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理化学研究所の原子力研究の近況


理化学研究所

1 理研の原子力研究

 現在理研が推進している原子力研究は、次の5課題である。

(1) 160cmサイクロトロンによる総合研究
(2) 重イオン線型加速器による総合研究
(3) 核融合に関する研究
(4) 環境における中性子線の情報の把握と線量評価に関する研究
(5) 食品照射および放射線の細胞生物学的効果に関する基礎的研究

 また、これまでの研究成果をふまえ、重イオン科学用加速器としてリングサイクロトロンの建設が進められている。これは昭和49年から6カ年計画で建設された重イオン線型加速器(リニアック)の後段加速器であり、完成すると重イオン加速用としては世界最大級で最高の性能をもつサイクロトロンになる。

 160cmサイクロトロンとリニアックによる総合研究は、高エネルギー粒子線や放射性同位元素(RI)の利用により、科学技術の幅広い分野で基礎的、応用的研究を発展させ、原子力平和利用の新領域を拓くことを目的としている。これらの研究は、将来はリングサイクロトロンによる総合研究へと発展するものと期待されている。

 核融合に関する研究は、主に高温プラズマの計測技術と真空技術の開発に重点を置いて進められてきた。最近ではプラズマ中に壁から混入する不純物元素の分光計測に関する基礎技術の開発とデータの収集、不純物混入の引き金になるプラズマ・壁相互作用の研究を行なっている。また成果の1つであるERC放電洗滌法は、西独ユーリッヒ研究所に於て実証する予定である。

 環境放射線に関する研究も理研で長くおこなわれており、最近、小型で運搬可能な高精度環境放射線計測装置を開発し、いろいろな地域、状況の環境放射線の精密測定を実施している。第1図に新幹線車内で測定した一例を示す。


第1図 東京大阪間新幹線の放射線強度の変動


 食品照射および放射線の細胞生物学的効果に関する研究では、食品、飼料等の放射線照射による殺菌、発芽防止等の実用化およびその安全性確立のための研究を行っている。


2 160cmサイクロトロンおよびリニアックによる総合研究

 160cmサイクロトロンは、我国で最初の大型加速器であり、運転・維持が容易で安定に稼働しており、多くの研究、技術開発に利用されている。一方、リニアックは我国最初の重イオン加速用線型加速器で周波数可変型としては世界最初のものであり、重い元素のイオンを効率よく加速できるので、これを利用して新しい研究が進められている。第1表に160cmサイクロトロンとリニアックの主な性能を示した。


第1表 理研160cmサイクロトロンおよびリニアックの性能


 加速器の利用による研究は、研究者と技術者の協力、いくつかの分野の研究者の協力が必要な学際的研究が多い。そのため理研では総合研究の形をとって推進してきた。第2表に160cmサイクロトロンによる総合研究およびリニアックによる総合研究の大項目の課題をまとめておく。

 原子核の研究は重イオンが原子核に衝突したときに引きおこす原子核反応の解明に重点がおかれている。これは将来、リングサイクロトロンで超重元素の生成を試みるときの基礎的な手法の確立にもなっている。因みに超重元素は原子番号107までが人工的に作られている。今後、108、109……と新しい元素をどこまで合成できるか、全世界の加速器施設の競争になっている。

 加速器で作られる短寿命RIで標識化した生理活性物質の、動物、植物中における化学変化を追求する方法を確立することも重点的に進められている。これまで18Fなど医用RIの製造法も開発したが、RIによる生体内代謝の研究は新しい方法として今後とも大きく発展するであろう。


第2表 160cmサイクロトロン及びリニアックによる総合研究


 荷電粒子放射化分析法が高純度半導体中に含まれる炭素、酸素などの不純分定量分析に非常に有効であることが、理研の研究で明らかにされた。とくに表層に含まれるこれら不純物の状態まで分析でき、半導体工業の発展にも寄与している。

