれなしとしない。これは明治以来の外来文化の受入れに当っても経験ずみで、その影響が今日に及んでいる。戦後再認識されたいわゆる民主主義のごときも、現在国民批難の的である国情にみられるように、与えられたものの硬直さを免かれない。原子力平和利用についても、この点を充分気をつけて、不消化の禍根をできるだけ少なくするよう心掛けなければならない。

 そこで、原子力産業の開発のためには、まず、知識や情報をできるだけ集める必要があるから、許される限りは海外へ人を送るべきである。しかし無暗に多人数を、という訳には行かない。さいわい昨年の諸外国の権威者の来日は態々日本から出掛ける手数が省けるので、海外へ行かぬ人達には新知識や情報を得るに都合のよい機会であるから、この人達の注意や意見等を充分聞く必要がある。ただ、それを雑然と鵜呑みにすると消化不良になるから、自分の努力で良く整理し、かみしめて、そこからいわば過去の日本がそうであったように、日本独特のペースを創りだしていかなければならない。眼先きだけに幻惑されず、遠く将来を慮り一般的科学技術の向上や関連産業の育成、専門科学技術の充実を基礎にして、日本の原子力平和利用の発展を促進して行くべきである。