目次 | 次頁 |
わが国原子力政策の変遷 原子力委員会委員
島村 武久
(Ⅰ) はじめに
昭和31年、原子力委員会が発足して今年で28年目になります。胎動期を入れると日本の原子力開発の歴史はほぼ30年と云えましよう。30年前を振返りますと、当時日本人で原子炉を見たことのある人は指を折って数える程しか居なかったと思います。それが今日、一例ではありますが、24基、1,717万kWの規模の発電所を持ち、昨年年間1,030億kWhの発電を行い、全発生電力量の20%を占めるに至ったというこの現実は、初期の原子力行政に関与した私にとっては誠に感慨深いものがあります。 原子力委員会は原子力政策を計画的、綜合的に遂行して行くため、10年乃至20年間の長期的な方針を明らかにするという目的で、発足した昭和31年9月に初めて「原子力開発利用長期基本計画」を策定発表しましたが、内外の進展する情勢に応じて概ね5年毎に改訂を行って来ました。最近では昨年6月、昭和53年に策定された長期計画を見直して新しい長期計画を発表致しましたが、これは最初のものから数えて6回目に当ります。 私はこの新しい長期計画をわが国の原子力政策の変遷という角度から捉えてお話したと思います。出来上った長期計画の解釈はもちろん、客観的なものでなければなりませんが、その背後にある、歴史的な移り変り、技術的、経済的、或は政治的、社会的、国際的な諸事象の解釈には、多分に私見的なものが混じることを予めお謝りして置きます。 (Ⅱ) 原子力開発の基本的考え方
長期計画は6回に亘って改訂されて来たと申しましたが、開発に当っての基本的な考え方は当初から一貫して変って居りません。それは昭和30年に制定された「原子力基本法」に謳われている通りであります。原子力基本法第2条には「原子力の研究、開発及び利用は平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする」と書かれてあります。つまり6つのことが基本方針とされていますが、このうち民主・自主・公開は昭和29年の日本学術会議の議決をそのまま取入れたものであり、原子力開発の三原則として世に有名であります。安全の確保は昭和52年所謂有澤行政懇談会の報告に基き、原子力委員会から原子力安全委員会を分離させた際につけ加えられたものであります。もともと原子力の開発には放射能という他の科学技術にない特有の問題がありますので、安全性の問題は当初から原子力開発の大前提であり、基本法制定後23年も経って改めて基本方針に加えるということは蛇足の感がないでもありません。この6つの原則はいづれも大事なことでありますが、私自身としては平和の目的に限るということが他の5つの原則に先立つ最も重要なものだと考えます。そして30年前日本が原子力開発に踏出すに当って宣明されたこの大方針は、30年後の今日に至っても尚変らないのみならず、世界的な国際緊張の増大、軍拡傾向の中にあって益々重要の度を加えていると思います。新しい長期計画の冒頭に世界の核不拡散体制の確立に貢献して行く決意を明らかにした所以は、核不拡散問題を従来ややもすれば外的な制約として受止めていた態度から、平和利用を日本だけの方針としてでなく、世界的な核兵器廃絶への国民の願いに対応したいという決意の表われに他なりません。 (Ⅲ) 放射線利用と原子力発電
「原子力の研究、開発、利用を進めるに当っては、動力としての利用面と放射線の利用面とを平行的に促進するものとする」-これは31年の最初の長期計画の冒頭に述べられた記述であります。当時はまだ原子力発電が世界的にも全く初期の段階にあったのに較べ、放射線の利用は、日本においても既に理化学、医学のほか工業・農業の研究にも用いられ始めて居り、放射線の利用によって新しい物質の創造がなされ、大げさに言えば物質革命が起るのではないかとの期待が大きく、あたかも今日の遺伝子工学に対するそれの如き一種のブームの観を呈していました。