7-4 我が国における放射線利用に関する取組と現状
(1) 中性子線利用について
中性子線は電荷を持たないため、物質中の電子とは相互作用せず、原子核と相互作用します。多くの放射線は物質を透過するという性質を持ちますが、電子と反応しない中性子線は物質の奥深くまで入り込むことができるため、X線や電子線よりも深い位置の情報を得ることができます。一方、中性子はX線と比べて、軽い原子核とよく相互作用をするため、水や油等について感度を持つこともほかの放射線にはない特徴です。また、中性子が原子核で散乱されずに捕獲されると、捕獲した原子が放射性を帯びるというのも中性子線に特徴的な現象で、放射化と呼ばれています。
我が国では、このような特有の性質を持つ中性子線を発生できる装置の発展とともに、中性子線を利用した研究開発や産業分野への応用が活発に行われるようになってきました。中性子線を発生させるには主に3種類の方法があります。
一つは、原子核の崩壊の際に中性子を放出する放射性同位元素を利用する方法です。従来、高い透過力と水に対する感受性という中性子線の特徴を利用した水分計は、中性子を発生させるカリフォルニウム252などの放射性同位元素を装置に内蔵しており、建設分野などで利用されています。
二つ目は原子炉を利用する方法です。原子炉の運転中は、定常的に中性子線が発生します。1962年に初の国産研究用原子炉(研究炉)として建設された茨城県東海村の原子力機構原子力科学研究所にあるJRR-34は、冷中性子源、中性子導管等の導入された、本格的な中性子ビーム利用も可能にした我が国最大級の多目的研究炉です。JRR-3の代表的な産業利用として、シリコン半導体の製造があります。シリコン半導体はケイ素の単結晶に、均一にリンを添加する必要がありますが、中性子線による放射化を利用すると、放射化したケイ素31が崩壊によってリンへと変換されるため、極めて高品質なシリコン半導体を作ることができます。
ほかにも、中性子線による放射化を利用して、工業分野で用いられるコバルト60やイッテルビウム169、イリジウム192等が、医療分野で用いられる、ガドリニウム153、金198等がそれぞれ製造され、工業製品の透過撮影や悪性腫瘍の放射線治療等に貢献してきました。
また、中性子線の高い透過力と軽い原子に対する感受性の高さを利用して、中性子ラジオグラフィーと中性子残留応力解析という技術が産業に応用されています。内部に水や油、高分子材料など水素を多く有する物質を含む工業製品中の内部可視化に大きな威力を発揮するのが、中性子ラジオグラフィーです。JRR-3では、稼働状態を模擬したエンジン内部のオイルの動きを観察することで、エンジンの低燃費化につながる摩擦損失の低減や、次世代自動車などの電力源として有望な燃料電池の内部で発電時に生成される水の挙動を解析し、自動車の環境負荷低減につながる電池の性能向上に有用な知見を与えました。また、建築物や橋梁などの老朽化の原因となるコンクリート中の水の動きの観測により、構造物の長寿命化にも貢献してきました(図7-5)。図 7-5 中性子線を利用したコンクリート内部のイメージング技術
(出典)第8回原子力委員会資料第1号 名古屋大学鬼柳善明「日本の中性子利用研究と施設連携」(2019年)span style="color:red;">(リンク不明)
中性子残留応力解析は、中性子の優れた透過力により、物質内部のミクロな結晶構造を観察できる特徴を利用した、材料深部の数cmに及ぶ応力・ひずみ分布を非破壊かつ非接触で測定できる唯一の方法です。JRR-3では、原子炉配管などを模擬した溶接部、自動車部品や鉄道レールなどの輸送機器、さらには、コンクリート構造物内部の鉄筋の応力解析など、材料開発から製品開発、利用、保守に至る機械・構造物のライフサイクルを支える材料評価技術として、工業製品等の高性能化、高信頼性化、長寿命化に貢献してきました(図7-6)。
図 7-6 研究用原子炉JRR-3で中性子を使って行われている産業利用
幅広い分野に貢献してきたJRR-3は、東日本大震災以来、新規制基準適合性審査のため停止したままとなっていましたが、2018年11月7日に新規制基準への適合性確認について、原子炉設置変更許可が取得されました。今後も学術界及び産業界からの期待に応えていくため、2021年2月の運転再開が目指されています。
