第7章 放射能対策

§1 基本方針の策定

 昭和36年10月,ソ連の核実験再開に処対して,内閣に放射能対策本部が設けられ,全国的な放射能調査組織が拡充され,放射能対策に関する調査研究等が推進されてきた。
 37年には,米国も核実験を再開し,付録IV-8に示すとおり,米ソ両国が,多数の実験を行なった。その結果,放射性降下物は,例年より多く記録され,放射能対策は,さらに重要な問題となった。
 このような情勢にあって,放射能対策本部では,警戒を要すべき暫定指標の作成を急いでいたが,同本部環境放射能作業班で,基本的な考え方がまとめられた。
 一方,放射線審議会は,放射性降下物の人体への影響に関する基本的な考え方について,審議をすすめていたが,放射性降下物による障害発生の確率は,線量と比例関係にあるので,国民にとって警戒を要すべき基準線量を設定することはできないが,被害を最小限にするための対策として,行政的には段階を設けざるをえないので,対策本部の作業班が作成した暫定指標を行政上採用することは,やむをえない旨の答申を,37年5月内閣総理大臣,厚生大臣および農林大臣に答申した。
 この結果,対策本部は,つぎの放射能対策暫定指標にもとづき,対策の実施をすすめることとしtこ。

            〔放射能対策暫定指標〕
(a) 方針
 放射能対策は,原水爆実験の直後のように,放射性降下物が急増する場合に行なわれるべき緊急事態対策と,長寿命放射性降下物の蓄積量が漸増かつ持続するおそれのある場合に行なわれるべき持続事態対策に区分される,前者においては環境要素の汚染放射性降下物の身体や衣服等への付着,短寿命核種による飲食物の一時的な汚染等に重点が置かれ,後者においては主として長寿命核種による飲食物の汚染に重点が置かれる。
 対策実施の指標として,前者に対しては雨および塵中の全β放射能レベルを後者に対しては90Srの降下積算量*とる。
 対策は,上記指標の段階に応じて放射能調査業務の強化,一般国民に対する広報等から始めて徐々に強力な行政措置におよぶものとする。
 なお,上記の緊急事態対策および持続事態対策は,同時に実施される可能性が大きいと考えられる。

(b) 緊急事態対策
 さしあたり放射性降下物(雨および塵中)の降下量が,1観測地点においても1箇月を越えない期間中に下記の値に達することが予想される場合を,緊急事態対策実施の指標とする。
   第一段階 2.5C全β放射能/km2**以上
   第二段階 25C全β放射能/km2**以上
 第一段階においては,放射能調査業務を強力に推進して,放射能レベルの推移を厳重に監視するとともに,必要な指導,助成等を行なう。
 第二段階においては,たとえば天水飲用者に対するろ過後飲用の指示,飲食物の生産流通面での管理助成等が必要となる。
 なお,個別の緊急事態においては,大づかみでも迅速に結果のえられる方法としてガンマ線スペクトルメーターによる短寿命核種の測定が必要である。


*主としで雨水中の90Srの値を積算したものを考えるが地表の90Srの存在量をも参考とし,地域的変動をも考慮するものとする。
**この程度の降下量による人体の被ばく線量は,大約それそれ250mremおよび2.5rem以下であろう。

(c) 持続事態対策
 さしあたり長半減期降下物の代表的核種である90Srの降下積算量を指標として下記のごとく段階を設定し,降下積算量の増加に応じて,対策を強化する。
   第一段階 20mc90Sr/km2以上
   第二段階  100mc90Sr/km2以上
 第一段階においては,放射能調査業務により,環境放射能レベルおよびその増減の傾向を常時観察するとともに,対策に関する試験研究を推進し必要に応じて,対策の実施をはかる。
 第二段階においては,飲食物の生産,流通の管理,指導,助成等の行政措置をとる。
 一方,対策本部は,環境における放射能レベルが上昇して,上記の暫定指標に定める値に達した場合に講ずべき具体的行政措置として,つぎの行政対策措置(暫定)を定めた。

            〔行政対策措置(暫定)〕
(a) 環境要素
 雨,空気中塵,土壌等の各環境要素中の放射能は,それが異常に高くなる場合は,影響するところも大きいと考えられるので,放射能調査業務の強化による環境放射能レベルの周到なる監視が必要である。
 緊急事態においては,外部線量を少なくするための適切なる措置を取るように国民一般に呼びかけ指導する。
 持続事態においては目下のところ蓄積量が激増した場合には,その外部照射に対する有効な対策は見出し得ないが目下のところは影響は小さい。

