第II部 各論
第4章 新型動力炉の開発

3.軽水炉によるプルトニウム利用

 軽水炉によるプルトニウム利用(プルサーマル)については,現在の少数体規模での実証計画の成果を踏まえつつ,最初の利用計画として,1990年代央に,80万キロワット級以上のBWR及びPWRそれぞれ1基において,その1/4炉心相当分をウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料にする計画を経て,それに続いて,1/3炉心相当分のへMOX燃料を装荷することとしており,100万キロワット級軽水炉に換算して,1990年代末には4基程度,2000年過ぎには12基程度の規模にまで段階的かつ計画的に拡大し本格利用へと移行することとしている。現在は,少数体規模での実証計画が進められており,日本原子力発電(株)敦賀1号炉(BWR)で1986年6月から1990年2月までへMOX燃料2体を照射した。また,関西電力(株)美浜1号炉(PWR)で1988年3月からMOX燃料4休の照射を開始し,1991年12月に照射を終了した。

(参考)諸外国の動向
 高速増殖炉
 高速増殖炉の開発については,原子力先進諸国は,おおむね,実験炉→原型炉→実証炉の3段階を経て商業用大型炉へ向がうという開発方針をとっており,英国,フランス,旧ソ連では,既に,電気出力30万キロワット級の原型炉が稼働している。フランスでは,実証炉(スーパーフェニックス)が運転の段階に入っている。
 スーパーフェニックスに続く次期欧州高速炉については,欧州5か国(フランス,英国,ドイツ,イタリア及びベルギー)間の協力体制で研究開発を行う方向で協議が進められ,1989年2月にフランス,英国及びドイツ間において高速増殖炉の開発に関する協定が調印された。具体的には,ヨーロッパ高速炉電力会社グループ(EFRUG)が,従来各国で進められてきたSPX-2,CDFR及びSNR-2の設計研究とそれに関係した研究開発を統合し,経済性の一層の向上を図りつつ,各国の許認可性を有する欧州統合高速炉(EFR)の共同設計及びそれに関連した研究開発を行う計画を進めている。
 イ)フランス
 フランスの高速増殖炉開発は,原子力庁(CEA)を中心として一貫した自主開発路線により進められてきた。1967年には,カダラッシュ研究所で実験炉「ラプソディー」(当初熱出力2万キロワット,1970年4万キロワット,1983年停止,廃止措置を実施中)が,1973年には,原型炉「フェニックス」(25万キロワット)が臨界に達した。
 実証炉「スーパーフェニックス」(124万キロワット)は,1985年9月に臨界,1986年12月には全出力運転を達成したが,1987年3月燃料貯蔵ドラムにナトリウム漏洩が発見され,運転を停止した。1989年1月に運転を再開したが,その後1990年7月に1次系への空気混入のトラブルが発生して以来運転を停止している。「スーパーフェニッス」について,フランス政府内での調整等が行われていたが,1992年6月,フランス政府は,運転再開のための対策の実施と施設の安全性についての公聴会の開催等が必要として,運転再開の延期の決定を行った。
 公聴会については,1993年3月から6月にかけ実施され,その結果,1993年9月原子力施設安全局(DSIN)が,施設の安全性に関する検討,特にナトリウム火災の危険を防止するための新たな対応を考慮した上で,運転再開を支持する判断を出すことを条件に,公聴会委員会はクレイマルビル発電所の運転許可の更新を支持することを表明するとの報告がなされたところである。現在,運転再開に向け,安全性確保のための対策が実施されつつある。また,CEAは高速炉を利用し,プルトニウムの消費やアクチニドの消滅を図るための研究(CA PRA計画)にも着手している。
 ロ)ドイツ
 ドイツでは,実験炉「KNK-II」(2万キロワット,1991年8月閉鎖)の経験を踏まえ,原型炉「SNR-300」(32万7干キロワット)の建設を進め,燃料装荷前の機能試験をほとんど終了していた。しかし,燃料移送・貯蔵に関する州政府の部分許可が下りないため,プロジェクトは停止したままとなっていたが,1991年3月,計画中止が発表された。
 ハ)英国
 英国における高速増殖炉開発は,英国原子力公社(UKAEA)を中心に進められており,1959年,ドーンレイ研究所で,実験炉「DFR」(DounreayFastReactor,1万5千キロワット)が臨界に達し,実験炉「DFR」は,高速増殖炉燃料技術等に関し貴重な情報提供を行ってきたが,当初の任務を果たし,1977年3月閉鎖された。
 「DFR」に続く原型炉として,「PFR」(PrototypeFastReactor,25万キロワット)が建設され,1974年3月臨界に達しており,運転開始後,蒸気発生器の故障等があったが,それらを克服し原型炉としての貴重な経験を蓄積し,これまで運転が継続されてきている。なお,「PFR」の運転は1994年まで継続することになっている。
 ニ)米国
 米国は,世界で最も早く開発に着手し,EBR-LII,エンリコ・フェルミ炉,SEFOR等の実験炉の建設を相次いで進め,特に広範囲にわたる基礎工学的研究開発に力を注いでいる。
 原型炉「CRBR」(ClinchRiverBreederReactor138万キロワット)の建設計画は,1977年,カーター政権の核不拡散政策の強化後,1983年10月の米国議会において「CRBR」予算が否決されたことにより中止された。
 その後の高速炉への新しい取組として,新型液体金属冷却炉(ALMR)計画を推進してきた。現在は廃棄物管理のためのアクチニド・リサイクルを追求する金属燃料高速炉(IFR)構想を重点的に進めようとしている。しかし,エネルギー省1994年予算政府原案においては,新型炉関係研究開発予算はアクチニド・リサイクル計画,施設閉鎖費を除いて,すべて削減された。この予算案については,下院においては,新型液体金属炉計画(アクチニド・リサイクル計画を含む)を廃止する案が可決されたが,その後上院の審議では,新型液体金属炉予算及びアクチニド・リサイクル予算が復活するという下院と逆の決定となったため,今後,両院協議会において調整されることとなっている。
 「FFTF」(FastFluxTestFacility,熱出力40万キロワット)は,1980年1月に臨界,1980年12月全出力運転を達成し,FBR用の燃料,材料の開発を主たる目的として高速中性子照射試験用施設として利用されていたが,1990年1月に運転停止計画が発表された。その後,同炉の国際利用への努力が続けられているが,1992年3月に運転待機が決定された。
 ホ)旧ソ連
 旧ソ連は,1955年に臨界に達した臨界集合体「BR-1」を手始めに,「BR-2」(熱出力100キロワット),「BR-10」(熱出力5千キロワット→1万キロワット)等の実験施設を相次ぎ建設し,1969年には,実験炉「BOR-60」(熱出力6万キロワット,電気出力1万2千キロワット)が,1972年には,海水脱塩を目的とした「BN-350」(熱出力100万キロワット,電気出力35万キロワット相当)が,それぞれ臨界に達した。
 原型炉「BN-600」(60万キロワット)は,1980年2月に臨界に達し,運転を継続している。「BN-600」に続く大型炉については,「BN-800」(80万キロワット)の建設が開始されたが,現在プロジェクトは凍結されており,また,次の大型炉「BN-1600」(160万キロワット)の計画は進展していない。

(参考)海外の軽水炉でのプルトニウム利用


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