中性子線を発生できる三つ目の方法として、近年目覚ましい発展を遂げているのが加速器を用いる方法です。大強度パルス中性子源を使ったビーム利用実験が可能なJ-PARC5の物質・生命科学実験施設(MLF6)はその代表的な施設の一つです。J-PARCは特に産業利用に関する利用が多く、2017年度に実施された473の課題のうち、81件が産業利用に関するものでした(図 7-7)[9]。
図 7-7 J-PARC MLF共同利用における課題申請数とその内訳
(出典)第4回原子力委員会資料第1号 J-PARCセンター金谷利治「J-PARCの中性⼦利⽤における成果と産業利⽤への取り組み」(2019年)[9]
J-PARCを利用した研究の一例として、強度の高い中性子線を作ることのできる加速器の特徴を活かした、電池の研究開発があります。電池の大容量化や劣化、安全性に関する研究開発は、電気自動車や再生可能エネルギーの普及にとって大事な役割を果たします。強度の高い中性子線を用いると、短時間に大量かつ精度の高いイメージを得ることができます。例えば、リチウムイオン電池の充電や放電の様子を動いた状態のまま観察したり、ナノメートルの細かさで内部の状態を観察したりすることで、電池の劣化プロセス等を評価することができます。リチウムイオン電池の大容量化は、従来は拡散経路が1次元的であるため困難と考えられていましたが、3次元的な拡散経路を中性子回折で明らかにすることによって、大容量化が可能になりました。このイノベーションによって電気自動車の普及が進むことは、移動に用いられている化石燃料の削減をもたらし、地球温暖化対策の進展に貢献します。(図 7-8)。
図 7-8 J-PARCを利用した大容量リチウムイオン電池の研究開発
(出典)第4回原子力委員会資料第1号 J-PARCセンター金谷利治「J-PARCの中性⼦利⽤における成果と産業利⽤への取り組み」(2019年)[9]
J-PARCのほかにも、中性子イメージングやホウ素中性子捕獲療法(BNCT7)を目的とした、中性子発生用の加速器が増えてきています。
BNCTは体内の悪性腫瘍に対し、正常な組織を極力傷つけることなく治療を行うことができます。BNCTでは悪性腫瘍に集積する薬剤に中性子を捕獲しやすいホウ素を添加します。薬剤を投与した人体に中性子線を照射すると、薬剤の集積していない正常な細胞は中性子が透過していきますが、薬剤の集積した悪性の細胞では、ホウ素が中性子を捕獲します。中性子を捕獲したホウ素は、放射性のホウ素10に変化し、そのホウ素10が悪性腫瘍の中でリチウム7とα線を放出することで、悪性腫瘍の細胞のみを選択的に破壊する仕組みです。これまで、原子炉を用いたBNCTの臨床試験も数多く実施されてきましたが、原子炉を新設するには敷居が高いため、病院に近接して設置できる加速器の利用が増えています(図 7-9)。
図 7-9 我が国の加速器を用いた中性子源
(出典)第8回原子力委員会資料第1号 名古屋大学鬼柳善明「日本の中性子利用研究と施設連携」(2019年)
工業分野への応用としては、中性子イメージングのほかにソフトエラー試験への応用が期待されています。ソフトエラーとは、近年急増している高集積の半導体を内蔵したデバイスに、宇宙線由来の中性子線等が当たることで、電子的な信号を反転させてしまう不具合です。ソフトエラーはハードエラーと呼ばれる機器の故障とは異なり、デバイスを再起動すること等によって回復しますが、逆に原因や不具合の箇所を特定できなかったり、致命的なエラーということに気づかずにシステムが動き続けたりといった問題が起こります。ソフトエラーの頻度や影響等を正しく見積もるためには、原因となる宇宙線を模擬する必要があります。加速器を用いた小型中性子源は効率的にソフトエラーを再現できる有用な開発ツールとして期待されており、既に民間企業による試験サービスも展開されています。
世界的に見ても中性子線を利用した研究開発や産業への応用は活発になってきています。我が国は、BNCTや電池の研究開発等で世界をリードしてきましたが、各国も新たな研究施設等を計画し、世界的な競争は激化していくことが予想されます。我が国がこれまでリードしてきた分野を今後も牽引し、新たな分野でイノベーションを起こすには、既存の中性子線が利用できる施設を学術研究だけでなく、産業への応用を見据え、民間にも広く利用できることが望まれます。
また、中性子線の既存の利用分野に対する更なる貢献や新たな利用分野の開拓、異分野間の融合によるイノベーションのためには、中性子線利用の応用分野の広さと利用の可能性を産業界に広く十分に認知してもらい、その知識や技術を共有することが必要になります。