30年後の今日に至って見ますと、もちろん学問的に優れた数多くの研究成果が挙がり、放射線障害防止法に基く許可或いは届出事業所の数も4,100を超え、各種の工業生産はプロセスに組入れられ、特に医学の面での利用には眼を見張るものがあり、新しい長期計画においても重要な柱として利用の普及拡大、高度化を図ることとしておりますが、そのウエイトから見ますと往年の期待には程遠い感が致します。それに比して原子力発電は、計画が改訂されるたびに規模が縮少されるとか、立地問題で計画達成が期待出来ぬとかの指摘を受けて来ましたが、冒頭に述べたように世界でも屈指の発電設備を持つ国になって、今日ではわが国産業或いは国民生活に欠かせない存在となって居ります。又将来とも石油代替エネルギーの第一の旗手として大きな期待を受けております。 (Ⅳ) 原子力発電推進の理由
さて原子力発電を何故進めるのか。過去5回の長期計画では様々な観点から説明が行われて来ました。資源論的には化石エネルギー源の不足を予想してその確保を原子力に求めるもの、石油の豊富な時代にはナショナル・セキュリティという点からエネルギー供給源の多様化の必要性が説かれ、国際収支の苦しい時代には外貨負担の軽減に役立つことが説かれました。原子力特有の立場からはウラン燃料の供給の安定性、輸送・備蓄の容易性、使用済燃料の再処理による再利用の可能性から準国産エネルギーとも謳われました。公害が問題となった頃はクリーンなことが、又石油価格の上昇期にはウラン価格が上昇しても発電コストヘのはね返りが少いことも指摘されました。一般論として技術水準の向上、産業構造の高度化に貢献すると説かれたのは云うまでもありません。これらはそれぞれその時代の情勢に応じて力点を変えただけでいづれも間違っているとは思いません。ところが今回の長期計画では原子力発電のメリットというか、推進の理由そのものの記述はなく、ただ「経済的にも低廉な電力を安定的に供給すると言う観点から、原子力が将来発電の主力となる」ことの必然性を認めるという控え目な記述にとどまっているに過ぎません。それはエネルギーに対する国民の意識が高まって、原子力に対する不安が解消した訳ではないが日本としては原子力発電に頼らなければならないという認識が国民の過半数を超すようになったという背景があるからでもありましょう。今やそのような論議よりも、如何にして推進して行くかと言う問題に移っていると言えましょう。 むしろ私は「経済的にも低廉な動力」と、さり気なく書かれたことを注目すべきだと思います。原子力発電のコストが安くなった大部分の理由は石油価格の高騰に基く、いわば他力的なものではありますが、低廉な電力と言う表現は今回が始めてであります。原子力発電は今は高いが将来は化石燃料に匹敵するだろうという漠然たる予想に始まり、多少高くても供給源の多様化を図るべきだと考え、近い将来には充分匹敵し得るとなり、前回の長期計画では他の資源に比して優るとも劣らぬと前進して来ましたが、遂に低廉なと言い切る所に来たということは、他力的とは云え歴史というものを考えさせられるのであります。 (Ⅴ) 原子力発電の開発規模
長期計画を策定する際に長期に亘る原子力発電の規模を想定することが必要であります。新しい長期計画では1990年で設備容量を総発電設備の22%、4,600万kW、又2000年で同じく30%の9,000万kWの規模を想定致しました。しかし従来ややもすると原子力の開発規模は原子力委員会が決めるものであると考えられる向きもありますが、それは誤解であります。国のエネルギー全体の需要を想定し、その需要に応える供給手段、つまり石油・石炭・水力・原子力等による供給目標を定めるのは本来原子力委員会の仕事ではありません。新しい長期計画は昨年4月に閣議で決定された「石油代替エネルギーの供給目標」とその根拠となった電力需要想定をそのまま取入れたものであります。この数字は前回のものから相当下廻ったもので、政策の後退であるかの如く批判される向きもありましたが、その新しい目標ですら、立地問題からその達成は容易でないことは長期計画自体が指摘しております。 