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原子力委員会委員を退任して 島村 武久
![]() 昨年12月24日に任期満了となっていましたが、後任の発令が遅れ、やっと3月24日付で退任ということになりました。私の就任は新しい原子力委員会発足の昭和53年の10月でしたから、6年半も在任したことになります。この間他の原子力委員の方々及び大勢の事務局の方々に大変お世話になり、又御迷惑をおかけしました。この機会に心からお礼とお詫びを申し上げます。 人生には、人それぞれによって違いはあるにせよ、いくつかの転機があるようです。私にとっては原子力委員に任命されるということはまさに思いもよらぬ転機であり、それによって産業界で身を尽したいという私の人生設計は全く変ったものとなりました。原子力委員になることなど全く考えてもいませんでしたし、53年8月31日毎日新聞夕刊の一面トップにスクープとして原子力委員会人事が報道され、その中に私の名前と写真を見たときはビックリしましたが、就任の意思は全くありませんでした。当時私は原子燃料工業の社長としての仕事に情熱を持っていましたし、はっきり言って原子力委員にはなりたくなかったのです。 しかし四囲の情勢からどうしてもお引受けせざるを得なくなった時、改めて私は原子力委員として私に出来ることは何だろうかと考えました。お引受けするからには何かお役に立つことをしたいと思いました。そしていくつかの目標テーマを選びました。 ひとつは当時批判の的となっていた各省庁間の確執の解消であります。これは関係行政機関の調整を任務とする原子力委員が行うべき当然のことなのですが、過去に通産、科技庁に丁度半々在勤した私個人の経歴から、この問題には私自身率先当るべきだと思いました。 次に私は原子力委員会の威信を取り戻したいと考えました。原子力の開発を進めるには何よりも国民の信頼を得ることが大事ですが、そのためにはかなめとなる原子力委員会が毅然としなければなりません。内閣総理大臣の下にあって、内閣総理大臣は原子力委員会の決定を「十分に尊重しなければならない」と定められている程重い原子力委員会の地位に対する外部の認識は薄く、科学技術庁の諮問機関と思っている人が大半で、何もしない無力な委員会と蔭口を叩かれるようでは困ると考えたからです。 第三に私は研究開発の成果の産業化ということを掘り下げて検討し、具体化を図って円滑に推進すべきだと思いました。それには十数年という短い期間ながら原子力産業の第一線にあった私の経験は充分に役立ち得ると思いました。巨額の国費を投じて進められてきた研究成果は当然事業化され産業化されなければ意味がないのですが、それまでは民間に期待するというだけで、その方策については余り考えられていなかったからです。 以上私が就任時に私の使命と考えたいくつかのテーマを述べましたが、6年半にも及ぶ在任中果たしてどれ程達成され或は改善されたでしょうか。省みて忸怩たるものがあります。ただ真面目に勉強し適正な方策を探究するということと、その実現を図るということは別のことと思われます。残念ながら私には後者の点で能力と才覚に欠けていたことを認めざるを得ません。しかし人類社会のしあわせのために、原子力利用の推進を図るべきだとの情熱は今後も持ち続け、私なりにささやかな努力を続けて行きたいと思っております。どうか今後ともお力添え下さるようお願いします。 |
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