今後の中性子線利用の発展には、中性子線利用の窓口や利用者数の拡大といった入口から、ノウハウの共有や成果を適切に守っていくという出口まで、戦略的な構想とそれを実現するための国や中性子線利用施設の主体、民間企業が協力できる体制が重要になります。日本中性子科学会は、2018年7月2日に「ロードマップ検討特別委員会提言と評議員会の決定に関する報告書」の中で、中性子科学のあるべき姿と現状の課題及び課題を解決する方針についての議論の結果を示しました(図 7-10)[10]。この検討は大学や研究機関に所属する研究者によって行われていますが、今後は学術界だけでなく、国や産業界も加わることで、より具体的かつ実現可能な戦略と体制が形成されることが期待されます。これに先駆け、我が国における加速器駆動中性子源の研究を基礎とした、中性子ビームの実用技術及び産業実用までを含めたコンソーシアム形成までを指向する総合的なネットワークとして設立された日本加速器中性子源協議会(JCANS8)は、これまでの大学や研究機関を中心とした学術部会のほかに、産業界への普及を目的として産業部会を立ち上げることで、その活動の幅を広げています。
図 7-10 日本中性子科学会によって示された中性子科学推進ロードマップ
(出典)日本中性子科学会「ロードマップ検討特別委員会提言と評議員会の決定に関する報告書」(2018年)[10]
コラム ~加速器中性子線源の産業への活用~
加速器を用いた中性子線の産業への応用は、電池の開発やソフトエラーの検証だけではありません。ほかにもたくさんの分野で活用されています。
●モーター、変圧器(トランス)の効率化
我が国の年間の総電力消費量はおよそ1兆kWhに上りますが、使用機器毎に見ると、モーターの占める割合が50%を超えます[11]。したがって、モーターの効率化は大きな省エネルギーになります。モーターの効率が損失低減する要因に、素材の加工による材料性能の劣化がありますが、素材を加工してモーターまで組み上げたときの性能を把握して、設計に反映するためには、モーターの磁場の観察が必要になります。 中性子線を磁場のある場所に通すと、軌道が変化したり、磁場の方向を軸に回転したりします。これと物質に対する高い透過力を利用して、動いたままのモーターの磁場を可視化することができます。この技術によって、設計段階における磁場と直接比較することが可能となりました。 同じ技術を利用して変圧器(トランス)の効率化が研究されています。変圧器は電圧を変更する装置で、変電所や電柱、家電製品のACアダプタ等に用いられています。変圧器の効率は送電力損失につながるため、効率化は省エネルギーのために重要な課題として、漏洩磁場の観察による送電力損失の評価がなされています。
中性子線を利用したモーターの磁場のイメージング
(出典)第8回原子力委員会資料第1号 名古屋大学鬼柳善明「日本の中性子利用研究と施設連携」(2019年) に基づき作成
●新しいタイヤゴムの開発
住友ゴム工業(株)が販売する「エナセーブ NEXT II」はJ-PARC及び、放射光施設であるSPring-89、スーパーコンピュータ「京」での成果を連結させることで生まれた、高性能の低燃費タイヤです。J-PARCでは、中性子線を利用して、タイヤゴムの構造とその中で起きている分子レベルの動きを捉えることにより、これまでのタイヤゴムから燃費性能とグリップ性能を維持しつつ、耐摩耗性能を200%向上させる素材の開発に貢献しています。
中性子線を利用した高性能のタイヤゴムの開発
(出典)第4回原子力委員会資料第1号 J-PARCセンター金谷利治「J-PARCの中性⼦利用における成果と産業利用への取り組み」(2019年) に基づき作成
(2) 放射性同位元素利用について
放射線を利用する手段として、原子炉や加速器といった装置や施設を使う方法がありますが、ほかに放射性同位元素を用いる方法があります。原子炉や加速器を用いるメリットの一つに、強度やエネルギーの大きさがあります。放射性同位元素については不安定な核種が自然に崩壊する際の放射線を利用するため、原子炉や加速器から放出される放射線ほどの強さやエネルギーを持ってはいませんが、それ自体が極めて軽量かつ小型であることが特徴です。現在では小型の加速器の開発も進められていますが、原子炉や加速器での放射線利用のほとんどが、放射線を照射するものをその施設に持ち運ぶ必要があります。しかし、放射性同位元素の利用は、対象のところに放射線源を持っていくことができるという利便性があります。