しかし住民の理解が得られ立地問題さえうまく進めば1990年で22%、2000年で30%という原子力発電の供給比率はそんなに背伸びしたものとは思えません。同じく資源に恵まれないとは云え日本よりはまだずっとよいフランスの原子力発電比率は現在既に日本が2000年の目標としている30%を超えているのであります。日本が極力原子力発電を推進してその目標を達成した場合でも、エネルギー全体の石油依存度は68%から50%になるに過ぎず、脱石油と言っても量的には現在と同じ程度を輸入しなければならないことを考えると、この目標はむしろ小さいとも云えましょう。 その後最近では予想外の不況の深刻化、電力需要の減退から、電力会社は施設計画の削減、繰延べを行い通産省でも上述の閣議決定を変更するための作業を始めたと報ぜられています。しかし原子力の場合は低廉であること及び建設に長期間を要することから、電力総需要の見直しから供給目標が切下げられるとしても、他の資源の削減の方が大きく、原子力発電の比重は却って上昇するのではないかと思われます。 (Ⅵ) 炉型戦略について
「軽水炉から高速炉へ」という言葉は日本の炉型戦略を表わすキャッチフレーズとして相当古くから使われていました。最初の長期計画でも増殖炉はわが国の国情に最も適するものとして開発目標の本命に取上げ、国産増殖炉完成までの間のつなぎとして数基の商業発電炉の導入を考えた程でありました。手を着けて見ると実は容易でないことが判りましたが、それでも昭和42年の長期計画を見ますと、昭和60年には研究開発段階を終わり経済性が達成されると期待していました。それが段々に遅れて、最近やっと原型炉もんじゅの建設準備工事が始まったばかりであります。新しい長期計画では軽水炉の定着化、技術の高度化を取上げる一方、新型転換炉と並んで高速増殖炉を開発目標として取組んで行くことにしておりますので、軽水炉から高速増殖炉へという基本路線に変りはありませんが、その考え方には相当の変化が見られます。 第一には高速増殖炉の実用化の見通しを2010年頃と前回に較べ10年以上も先送りしたことであります。その結果軽水炉の時代が可成り先まで続くことになります。第二に従来は原型炉、実証炉の段階を経れば実用化され軽水炉に取って替わるように考えられていましたが、原型炉に続いて実用化移行段階と言う新しい表現が採られ、実証炉が必ずしも一基だけでは済まないかも知れぬというニュアンスが織込まれると共に、高速増殖炉が実用化される時代になっても、種々な要因から軽水炉の使命が終って全部高速増殖炉に変
わるという訳ではなく、並存時代が続くだろうという見方になっています。第三に高速増殖炉開発の意義を従来考えていた天然ウラン資源の節約と言うことから、同じ天然ウラン資源の節約にはなりますが、燃料サイクルの上からプルトニウムの活用ということに力点が移されていることであります。現在でも国内で発生する使用済燃料は一部を東海再処理工場で再処理するほかは全部イギリスとフランスに再処理のために送られております。2000年までに9,000万kWという発電規模を考えるとき毎年発生する使用済燃料を貯蔵し続けることは、サイトでは勿論、国土の狭い日本では容易なことではありません。むしろ積極的にこれを再処理してプルトニウムを活用するという考え方が正面から取上げられている訳であります。又核不拡散の見地から、プルトニウムを含む使用済燃料を各所に貯蔵して置くよりはむしろプルトニウムを原子炉燃料として燃やして使う方が潜存的危険を減らすという考え方もあります。尚もんじゅに続く実証炉の進め方については、現在原子力委員会で関係各界有識者との間で懇談会を持ち検討を進めて居ります。 高速炉の話が長くなりましたので他の炉型に話題を移しましよう。思えば炉型の選択に関する歴史にも迂余曲折がありました。古い話になりますが、一時原子力研究所でビスマス冷却の半均質炉をプロジェクト研究として取上げたこともありました。