国際情勢と原子力 −花火の夢− 原子力委員 西村 熊雄
47年のパリ平和会議はイタリア、ルーマニア、ハンガリア、ブルガリアとの全面平和条約をつくることができた。が、協調は短命だった。つづいて中欧・東欧の共産化と中近東から極東へかけてのソ連の侵透が活発に行なわれた。スターリンの冷戦時代である(48年ないし57年)。チェコの共産クーデター後アメリカはソ連のこれ以上の南下をもってひっきょうアメリカ自体の存在を危うくするものとみて西欧の経済復興とソ連圏をつつむ安全保障体制の整備にのりだした。ソ連の冷戦にたいしアメリカは安全保障体制ではむかったわけである。ソ連は57年、平和共存をもってアメリカにむかってきた。そして今なお平和共存で押している。ソ連が平和共存をおしすすめてきたについては、アメリカの安全保障体制の整備のほかに、56年ソ連が原爆を保有するにいたり米ソの全面戦争が考えられなくなった事実が伏在することを忘れてはならない。ソ連の平和共存にたいしアメリカは「平和の意思を実行で示せ」というだけで、アイゼンハワー政権8年、ソ連の冷戦にたいし安全保障体制をもって力のバランス回復に成功したものの、ソ連の平和共存にいかに対処するかにまよい世界政治のイニシアチヴをソ連にうばわれた格好であった。 61年1月ケネディ大統領が出現するにいたってはじめてアメリカはこのまよいから脱却したようである。ケネディ大統領のアメリカは「軍事的にも経済的にも政治的にもソ連の挑戦に屈しないだけの力をたくわえる」と同時に「いままでのように米ソの対立抗争の問題ととりくむだけでなく互に協力し合える新しい分野を発見してゆこう」としている。これまでの安全保障体制を堅持しつつ古い争点、新しい協力について話し合おうというのである。大統領のニュー・フロンティア外交は、たしかに世界政治のイニシアチブをアメリカにとりもどそうとするものである。今、アメリカの外交は「静かなる外交」として本来の外交機関を通じて静かに進められているが、やがて友邦諸国−アメリカは対等の協力者を数多くもっている−と調整をすましたあかつきには、大統領みずからによって力づよくおしすすめられるにちがいない。 だから、ソ連からみて協調・冷戦・平和共存の3期にわけられる戦後の15年は、アメリカからみれば協調・安全保障・ニュー・フロンティアの3期にわけたがいいのである。ソ連の平和共存にたいするアメリカの外交はニュー・フロンティアである。米ソがおのおの確信ある世界政策をもって対応することになった61年以降の国際情勢の動きこそわれわれの最も注目すべきものである。 戦後15年を通じて原子力が米ソの世界政策に大きな役割を演じたことは、ここに説くまでもない。しかし、それは主として軍事面であった。今、われわれの興味をひくのは、61年のアメリカが米ソの間に新たに協力しうる分野として原子力の平和利用をかかげていることである。 軍事的利用が核実験停止、あるいは一般軍縮の一環として世界から排除され、それにかわって平和的利用が米ソ協力の一分野となるような時代がくるとすれば、夢かもしれないが、原子力の平和的利用を国是とするわれわれにとって無上のよろこびでなければならぬ。 人間だれしも競争心がある。闘争心がある。今は、アメリカとソ連は地球の外にむかって衛星を打ちあげることに競い争っている。智力と精力と財力をつくして競い争っている。米ソが地上での競争と闘争を地球の外に移してくれることはいいことである−それだけ地上での競争と闘争はゆるめられるから−米ソを花火を打ちあげて高さを競う若者たちに、その他の国々を若者たちのそばで線香花火をもやして美しさを競う子供たちになぞらえて明日の世界を空想することがある。まだ原子力のなにものたるかを解しない未知の人間にのみ許される夢である。 |