シェラー研究所に留学して ノルウェーの原子力事情
本稿は、日本原子力研究所物理部原子核研究室の岡本浩一氏のノルウェー国シェラー研究所に留学した報告書の一部で、編集上の都合から若干手を加えたものである。同氏は昭和31年9月から32年8月まで原子力留学生として同国に派遣され、その後ひきつづいて33年8月まで同国原子力研究所(Institutt
For Atomenergi略してIFA)からフェローシップを受けており、合計2ヵ年を同国ですごしている。ここではその間におけるシュラー研究所を中心とした技術情報、感想等を紹介した。米国、英国等に比して、北欧への原子力留学生は数も少なく、わが国への情報も比較的少ないが、原子力開発における北欧諸国の特殊な地位にかんがみ、興味ある情報から得られるところも少なくないものと信ぜられる。なお当然のことながらこれはあくまでも同氏個人の観察、体験にもとづく感想、意見であることを念のため申し添える。 1.原子力開発機関の概要 原子力合同機構(Joint Establishment for Nuclear Energy Research1 Institute略称JENER)は、ノルウェー国原子力研究所(上記IFA)とオランダ国原子力センター(Reactor
Centrum Nederland略称RCN)とから成り立っており、予算は約7:3の割で出され、ノルウェー側3人とオランダ側3人の共同委員会(Joint
Com-mission)が予算の配分、その他の審議をすることになっている 。実際には、大幅にJENERに予算使用の権限が与えられており、予算の範囲内で相当自由な運営が研究所によってなされている。 シェラー研究所というのは、JENERのニックネームで、研究所がシェラー(Kjeller発音は〔∫〕と〔 2.JENERの構成 前述のように、JENERの運営(主として予算審議)には、ノルウェー側3人、オランダ側3人の委員と両国同数(3人)の委員代理があたっており、現在ノルウェーのF.Mφ11erが委員長をしている。 この下で研究所自身の活動は、ノルウェー側(つまりIFA)によって任命され、オランダ側(つまりRCN)によって承認されたノルウェー人の理事長の下に、オランダ人、ノルウェー人の2人の副理事長がおり、六つの部門と事務部門とに分けられ、各部門担当理事がその部門の世話をみる形で行われている。 現在の組織および陣容
1956年7月〜57年6月の予算 (単位:ノルウェークローネ)
(1ノルウェークローネは邦貨約50円) 不足分は前年度からの繰越金の一部をあてる。ただし、オランダ人はRCNから、ノルウェ一人はIFAから給与を受けている。 なおIFA全体の1956年7月〜57年6月の予算は、 原子力船舶推進部の予算は全然別建で、そのためこの部門はJENERとしての6部門、1事務部には入っていない。その活動には、IFAのみならずJENERとしても協力しているが、出資は民間造船会社からとなっている。この部の主任がBergen造船所(Bergens Mek.Versteder)のE.Jansen氏である。 最後にJENER、IFA、RCNといってもいっしょになっており、その判別はむずかしいが、RCNとJENERあるいはRCNとIFAとの間は気をつければ、一つの線がひけると思う。たとえば、RCN自体で独自にアメリカから購入した原子炉をオランダにつくっていることや、IFAの新しい原子炉建造計画、ハルデン炉等をみてもわかると思う。 3.JENERの原子炉(JEEP)について JEEPはJoint Establishment Experimental Pileの略で、天然ウラン重水減速冷却型であり、臨界に達したのが、1951年6月18日、初めは200kWで後に冷却系(軽水)を整備して450kWを最高として運転されている。 原子炉本体は年数のたっているせいか、冷却系とか再結合装置(recombination system)にしばしば故障がおこり、そのたびに原子炉の運転が停止されて、私が所属した物理部の中性子物理グループの研究に支障をきたした。 1956年のクリスマス前にはウランの痕跡が重水中に見出され、相当長期にわたり炉の運転は停止され、その後もしばらく200kWの出力で作動された。原因は燃料棒の被覆の際か保存の間に汚染されたのであろうという結論が出たのちに通常運転最高出力450kWになったが、この期間、中性子物理実験がおくらされた。もっとも物理部中の原子炉物理グループにはいいテーマではあったであろう。 燃料棒の検査はいつも夏休み後の作業開始前に検査されているが、現在までのところ被覆部に異状はみとめられていない。しかし450kW以上の運転はだいぶ危険であると結論を一応出しているようである。 