昭和41年5月原子力委員会は高速増殖炉と並んで新型転換炉の開発を決定し動力炉・核燃料開発事業団の設立、原型炉ふげんの建設へと進んで行きましたが、この間にもイギリスのAGR、アメリカの黒鉛減速高温ガス炉、カナダのCANDU炉等が、我が国での開発対象としてではないけれども導入可能性のある炉と考えられていました。前回の長期計画でも、ふげんが現に臨界に達していたにもかかわらず実証炉へ進むことは綜合的評価を行った上でということで保留とされる一方、CANDU炉に対しては評価検討上導入の結論を得ると述べられていました。今回の基本計画では、新型転換炉に関しては1990年の臨界を目標に60万kW程度の実証炉の建設を行うことに踏切り、国の積極的支援の下に建設、運転は民間がその役割を果すよう決定致しました。前述の様に高速増殖炉の実用化時期が遅れるという見通しから、プルトニウムを燃料とするATRの役割は愈々重要性を増すと共に、単なる高速炉時代へのつなぎの炉、中間炉として考えられていたものが、軽水炉同様高速増殖炉時代になっても長く並存することと期待されて来ました。 尚発電炉としての高温ガス炉はもちろん、前回の長期計画で導入の結論を持ち越されたCANDU炉に関する記述は全く姿を消し、炉型撰択は自主開発を軸として極めてすっきりしたものとなりました。 (Ⅶ) 核燃料サイクル
核燃料サイクルについては大筋では前回の基本計画と大差ありませんので、個々の問題についての詳しい説明は省略致します。ただ私は核燃料サイクルの確立ということは、日本が原子力発電に多くを依存するという方針をとる以上、国家の安全保障に直結する重要問題であり、原子力政策の中心をなすものと考えます。新しい長期計画では核燃料サイクルに力点が置かれると共に、前回まで「炉型撰択」と「核燃料サイクル」をその順序で別々に記述していたのを改め、「核燃料サイクル」を先きにして次に「プルトニウム利用と新型動力炉開発」と新型炉の開発も核燃料サイクルと関連から考えていることを表わしております。 省みますと日本では核燃料サイクルの開発は発電炉の建設に較べますと遥かに遅れていることは否めません。ここでは例を濃縮にとってお話致しますが日本が原子力発電の規模において世界で屈指の国になったと言いましても、その燃料の濃縮は全量海外特にアメリカに依存しており、アメリカで濃縮して貰っているが故に使用済燃料の再処理に当っても、いちいちアメリカ政府との間に共同決定を行わねばならない。共同決定ということは実際上アメリカの承諾なしにはやれないと言うことであります。アメリカ・オリジンである限り、一度承諾を得て英・仏へ再処理に出した使用済燃料から得られたプルトニウムを持帰るにも亦アメリカの同意が必要であります。東海再処理工場の運転についても、過去何回も共同決定が行われましたが、その都度、交渉は難航を重ね担当大臣の渡米はおろか総理大臣・大統領間で取上げられたこともありました。何とか恒久的に簡便な方法はないかということから、現在所謂包括同意制という考え方でアメリカとの間に交渉を進めていることは御承知の通りであります。世界の原子力先進国でこの様に他力的な国はありません。何分にせよ原子力政策と自主的に進めエネルギーセキュリティを確保するためには一朝一夕には出来ませんが少しでも遂次自立を図って行く必要があります。 幸いにして動燃事業団で開発して来た遠心分離法による濃縮技術は全く日本独自で開発したものであり、技術的にも経済的にも充分他国に負けないものと確信致します。今回の長期計画ではとりあえず動燃事業団が200t規模のデモ・プラントを民間の協力を得て建設し、引続いて民間ベースで商業プラントとして遂次能力の増強を計って行くことが決められました。日本では到底ウラン濃縮など出来ないと考えていた初期の頃は、米国或は国際原子力機関からの安定的供給を確保するということが国の方針でありましたが、その後ガス拡散法、遠心分離法・化学法等の基礎研究を始め、やがてガス拡散法を捨て遠心分離法をナショナル・プロジェクトとして推進する方針がとられることになりました。