この特徴を利用した例が非破壊検査です。放射性同位元素を利用する非破壊検査は、照射装置に検査の対象や目的に合わせて、適切なエネルギーの放射性同位元素を選択することで、高い透過力と高い精度を持って検査することができます(図 7-11)。特にイリジウム192を用いた非破壊検査装置は軽量・小型であり、狭いところや高いところで使用することができる利便性の高い装置です。また線源の位置を調整するだけで、様々な角度から検査を実施することができます。
図 7-11 放射性同位元素を用いた非破壊検査装置(左)
非破壊検査手法と利用割合(右)(出典)第43回原子力委員会 資料第2号 (公社)日本アイソトープ協会「アイソトープ利用の現状と課題」(2018年)[12]
ほかにも、工業分野においては、計測装置や分析装置に放射性同位元素が利用されています。放射性同位元素が用いられた厚さ計やレベル計、ガスクロマトグラフ等は、現在5,000台程度使用されています。このような装置は、高性能でありながら取扱いが容易であることから、今後の経済発展が見込まれる東南アジアを中心に海外に展開されることが期待されています[12]。これらの装置に用いられる放射性同位元素は専用の容器に密封された形で利用されます。このような放射性同位元素を密封RI又は密封線源と呼びます。一方で、密封容器を使用しない場合の放射性同位元素を非密封RI又は非密封線源と呼びます。
医療分野においても放射性同位元素が積極的に利用されています(表 7-1)。密封RIは、ガンマナイフや遠隔操作密封小線源治療(RALS10 )に用いられています。脳血管障害や脳腫瘍の治療に用いられるガンマナイフは、ヘルメット状の器具で多数のコバルト60線源をコリメータ等で精密に制御して、患部にγ線を集中させて治療を行う装置です。またRALSは子宮等の管腔臓器に発生した腫瘍に対して適用される治療法です。微小な密封RIを装填したワイヤー状の装置を体内に挿入し、がんの病巣に直接放射線を照射します。体外から照射する放射線療法と比較して、正常細胞への影響を抑えながらがん細胞に多量の放射線を照射することができます。永久挿入密封小線源療法は、前立腺がんを対象にヨウ素125シードと呼ばれるカプセル状の小型の密封線源を前立腺の内部に挿入し、前立腺の内部から放射線を照射することでがんを治療する方法です。治療は前立腺の近くにある腸などの正常な臓器に極力影響のないようにコンピュータを用いて計画されます。カプセル自体は永久に前立腺に残されますが、ヨウ素125はおよそ60日の半減期を持つため、放射能は1年後に64分の1程度になり、やがて放射線を放出しない安定な元素に変わります。
表 7-1 医療分野における密封RIの利用例 製品
治療法治療対象
疾患例(放射性同位元素)
(放射能)使用医療
機関数放射性同位元素の
年間供給個数RALS
子宮頸がん
子宮体がんイリジウム192
(370GBq/個)130
450
ガンマナイフ
脳血管障害
脳腫瘍コバルト60
(1.11TBq×192個/台)50
1,200
永久挿入密封
小線源療法前立腺がん
ヨウ素125
(13.1MBq/個)100
200,000
(出典)第43回原子力委員会 資料第2号 (公社)日本アイソトープ協会「アイソトープ利用の現状と課題」(2018年)に基づき作成 [12]
医療分野においては、核医学検査として非密封RIの利用も普及しています。現在多く実施されている核医学検査に、シングルフォトン検査とポジトロン断層法(PET11)検査があります。シングルフォトン検査は、単一のγ線を放出する放射性同位元素を体内に投与し、体内から放出されるγ線を検出することで、その分布を断層状の画像にする検査方法です。シングルフォトン検査の一例として、脳血管障害の検査があります。これは、体内に投与した放射性同位元素が血流量に伴って分布することを利用して脳の血流を測定することで、脳血管障害を診断します。
一方、PET検査では、体内に陽電子を放出する放射性同位元素を投与します。体内で放出された陽電子は、電子と対消滅し、特定のエネルギーを持った2本のγ線を放出します。シングルフォトン検査と比較し、投与した放射性同位元素の位置は2本のγ線で特定する分、画像が鮮明になる傾向にあります。代表的な検査の対象にがんの診断があります。がん細胞はそのほかの正常な細胞と比較すると糖代謝が高いため、糖であるグルコースの一部を、陽電子を放出するフッ素18に置き換えた薬剤を投与すると、薬剤はがん細胞に集積します。これによって、体外からγ線が多く放出されている箇所にがん細胞があることを診断することができます。