1958年春に重水循環系のアルミニウム管に小さな洩れができ、約20lの重水が外に出てしまうという事故があった。重水の値段が高いおりから、このことはずいぶん研究所のなかで話題になった。こういったことからJEEPの老朽化が問題となり、将来の再建問題が出てくることにもなった。 しかし結論としてJEEPは1951年以来かなりよく動いて来たといえようし、当時の技術で建造されたということをJEEPの性能を云々する際に考えねばならぬと思うので、そういった意味で大きな初期の目的を達した原子炉であると思う。 現在は各国とも原子力に関する技術が急速に進んでいるので、そういった眼でJEEPを見るときには、だいぶものたりなく感じるが、その場合に1951年と現在との時間差の因子を頭に入れてみる必要があろう。 4.アイソトープの生産 JEEPの中性子線束はすべてのアイソトープを生産するのに適当なほど高くないので、研究所自体の要求のため輸入されるものも少なくなく、その大部分は英国原子力公社から購入している。 アイソトープの生産および照射サービスによる収入はノルウェー側予算負担金の約7%でJENERの研究一部門の予算額より少ないので、アイソトープの生産および照射によるこの収入は全予算中での占める割合の少ないことがわかる。このことは"Six
Annual Report July 1956-June 1957 of the Netherland NorwegianJoint
Establishment for Nuclear Energy Research"を見ていただければおわかりになると思う。JEEPで生産され輸出されるものは医療用あるいは農業用が多く、I131、P32、Na24、Au198がおもなものになっている。 なおアイソトープの値段についてはJENERのIsotope Division刊行の"Radioactive Isotope
for Medicine Biology Industry"にのっている。 5.ハルデン沸騰水型原子炉について Halden Boiling Heavy Water Reactor(HBWR)が正式の呼称でJENERの設計になり、ノルウェーのIFA担当で建設されているもので、1958年のクリスマス期に臨界に達することが期待されているが、多分おくれるのではないかと思う。 出力は20MWで蒸気として取り出され、それが隣接のパルプ工場で使われるという名目になっている。研究所としてはこれを研究用の原子炉として使う意図であるが、予算申請上の手続からそういって名目ができ上ったということである。 このHBWRに対し原子炉物理的研究として、"Void Coefficient Experiment"が物理部で行われている。 6.燃料再処理について 建物自体としてはHot Lab.の建設がやっと一応の形ができた程度で、ずいぶん前から計画が発表されていたのにその進度は非常におくれている感じがする。 研究はトロントハイムの工科大学のフルード教授(Norges Tekuiske Hφgskole,Troudheim;Prof.dr.Flood)のところでも行われているように聞いた。 7.化学および治金に関する仕事 核分裂生成物資分離(Fission Product Separation)のプロセス研究が行われている。またウランの大量抽出の研究も始められた。 燃料の被覆間の拡散(diffusion between reactor fuelof canning)の冶金的考察が行われ、またウランとアルミニウムの結合について初歩実験がすんだ。 酸化ウランの焼結(sintering of UO2)、アルミニウムとステンレス鋼の腐食(corrosion)の仕事が続けられている。 8.物理部門について この物理部門は部長のオランダ人J.A.Goedkoopの下で原子炉物理グループと私の所属していた中性子物理グループに分れている。 *1 前者は V.O.Eriksen後者は部長のGoedkoop自身が世話を焼いている。 JENERの一つの特長は、全体からみて非常に大きな割合の予算が物理部に与えられていることと思う。 とにかく原子炉物理グループはHalden炉計画にも関連し"Void Coefficient Experiment"が行われ、ウランの燃料棒の回りの空気泡による炉に対するレスポンスの調査が行われている。この実験のある部分はスウェーデンの原子力研究所A.B.Atomenergiで行われている。 またこの原子炉グループで軽水中のウラン棒の周囲の中性子束分布に関する実験が始められた。 