しかし昭和40年代にはアメリカで計画されていた国際共同濃縮事業への参加にも強い関心を示したこともありました。この様な長い道程を経てここに漸く民間ベースでの商業工場を指呼の間に見得るに至ったことは喜びに堪えず、関係者の努力に深い敬意を表する次第であります。 再処理及び廃棄物処理は何れも国民的関心も深く重要な問題でありますが、再処理については民間再処理工場の建設を支援し、低レベル廃棄物については海洋投棄と陸上処分を並行して行うという従来の方針を大きく変えるものはありません。ただ極低レベルの廃棄物について、安全上問題がなくなったものについて合理的な処分方策に沿って適切に処分するという、廻りくどい表現ながら所謂すそ切り問題へ一歩踏み出したことは注目すべきでありましょう。 かくて今後の燃料サイクルにおける国の研究開発の重点は高速炉使用済燃料の再処理や高レベル放射性廃棄物の処理処分に移って行くものと考えられます。 次に原子力の熱利用、多目的高温ガス炉の開発、原子力船、或は核融合、放射線利用等数々の問題につきましては省略致しまして、今回の長期計画で多く議論された問題、ある意味では新長期計画の特色ともなるべき問題についてお話したい。 (Ⅷ) 自主開発プロジェクトの実用化
長い間国が中心となり進めて来たプロジェクトのうち、いくつかは実用化を目前にした段階に達して来ました。今回の長期計画では「実用化移行段階」という新しい言葉が使われていることは前に述べましたが、まさにこれに当ります。もちろん国がプロジェクトとして研究開発に取組んだのは、それが成功し実用化されることを願ってのことでありますが、如何にしてそれを実用に移して行くかという点については深く討議されることはありませんでした。研究開発の結果、いいものが産出されれば、当然実用に使われる筈であると考えられていたと思います。しかし事はそう簡単ではありません。私は今から十年以上も前当時動力炉・核燃料開発事業団の初代理事長の職にあられた井上五郎先生が、国の莫大な資金によって大きなプロジェクトの開発に日夜努力しているけれども成功の暁に誰が本当に引続いて実用に使ってくれるのだろうかと洩らされたのを憶えて居ります。多分高速増殖炉か新型転換炉に関しての御発言であったと思います。御覧になった方も多いと思いますが、フランスのスーパー・フェニックス、断然他国を引放してフランスの誇りとされており、この炉に続いて四基の商業炉を建設すると伝えられておりました。一昨年でしたかフランスの超党派国会議員団が原子力委員会を訪問され我々と懇話した際、先方から日本は高速増殖炉の経済性をどう見ているかとの質問がありました。膨大な建設費がかかる上、発電コストが高いとなると問題だという懸念からだったと思いますが、原子力開発も電力事業も国営で一貫した政策のとり易いフランスでも威信の象徴としての高速増殖炉についての商業化に躊躇させたのは経済性ということであった訳です。ミッテラン政権になってから、電力需要の停滞もあってか、四基の発註はスーパー・フェニックス運転開始後2年経って決定すると修正されました。 安定性を含めて技術的に成功したと言ってもその実用化に当って問題となるのは経済性の見通しであります。決して日本のように民間で実用化を図る場合は、如何にエネルギーセキュリティから必要だとは云え莫大な資金を要する原子力関係プロジェクトではコストとリスクが問題となるのは当然であります。しかし技術的成功と同時に経済的にも他に優るというようなケースはめったにあるものでもありません。実証過程、或いは次ぎ次ぎにケースを殖やし、或いは規模を大きくして行く間に、経済性も達成されて行くと見るべきでありましょう。大事なことはまだ経済性に難があるから見合わせようと云うことではなく、安くなるように育てようという態度であると思います。そこに実用化に当っての工夫、対策そして官民分担についてのコンセンサスが必要になって来ます。 