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ウラン濃縮パイロットプラントの完成によせて



原子力委員会参与
(動力炉・核燃料開発事業団 理事長)
瀬川 正男



 昭和57年3月26日、岡山県人形峠における動燃事業団のウラン濃縮パイロットプラントは、第2期工事分OP−2の試験を終了し、通算約4年の建設期間を経て全面運転を開始した。

 このパイロットプラントは、昭和47年に原子力委員会が国のプロジェクトと指定して以来、動燃事業団を中心に国内の総力を挙げて研究開発に取り組んできた遠心分離法によるウラン濃縮技術を集大成したもので、わが国の核燃料サイクルの確立と前進に不可欠のものであった。この大型プロジェクトがおよそ予定通りの開発資金ならびにスケジュールで完成することができたのは、動燃事業団関係者の努力は当然のこととしても、政府、学界ならびに国内メーカーの総力を挙げての御協力と、地元関係各位の一致した御支援のたまものと、深く感謝する次第です。

 もともと濃縮技術の開発は、海外からの技術情報は全くなく、また海外の技術レベルとの比較すらもできないまま、全くの国産技術で研究開発を進めてきたわけですが、振り返ってみれば、ある時は試行錯誤を繰り返しながら、またある時はメーカー間によい意味の技術的競争原理を導入しながら、また当時進められていたINFCEの討議の結論に対する影響を考慮して、当時建設中であった第一期工事分OP−1Aの完成を急いだこと等が思い出されます。

 ウラン濃縮国産化の方向を打ち出したわが国にとって、今後の事業化への道は必ずしも安易なものでないと思われ、将来の国際的競争上からも技術的には一層の向上が望まれると共にさらに経済性の徹底的な追究が望まれます。さいわいにして遠心分離法の技術の前進については、なお、可能性を見出しつつあり、パイロットプラント完成を期に、大いにやりがいを燃やしている次第です。

 ウラン濃縮の前提としてのウラン弗化技術についても、国産技術として開発を進めて来た結果、今回、人形峠において200t/年の湿式精錬転換設備も同時に完成、運転に入ることが出来ました。

 これによって、核燃料サイクルにおけるupstream部門の技術が日本の国情に適応した国産技術として、その基盤を確立できたことも意義深いものと思われ、これらについての関係方面の御協力を頂いてきたことを併せて、ここに厚く感謝申し上げます。




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