なお重水天然ウラン指数函数実験は上述のスウェーデン原子力研究所A.B.Atomenergiがその装置ZEBRA(Zero Energy Bare Reactor Assembly)をもっているので共同研究としてスウェーデンで行われている。この一つの結果は"Journal of Nuclear Engineering Vol.3 0ctober 1956"に出ている。 中性子物理グループは研究所でオランダのRCNとしての代表であり副理事長のJ.A.Goedkoopが世話をみており、物性物理(Solid Stateしかし日本語での固体物理とはちょっとちがう意味につかわれている。)に5人、核物理に5人(私が属していたところでGrimeland,Holt,Skarsvag、私に、Orenstein ―現在RCNに帰っている。) Holtと私が担当のメカニカルモノクロメーターによる実験は実験孔の関係で1958年11月から物性関係の研究にその実験孔をゆずることになっており、将来いつ再び始められるかは今のところ不明である。 ペンタエリチリトール(pentaerythritol)の構造に関する研究は物性物理のほうの一つの題目で最近一応まとまった。またこの物性物理で高級リン酸カルシウム塩(calcium hyper phosphite)に対しての研究が自動中性子回折装置(automatic diffractometer)で、またビタミンDの構造研究も同装置を用いる題目になっている。いずれにしても1人または2人1組のテーマの形で進められている。 話が前後するが前述のautomatic diffractometerは最近すこし改良があり、結晶標本の保持台、クリオスタット(low temperature cryostate)が改良および新設され、そのためニッケル・クロム鉄鉱(nickel chromite)の構造が粉状標本で−80℃で研究され始めた。 X線回折もこの物性物理の一つの仕事で、現在リン酸(phosphoric acid)が題目で、オランダのアムステルダム(Amsterdam)にあるIBMで三次元のパターソン・ダイアグラム(patterson diagram)が計算された。 中性子回折実験のための単結晶測角器(single crystalgoniometer)は実験孔が全部使われているので、現在保管状態のままである。 N.Holtと私とでメカニカルモノクロメーターによる断面積実験(cross section experiment)が行われ、その結果の一部は、1957年のオスロ大学のノルウェー物理学会とHarwellのEAESシンポジウムに1957年12月報告された。*2
正式の形にするまでは、この報告書は"Communication from N.Holt and K.Okamoto"ということになっている。このメカニカルモノクロメータはスリット部分を一部変更して中性子線束を増加するようにした。いずれまとまった形で発表される予定である。 捕獲γ線の円偏光(capture γ circular polarization)の実験は原子核班の1人のノルウェー人(Geory Trumpy)の博士論文研究として行われたが、この人がエジプトに移って以来本格的には続けられていない。 アメリカのC.S.Wu女史に刺激され、おくればせながら"弱い相互作用"におけるスピンの保存されないことの実験が計画されている。ただし、低温を用いず磁場だけを用い、Co60からのβ-とγ線を同時計測(coincidence)する方法を使うとだけは聞いたが、計画中のこととて、それ以上のことは得られなかった。 9.原子炉学校("The Netherlands'-Norwegian Reactor School" Kjeller)について 物理部のN.Holtがこの学校の校長になった関係上物理部での実験共同者の私も、初めから原子炉学校の設立、運営計画のなりゆきを見ることができた。 1957年の夏ごろいよいよ講義の分類等軌道にのってきた。だいたいの計画は物理部長のGoedkoopが作り、細目はHoltが講義の各部について担当の部門と相談してきめるようにすすめられた。 1958年4月12日に第1回のスタンダードコースが開かれ、期間は12週間、生徒は大学卒の技術者、科学者で、オランダ人とノルウェー人のみ約30人であった。このコースのおもな対象はオランダ人とノルウェー人になっているが、もちろん外国人も余裕があれば参加できる。程度は、ハーウェルやアルゴンヌの同種の学校に比べてやや低いように思われた。 