(b) 飲食物
 環境放射能による飲食物汚染対策は,わが国の飲食物の生産消費様式が欧米と著しく異なるので,欧米で行なわれている対策とはおのずから異なる。この対策は,国民全部を対象とするか又は一部の人々を対象とするかによって分けて考えることが必要である。また,一つの飲食物が汚染している状態では,他でも多かれ少なかれ汚染がおこっているので,ある飲食物に対する施策は全体の飲食物からの核種の総摂取量を軽減させるのに有効であり,また,そのための国民の負担を極力少なくするよう,慎重におこなわれなくてはならない。
 すでに今日,ある程度の仮定をおけば,1人1日の総合的な摂取量や濃度を降下積算量と降下率とで予見できるようになった。
 また,個々の飲食物となる生物の汚染濃度についても,このような予見が可能になるだろうし,また,そのような調査研究が必要である。
 直接に何らかの目安をもって検査にあたるまえに,飲食物という性質にかんがみ,そのようなことが必要であるか否かを,蓄積量,降下量,生育環境,飼料などの状態によって見当をつけることが必要である。
 ある飲食物対策を実施すべき時期は,その飲食物(i)中の核種の全摂取量(T)への寄与の大きさ,即ち,
    寄与の大きさ=Ai*Gi/T
 Ai:iなる食品の国民平均あるいは特殊グループの摂取量(g/day/Person)
 Ci:ある核種のその食品の中の国民平均あるいは特殊地域の濃度(μuc/g)
 T:その核種の国民平均あるいは特殊グループの全飲食物からの摂取量(μuc/day/Person)
 のいろいろの段階と,対策の難易,その飲食物の必要量を考慮してきめる。
 このような考え方は緊急事態対策及び持続対策の両者に対して適用できるものである。

(c) 飲用天水
 飲料水の種類別人口,天水飲用者(約10万人,2万戸),流水(湧水を含む)飲用者(約120万人,24万戸),井戸水飲用者(約4,250万人,850万戸),および水道水(簡易,専用水道水を含む)飲用者(約4,924万人,985万戸)に大別することができる。
 対策は国民一般に対するものと,一部の人々に対するものとに分けて考えねばならない。
 施策の順序としては,天水飲用者を優先的に考えるものとし,水道水飲用者等に対しては飲食物に準じて考慮するものとする,緊急事態の第一段階が予想される場合は,天水飲用家庭に対して簡易砂ろ過器(活性炭を含む)又は家庭用ろ過器(活性炭を主剤とするもの)の使用をすすめ,更に,必要に応じて,補助金の交付を行なう。
 緊急事態の第二段階が予想され,より強力な除染が必要な場合にはイオン交換ろ過をすすめ,さらに必要に応じて補助金の交付を行なう。
 穽井の可能な流水飲用区に対しては,それを指導すると共に必要に応じ天水飲用者に準じた取扱いを行なう。

(d) 人工栄養児ミルク
 日本人の平均1人1日当たりの牛乳摂取量は約50gであり,欧米人の約600gに比較して,食生活上での比重が著しく小さく,かつこれまでの調査によると乳牛の飼育法が異なるため放射能レベルは欧米のそれにくらべて低い。しかし,1歳未満の乳児160万人中約40万人を占めると思われる人工栄養児は,ほとんどミルクのみに依存していることを考慮すれば,更に環境汚染がいちじるしく増大する場合にそなえて,対策を用意しておく要があると思われる。
 人工栄養児の多くは,調整粉乳を使用しているが,調製粉乳は,摂取されるまでに生産,加工,流通の過程で一般に2〜3箇月を経過するのが普通であり,一般的には,その間に短寿命核種は充分減衰されてしまうから,緊急事態の第一段階では,特別な対策は必要でない。
 緊急事態の第二段階では,牛乳中の短寿命核種の濃度が濃くなるのでそれを飲用している人工栄養児に対して,牛乳から調製粉乳への切換えを指導する。
 持続事態の第一段階の初期においては,前出の如く欧米とくらべて,牛乳の放射能レベルは低いから特別の対策措置は取る必要がない。しかし,ある程度汚染が増大したら,牛乳を飲用している人工栄養児に対しては,調製粉乳への切り換えのための指導を行なう。さらに,放射能レベルが増大し,第二段階に近づいた場合には,90Srを除去した人工栄養児用特製粉乳の生産を指導または指示する。
 持続事態での第二段階においては,除染の強化の指示等を行なうと共に,流通規制をおこなう。
 対策実施に際しては,生産者および消費者に著しい負担をかけぬよう配慮する必要がある。


目次へ          第7章 第2節へ