第2章 核燃料サイクル
1 日米原子力交渉と国際核燃料サイクル評価(INFCE)

(1)日米原子力交渉

 米国のフォード大統領は昭和51年10月,再処理・濃縮技術及び施設の3年間の輸出モラトリアム,再処理プルトニウムリサイクルについての再検討等,核拡散防止の強化を目的とした原子力政策に関する声明を発表した。
 フォード政権を引き継ぎ,本年1月に大統領に就任したカーター大統領も基本的にはこの政策を踏襲し,より強化することが予想された。
 このとき我が国では動力炉・核燃料開発事業団の東海再処理施設でのホット試験が7月に始められる予定であったが,米国でウラン濃縮されたウラン燃料を処理又は第三国に移転する場合については,日米原子力協力協定により,日米間の協議を行うことが定められているため,この新しい方針によりこの協議がどのような影響を受けるかが懸念された。そこで政府では昭和52年2月,井上五郎原子力委員会委員長代理を団長とする使節団を米国に派遣し,
〇 我が国では原子力の利用は平和目的以外にあり得ないこと。
○ 資源に乏しい我が国としては,再処理を含む核燃料サイクルを確立し,準国産エネルギーとしての原子力のメリットを最大限に引き出す必要があること。
等我が国の基本的立場の説明に努めた。また,1月に訪日したモンデール副大統領と福田総理との会談においても同趣旨の説明が伝えられた。更に3月21日, 22日には,ワシントンで開催された日米首脳会談で,福田総理はカーター大統領に対し,核兵器の不拡散には全面的に賛成であること,しかし,資源小国である我が国にとって原子力の平和利用は是非とも必要であることを主張し,その結果,両国が困らないような解決策を見出すために緊急な協議を続行することで合意がなされた。このような事態の進展に伴い,国内体制を整備する必要があり,政府では宇野科学技術庁長官を議長に,田中通商産業大臣,鳩山外務大臣の三者からなる核燃料特別対策会議を設置した。一方,フォード声明を踏襲するとみられていたカーター大統領は4月7日,新原子力政策を公表した(内容については総論第2章参照)。そして引き続く記者会見において,
○ 既に運転中の再処理施設を持っている(または近く持とうとしている)日本,フランス,英国,西ドイツといった国々に対して米国の意向を強制しない。
○ 西ドイツ,日本等は,自身の再処理を推進し,継続していく完全な権利を有している。
と発言したが,米国務省事務当局は,日本は西ドイツとは異なり,日米原子力協定があるので,動力炉・核燃料開発事業団の東海再処理施設の運転には日米双方の同意に基づく共同決定が必要である旨述べた。
 米国の新原子力政策の発表と前後して,ワシントンで事務レベルによる第一次日米交渉が行われ,技術的問題点について意見交換を行った。
 カーターが大統領になってからはじめての主要国首脳会議がロンドンで5月7,8日の両日開催された。ここでは当然,カーター大統領の新原子力政策が話題となり,再処理,高速増殖炉の開発を推進しようとするフランス,西ドイツ,日本の諸国と米国との間で意見の交換を行い,原子力の平和利用と核不拡散の両立の道を求めて,核燃料サイクルの国際的評価を行うことを決め,このための予備会議を速やかに開くことを合意している。
 6月2日から6日にかけて,第二次日米交渉が行われた(日本側代表新関欽哉原子力委員会委員,米側代表ベンソン国務次官)。この結果,日米の合同専門家チームにより,動力炉・核燃料開発事業団の東海再処理施設の運転に関して,両者に受け入れ可能な解決策を速やかに探求するための調査を行うことが合意された。
 この専門家チームによる合同調査は6月27日から東海村と東京で行われ,7月11日,既定方式と各種方式で運転した場合の検討結果が両国政府に報告され,これに基づき,第三次交渉が行われることとなった。
 第三次日米交渉は東京において8月29日から開催され宇野科学技術庁長官とジェラード・スミス核拡散問題担当大使との間の極めて率直な意見交換を通じ,両国の主張の隔りを順次解決することができた。この結果,9月1日,我が国の主張に沿って,東海再処理施設を運転することに関し,両代表者の間で原則的な合意が成立した。
 この内容は,宇野科学技術庁長官が,9月12日訪米した際,共同声明として発表され,同時に日米原子力協力協定第8条C項による共同決定がなされた(共同声明,共同決定は資料編参照)。


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