これらの放射性同位元素を利用した核医学検査の実施件数は、2007年からほぼ横ばいに推移していますが、内訳としてはPET検査が徐々に件数を増やしてきています(図 7-12)。
図 7-12 核医学検査件数(年間推定)の推移
非破壊検査手法と利用割合(右)(出典) (公社)日本アイソトープ協会医学・薬学部会 全国核医学診療実態調査専門委員会「第8回全国核医学診療実態調査報告書」(2018年) に基づき作成
医療分野では、検査だけでなく非密封RIの利用した核医学治療が進められてきています。経口薬や静脈注射によって非密封の放射線同位元素を体内に取り込む内用治療は、我が国で利用可能なものとしては、これまでβ線を放出する放射性同位元素を用いた治療が行われてきました。ストロンチウム療法は、骨に集積しβ線を出す放射性のストロンチウム89を投与することで、骨に転移したがんによる痛みを緩和します。2017年現在では、このような非密封RIを用いた内用療法は、10年前に比べ、2倍以上実施されるようになりました(図 7-13)。
図 7-13 核医学治療件数の推移
(出典)(公社)日本アイソトープ協会医学・薬学部会 全国核医学診療実態調査専門委員会「第8回全国核医学診療実態調査報告書」(2018年)、第43回原子力委員会 資料第2号 (公社)日本アイソトープ協会「アイソトープ利用の現状と課題」(2018年)[13]に基づき作成
特に、2016年から大きな実績を挙げているのがα線を放出する放射性同位元素を使用した治療です。ラジウム223を利用した「ゾーフィゴ」は、α線放出核種を使用したものとして、我が国で初めて薬事認証を受けた放射性医薬品で、骨転移を有する前立腺がんの治療に適用できるとされています。α線を放出する放射性同位元素を利用する利点は、これまでにも利用されているβ線と比較して、より短い距離でエネルギーを放出して止まるため、がん細胞周辺にある正常な細胞への侵襲が少なく、また放射性同位元素としては比較的短い寿命のものも多いため、治療時間の短縮し、QOL12の向上につながります。α線を放出する放射性同位元素を用いた核医学治療は世界的にも着目されており、ラジウム223以外には、アクチニウム225やビスマス213、アスタチン211などを用いた臨床研究、標的アイソトープ治療(TRT13)、標的α線治療(TAT14)が各国で行われています(図 7-14)。
図 7-14 標的アイソトープ治療に利用される主なアルファ線放出RI
(出典)第22回原子力委員会資料第1号 量子科学技術研究開発機構「医用RIの国際的利用並びに量研機構での放射性薬剤開発について」(2019年)[14]
日本でもアルファ線を医学応用するために、アクチニウムの国産化や創薬拠点の準備、規制整備、人材育成等の活動が始まっています(図 7-15)。
図 7-15 アルファ線を医学応用するための国内の動き
(出典)第22回原子力委員会資料第1号 量子科学技術研究開発機構「医用RIの国際的利用並びに量研機構での放射性薬剤開発について」(2019年)[14]
このように非常に利便性が高く、現在も国民生活に大きな貢献を果たしている放射性同位元素利用ですが、多くの放射性同位元素の入手は海外に依存しているのが現状です。国内では、放射性同位元素の製造に原子力機構のJMTR15やJRR-3及びJRR-416が用いられてきましたが、JRR-3は東日本大震災以来運転を停止しており、JMTR、JRR-4については廃止が決定しているため、PET用の薬剤などサイクロトロンで製造される短半減期のものを除き、多くの放射性同位元素を海外から輸入しています。特に、シングルフォトン検査のおよそ6割を占めるテクネチウム99mの原料となるモリブデン99はその全てを海外から輸入しています。過去には、モリブデン99を生産していたカナダ原子力公社チョークリバー研究所にある原子炉NRU17が、重水漏れによって長期にわたり停止され、世界的なモリブデン99の供給不足が発生したこともあります。α線を放出する放射性同位元素を利用した核医学治療についても、国内での製造や利用は基礎研究に留まっており、世界的な動向から遅れているのが現状です。これには、ほかの放射性同位元素の利用と同様に、放射性同位元素を製造する拠点が不足していることに加え、規制や体制といった環境整備が不十分であるという課題があります。