今回の長期計画策定に当っては、色々と討議した結果、はじめての試みとしてこの点だけについて一節を設け、抽象的ではありますが一般論的な見解をまとめると共に、個別の個所でもその大筋を明らかにしました。簡単に申しますと実用化移行段階に入ったプロジェクトは民間が中心となって実用化を目指すこと、国はこれに協力してリスクも考慮に入れて必要な支援を行うということであります。又そのためにはそれまで国に蓄積されて来た技術の民間への移転が円滑に行えるよう色々な角度から配慮すると共に、資金のかかる研究開発は必要に応じ国が引受けて行うことと致しました。言い古された「官民協力」という言葉が単に資金分担といったことに止らず、内容的にも制度的にもより深く掘り下げられることが必要となって来ると思います。 振りかえりますと、かつてコンベンショナルな導入炉、例えば軽水炉に関しては民間に任せ、国は新しい型の動力炉の開発を目指すと言った官民の役割についての考え方が支配的であったことがありました。その結果軽水炉に関する国の研究投資は薄く、又実際には軽水炉の安全性、性能の向上に役立つものであるのに、軽水炉への予算の配分は国の安全基準の策定や安全規制のために必要なものに限るという枠が長く尾をひいていました。しかし今や軽水炉の性能向上、コストの引下げの目的のため、官民協力の実が上げられていると同時に、新型動力炉の開発にも民間が大きく参画し、自らも責任を持つ時代が来たと申せましよう。 核燃料関係についても、再処理は法律上動燃事業団の事業とされて民間では行い得ないものとされていたのですが、民間からの強い要請によって昭和53年法律改正が行われ、専門会社の設立を見たことは御承知の通りであります。ウラン濃縮についても、事業化を予想しなかったためか、法律上の禁止規定こそありませんが、原子力委員会はかつて長期計画の中で「将来において濃縮事業を実施する必要がある場合には、原子燃料公社に受持たせることが適当である」と述べたことがありました。現在濃縮や再処理を行っている国国では、これらはすべて国営か或いは国が資本的に絶対支配権を持つ機関によって行われております。核不拡散の問題もあり、国営がよいか民営がよいかは議論の余地がない訳ではありません。それにもかかわらず、今回の長期計画策定に当って、そうした議論は一度も出ませんでした。私自身所謂民間の活力を期待し、日本的な行き方で事業が成功することを念じているのでありますが、これらの事業は事柄の性質上、国の政策、行政と無関係であり得るものではなく、国と民間との間に血が通い、呼吸の合った関係が必要であることを痛感するものであります。 (Ⅸ) むすび
核不拡散問題、国際協力の問題等にまだ触れ残した問題がありますが、これで終ることに致します。長期計画を歴史的視野から捉えて、その変遷を追求したいという私の試みは不徹底に終りお恥しい思いが致します。 思えば原子力は単なる科学技術の研究開発の問題ではなく、又単なるエネルギー対策でもありません。広く国民の意識と生活に直結する社会的な問題であり、また全世界の国々との外交の問題でもあります。このような多面的性格を持ち、しかも情勢は刻々に流動しております。現に石油価格の下落が目前にあり、いつまで原子力発電が低廉であり得るかという声もあります。ロンドン条約の改正で廃棄物の海洋処分が禁止されるのではないかとの見透しも伝えられています。フランスが再処理以外に使用済燃料のまま貯蔵する方策の検討に乗出したとも報ぜられています。こうした流動する情勢の中で、方向を誤ることのない政策、計画を策定実施して行かねばならぬ責任を考えますと身の引締る思いが致します。 私自身としては30年前の原点に立って、あくまで原子力の平和利用によって国民の幸せをもたらすよう努力したいと考えております。どうか今後とも御支援・御協力を賜りますようお願い致します。 (本稿は2月9日に開催された「第21回原子力総合シンポジウム」に於ける講演原稿に多少加筆したものである。)
|
目次 | 次頁 |