ガイガ一計数管を使った初歩物理実験(カウンター特性、半減期測定)、水と鉄との断面積測定初歩実験(炉からの中性子をそのまま使って)、モノクロメータを使っての金の断面積測定の説明、Goedkoop物理部長を手伝って石墨のウイグナー効果(Wigner effect)のデモンストレーション等を私が受け持たされ、また原子炉物理、保健物理の紹介実験の援助もたのまれ、いくぶんか役にたったならば嬉しいと思っている。 この原子炉学校はまたノルウェー、オランダの中学、高校の物理の主事に対する講習(これはノルウェー、オランダの中学、高校の協会に属しているものに限る)1週間や、ヨーロッパの経済協力機構OEECからの依頼講習2週間も開かれた。 10.今後のJENERの発展計画 まず零出力原子炉(Zero Power Reactor)の計画は、アメリカのアイゼンハウア一大統領声明により海外原子力援助の予算がとれ、1959〜60年度の計画になっているようである。これはJENERとしての計画でなく、アメリカの海外援助が政府あてということになっているので、これはIFAによる計画といえる。このZero Power Reacterは原子炉学校のためには、原子炉の静・動特性の研究に非常に役だつと思われる。 また現在のJEEPが老朽化したので、これを廃止してほぼ同型の出力の大きい原子炉を建設することも次のプランになっている。ただし一時でもアイソトープの生産をとめる問題など多くの検討する余地がある。 その他現在まだ完成していない燃料再処理のすみやかな進行も考えなければならない。またノルウェーでも最近やかましくなった廃棄物処理も将来の大きな計画の一つである。 発展計画とは別に、JENERの一つの構成体のRCNに物理部の中性子物理グループが移るということも、近くできるオランダのRCNの原子炉がJEEPよりひとけた大きい中性子束を使えるという魅力は中性子物理の実験にとって大きいことを考えれば、当然の計画のように思われる。 11.JENERについての私見 JENERが1950年代からなしてきた功績はいろいろな意味で非常に大きいと思う。大国のアメリカ、ソビエトが秘密裡に第1回ジュネーブ会議まで進めてきた原子力の研究をその時期に公開という旗印のもとに進んだことは確かに一つの画期的な企てであったと言えよう。この時期には、ヨーロッパ人のみならず多くの他の国々の人も本国ではできなかったことをいくぶんでも公開のJENERでやったことも見逃がせないことであろう。科学者にとって発表するということが第一の喜びであり、生きがいのあることだからである。 またJENERの二つの違った国の協同原子力研究所という形式も一つの新しい試みであったであろうし、国際連合の一つの理想による研究所とほめられてもよいと思う。この国々による協同形式の原子力研究所は、やはりまだ後進国家といえるアジア諸国での一つのモデルとしても意義があるのではないかと考えられる。 しかしJENERがこういった大きな役割を果したことは事実であるが、私個人の考えでは、この初期の目的はすでに達成されてしまったと感じられる。*3 たとえばJENERの構成体IFA自身がノルウェー政府を通じてアメリカの対外援助による原子炉建設の計画を進め(Zero Power Reactor計画)、また Halden ReactorがIFA白身の計画によるものであり、RCNもまた独自の原子炉をアメリカから購入し、近く臨界に達するといった一連の事柄を考えるとJENER自身の協同性ということがそろそろ終ったようにも考えられる。 まだ1957年ごろまでは、アメリカ、ヨーロッパ、インド、エジプトの諸国のみならず、ソビエトを除く東欧諸国からも来ていた外国人研究者の数が急減したのも、それぞれの国が原子炉を持ち始め、あるいはすでに先進諸国でも公開を始めたことが要因だと思う。 留学を通じて考えたことは、共産圏特にソビエトについては知識がまとまって得られなかったのでこれを除くと、やはり原子力研究についてのアメリカの先進性がヨーロッパを引っぱっている感がする。もちろんそれぞれの国においての独自の研究成果は認めるにしても、原子力研究といった20世紀の学問には、やはりフロンティア精神というものが大きな原動力を生みだすのではないだろうか。
*1 熱核融合反応グループも Randers の発案でオスロ大学の関心のある人といっしょに同好会の形で出発したが、世話人格のオランダ人が本国に帰ると同時に半ば消滅あるいは中断された形である。 *2 その発表要旨はJENER Internal Report No.127 "Total Neutron Cross Section of Ag and Rh in the Region 0.005 to 0.01 eV." *3 スイスのジュネーブにある欧州原子核研究所CERNのような巨大加速器を使う高エネルギー原子核研究の共同研究ということは経費その他から大きな意義を持っていると思う。 |