また、これらの放射性同位元素を利用することのできる人材が不足していることも大きな課題の一つです。大学への放射性試薬の供給件数の推移を見ると、およそ10年の間に約70%も減少しており、これに比例し、適切に放射性同位元素を取り扱える人材が減っていくことが懸念されています(図7-16)。
図 7-16 大学への放射性試薬供給件数
(出典)第43回原子力委員会資料第2号 (公社)日本アイソトープ協会「アイソトープ利用の現状と課題」(2018年)[12]
コラム ~α線放出核種の医療利用~
α線はβ線に比べて、単位距離を通過するときに物質に与えるエネルギー(LET18 )が大きく、少ない放射能でも強力に細胞内のDNAを破壊することができます。また、β線よりも飛程が短く、正常組織に対する放射線の影響も最小限に抑えられることから、骨髄等の放射性感受性の高い組織への悪影響や医療従事者、介助者の被ばくを低減できます。α線放出核種を用いた内用療法は、悪影響が少なく腫瘍だけを集中的に攻撃する効果の高い治療が期待できるとして、世界的にも注目されており、ラジウム223による治療はすでに臨床応用されています。
放射線の飛程とエネルギー 放射線の種類 放射線のエネルギー 飛程 LET(線エネルギー付与) α線
5-9 MeV
40-100 μm
80 keV/μm
β線
50-2300 keV
0.05-12 mm
0.2 keV/μm
(出典)第22回原子力委員会資料第1号 量子科学技術研究開発機構「医用RIの国際的利用並びに量研機構での放射性薬剤開発について」(2019年)[14]
α線放出核種のうち、特にアクチニウム225を利用した治療や臨床研究が注目されています。アクチニウム225の半減期は10日と比較的長いため商業的に供給できること、核種の崩壊によって希ガス元素である放射性ラドンが発生せず、製品調剤および投与後の管理が容易であることが利点として挙げられます。また、アスタチン211も半減期が7.2時間と短いため、投与後に体内に長く残って放射線を出し続けることが無いこと、標識薬剤を製造した後に離れた箇所にある治療施設に運搬する余裕があること、放射性ラドンが発生しないこと、といった利点があるため治療への利用が期待されています。量研では、アスタチン211を用いた治療効果の研究や、アスタチン211線源やアクチニウム225線源の製造法の開発が進められています。小型加速器を用いてラジウム226に陽子を衝突させアクチニウム225を製造する方法などが開発されています。
しかし、日本は標的アイソトープ治療や標的α線治療の分野では海外からの輸入製剤に依存しており、新規α線放出核種による臨床研究や治験もまだ行われていません。自立した核医学を確立し、標的α線治療を早期に実現するためには、国を挙げてα線放出核種製造戦略を立て、行政、研究機関、大学、企業が協力してα線放出核種に対応した研究・医療環境整備に努めることが重要です。コラム ~アイソトープ協会の取組について~
我が国での放射性同位元素の利用の拡大と使用量の増加に伴い、放射性同位元素使用者の利便性を高めるべく、放射性同位元素の一括輸入と配分、安全に取り扱うための技術訓練や使用者間の連絡活動を担う機関として、1951年5月に日本放射性同位元素協会が設立されました。現在は日本アイソトープ協会に改称され、放射性同位元素と放射線に関する利用技術の向上と普及啓発の推進を図り、科学技術の振興と国民生活の向上に寄与することを目的に、放射性同位元素の供給と廃棄、放射性同位元素利用に係る普及啓発活動が行われています。
放射性同位元素は放射線を放出しつつ、時間とともに減衰していきます。日本アイソトープ協会では、そのような特性を持った放射性同位元素を、需要に応じて安定的に供給していくために、国内外の関係機関や製造者、使用者と情報を共有しながら、輸入、製造、輸送を行っています。また、使用されなくなった放射性同位元素を安全に処理するために、核種や放射能、線源番号、汚染検査による汚染の有無を確認し、使用者から回収し保管しています。供給した放射性同位元素以外にも、加速器施設等で発生した放射性廃棄物について、全国を巡回して集荷し、処分を行う事業者に引き渡すまで、安全に貯蔵しています。
日本アイソトープ協会が行うRIの供給と処理までの流れ