 固体の性質を解明するためにも加速器が利用される。イオンを照射したとき固体から発せられるガンマ線、X線、電子線を分析して固体の状態を解明する。一方、サイクロトロンで加速したα粒子を照射して、金属のスウェリングを調べる研究が金属材料技術研究所との協力研究として進められている。これは中性子を大量に浴びたときの金属の劣化を、α粒子の照射でシミュレートし、中性子照射に対して充分強い材料の開発を進めるものである。原子顕微鏡による照射下直接観察をおこない、新しい金属材料の開発を進める研究も近くスタートする。またイオン注入による金属表層の特性を制御し、新しい材料の開発をおこなう研究も進められている。

 人工衛星に装着する太陽電池や、その他の半導体製品は、さまざまなエネルギーのイオンを常時浴びて劣化する。この宇宙環境をシミュレートするのに160cmサイクロトロンが用いられている。このような試験は今後、人工衛星のいろいろな部品についても行われ、その信頼性の向上に貢献することであろう。


3 リングサイクロトロンの建設

 加速器を用いる総合的研究では、加速イオンの種類やエネルギー範囲が増すと、新しい研究領域を拓く可能性が急速に増大する。理研では、これまで160cmサイクロトロンで進めて来た加速器利用研究をいっそう発展させるために、リングサイクロトロンの建設を計画した。目標とする性能は、すべての元素イオンを加速でき、加速エネルギー範囲が核子あたり数十MeVまで達すること、ビームの質が高く精密実験のできることなどである。

 リングサイクロトロンはいわゆる後段加速器で、入射用加速器(入射器)からきたイオンをさらに加速する。入射器としては現在稼働しているリニアックが予定されているほか、陽子や軽元素イオン用としてAVFサイクロトロンを建設する計画である。このような複合加速器系の最高エネルギーと加速イオンの関係を第2図に示した。横軸に加速イオンの質量数、縦軸にはイオンの全エネルギーをとってある。さらに第2図にはリニアック、および160cmサイクロトロンの最高エネルギーも記してある。すでに述べたようにリングサイクロトロンは重イオン用としては世界最大級のもので、現在設計している性能が完全に実現すれば、世界最高の性能をもつことになる。


第2図 理研の加速器の最高エネルギー


 リングサイクロトロンは分離セクター型サイクロトロンともいい、4つに分割されたセクター型電磁石と1対の高周波加速系、真空箱、入射取出し用電磁石類、各種ビームモニターなどで構成されている。第3図にその平面図を示した。第3表にその主要諸元をまとめてある。セクター電磁石は1基の重量が530トンで半径方向の長さが5.64m、横幅3.07m、高さが5.24mである。この電磁石の一部はすでに製作されており、近く電流を通し、発生する磁場の分布を測定する作業が行われる。この磁場分布のデータをもとにして、リングサイクロトロンで加速されるイオンの運動を精密に計算することができる。理研では独自にこのイオン運動学を数値計算で解析する計算機プログラムを各種開発しており、それらを用いての検討の結果から、非常に質の良いビームを得る設計を実現した。


第3図 リングサイクロトロンの平面概略図


第3表 リングサイクロトロンの主要諸元


 リングサイクロトロンの建設は昭和55年度から始まり、昭和61年にはリニアックからのビームを入射して加速テストをおこないファーストビームを得る予定である。その後入射用AVFサイクロトロンや測定装置の一部を建設して全体計画が完成するのは昭和63年の予定である。ただし、実際に加速ビームを用いた研究は、昭和61年にファーストビームを得た後すぐに始められるよう準備を進める予定である。

 リングサイクロトロンは、単に原子核物理の研究に用いられるだけではなく、物性物理、化学、放射線化学、放射線生物学など多くの学問分野で積極的に利用される。また新しい金属材料の開発や、癌の診断や治療の医学的研究にも利用すべく検討を進めている。そのため実験室の配置やそこに分配するビームの性質については各分野の研究者も参加して検討している。

 リングサイクロトロンで加速できるエネルギーの範囲は、これまで世界のどの加速器も実現していない初めての領域である。そのため基礎的な学問の分野では新しい現象の研究が可能になるであろう。例えば、超重元素核の合成や、このエネルギー領域の重イオン衝突現象の解明などが計画されている。

 以上のようにリングサイクロトロンは、自然の神秘の扉をさらに1枚開き、学問的究明、工業技術、医療技術の発展に大きく貢献するものと期待される。



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