(出典)第43回原子力委員会資料第2号 (公社)日本アイソトープ協会「アイソトープ利用の現状と課題」(2018年)
放射性同位元素利用に係る普及啓発活動では、利便性の高い放射性同位元素を広めるための活動だけでなく、放射性物質を安全に取り扱うためのサポートも行われています。協会に設置された理工・ライフサイエンス部会、医学・薬学部会、放射線安全取扱部会や各種の委員会では、放射性同位元素利用の普及、放射線障害の防止、啓発、部会員相互の情報交換などが行われています。また、広く放射性同位元素利用者や一般に対しても研究発表機会の提供や講習会の開催、出版物の刊行が行われています。
国民の生活を支える放射性同位元素利用を維持、発展させていくためには、放射性同位元素製造の海外依存や放射性同位元素を適切に取り扱うことのできる人材の不足などの課題があります。2018年12月11日の原子力委員会定例会では、日本アイソトープ協会から、このような放射性同位元素利用を取り巻く課題に対して、更なる利用拡大と安定的供給に向けた放射性同位元素の国産化や適切な人材を確保するための人材育成についての今後の方向性が示されています。コラム ~大阪大学放射線科学基盤機構の設置について~
我が国での放射性同位元素の利用の拡大と使用量の増加に伴い、放射性同位元素使用者の利便性を高めるべく、放射性同位元素の一括輸入と配分、安全に取り扱うための技術訓練や使用者間の連絡活動を担う機関として、1951年5月に日本放射性同位元素協会が設立されました。現在は日本アイソトープ協会に改称され、放射性同位元素と放射線に関する利用技術の向上と普及啓発の推進を図り、科学技術の振興と国民生活の向上に寄与することを目的に、放射性同位元素の供給と廃棄、放射性同位元素利用に係る普及啓発活動が行われています。
放射性同位元素は放射線を放出しつつ、時間とともに減衰していきます。日本アイソトープ協会では、そのような特性を持った放射性同位元素を、需要に応じて安定的に供給していくために、国内外の関係機関や製造者、使用者と情報を共有しながら、輸入、製造、輸送を行っています。また、使用されなくなった放射性同位元素を安全に処理するために、核種や放射能、線源番号、汚染検査による汚染の有無を確認し、使用者から回収し保管しています。供給した放射性同位元素以外にも、加速器施設等で発生した放射性廃棄物について、全国を巡回して集荷し、処分を行う事業者に引き渡すまで、安全に貯蔵しています。
大阪大学放射線科学基盤機構が設置された背景にある放射線科学分野の現状と課題
(出典)大阪大学放射線科学基盤機構「放射線科学分野の現状と課題」(2018年)
大阪大学放射線科学基盤機構の取組の一つに、α線核医学療法を中心とした医療イノベーションの展開があります。この取組は、大阪大学の理学研究科、医学系研究科、核物理研究センター、及びラジオアイソトープ総合センターが中心となって、全学体制で推進されています。現在では、α線核医学療法を推進する上での課題である、α線を放出する核種を大量に製造するための手法とそれを精製する技術開発が進められています。また、α線を放出する核種をがん細胞に輸送する分子の開発が行われており、動物実験レベルで極めて有望な分子の探索がなされています。
放射線や放射性同位元素の利用は新たなイノベーションのツールとして有効ですが、横断的な分野や新たな領域でのイノベーション創出には、それぞれの専門家や施設の連携は欠かせません。大阪大学放射線科学基盤機構はその先駆的な組織といえます。(3) 小型加速器の利用について
加速器はエネルギーや強度の高い放射線を発生させることができるため、産業や学術研究の様々な場面で用いられています。中性子源として用いる加速器は、中性子を発生させるために陽子を加速するために大規模な装置が必要となることから、持ち運び可能な大きさではありませんが、X線や電子線については、加速器を構成する装置の研究開発の進展により、テーブルトップサイズの加速器が登場しています。
小型の加速器は持ち運びが可能なことで、巨大な構造物等、加速器施設に運搬して放射線を照射して分析することが難しいものに適用できるという利点があります。例えば、中性子線を用いてコンクリート中の水分を測定することで、橋梁等のコンクリート構造物の長寿命化に資する研究が行われていますが、このような研究では中性子線を発生させられる施設までコンクリートの試験体を持ち運んでいます。一方、小型のX線加速器は、その可搬性を生かし、実際に建設されている橋梁に直接利用することができます。実際に、プレストレストコンクリート橋の劣化において重要な、グラウトの充填不良を小型の高出力X線加速器を用いて可視化し、その後の保全活動に活用するという研究開発が行われています(図 7-17)。
図 7-17 小型X線加速器を用いた橋梁の検査
(出典)第34回原子力委員会資料第1号 東京大学上坂充「加速器小型化の最前線について」(2018年)
搬性という利点を持つ小型加速器ですが、法令の規制により、1MeV以上のエネルギーを持つX線を発生させる装置を非破壊検査のために屋外で利用できる対象は橋梁または橋脚に限られます。今後、これらの構造物以外にも、トンネルや落石等から道路を保護するためのシェッド等、様々なインフラ構造物の老朽化は増加していくことが見込まれます。橋梁以外にも、屋外にある大規模構造物の保全活動に高出力のX線加速器を活用していくためには、技術の適用性を拡充するだけでなく、規制見直し等の利用のための基盤整備も重要になります。
電子線は滅菌に用いられることがありますが、加速器が小型化することによって、滅菌装置全体が省スペースになるというメリットがあります。これまで、医療器具等に用いられることの多かった電子線滅菌の技術ですが、ペットボトルの殺菌等における電子線の利用も普及してきており、殺菌に使用する水使用量の削減や生産工程の効率化等も期待されます。コラム ~放射線滅菌について~
医療器具、医薬品や食品包装容器を滅菌する際に、放射線を用いた滅菌技術が用いられています。
耐熱性の低いプラスチック製品等の滅菌には、低温滅菌が可能なエチレンオキシドガスが用いられることが多いですが、エチレンオキシドガスには発がん性があることから労働安全衛生法上の特定化学物質19に定められるなど、国内外で規制が強化されました。
こうした背景の中で、有害性の少ない電子線滅菌技術の研究が進められ、現在では医療器具や医薬品包装容器の滅菌に広く利用されています。
電子線滅菌とは、電子加速器から人工的に放出された電子線の電離作用を利用した滅菌方法です。電子線滅菌の長所は、残留物がないこと、低温かつ短時間に物質を非破壊で滅菌できることなどが挙げられます。 一方で、大規模で高価な設備が必要となりますが、近年では、電子線滅菌を導入する大手の医療機器メーカーが増えています。国際的な査察機関や各国政府間での医薬品等の製造管理及び品質管理に関する基準の枠組みであるPIC/S20においても電離放射線を医薬品の原料や包装材等の滅菌などに用いることができると示されており [15]、今後、医薬品における放射線滅菌の更なる利用が期待されます。電子線滅菌装置の事例(住重アテックス(株)つくばセンター)
(出典)第30回原子力委員会資料第1号 住重アテックス(株)「放射線・加速器利用について(産業利用分野のトピックス)」(2018年) [16]
- Japan Research Reactor-3
- Japan Proton Accelerator Research Complex
- Material and Life Science Experimental Facility
- Boron Neutron Capture Therapy
- Japan Collaboration on Accelerator-driven Neutron Sources
- Super Photon ring-8 GeV
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- Positron Emission Tomography
- Quality Of Life
- Targeted Radionuclide Therapy
- Targeted Alpha Therapy
- japan Materials Testing Reactor
- Japan Research Reactor-4
- National Research Universal
- Linear Energy Transfer
- 労働者に健康障害を生じさせるおそれのある化学物質
- 医薬品査察協定及び医薬品査察共同スキーム:Pharmaceutical Inspection Co-operation Scheme
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