米国には原子炉供給メーカとしてGE(ゼネラルエレクトリック)社,WH(ウェスチングハウス)社,B&W(バブコック・アンド・ウィルコック)社及びCE(コンバッション・エンジニアリング)社があり,GE社以外はすべてPWRの製造メーカである。また,GE社,WH社がそれぞれBWR,PWRで圧倒的なシェアを占めている。このほかGA(ゼネラル・アトミック)社が高温ガス炉の開発を進め,原型炉フォート・セント・ブレイン(33万KW)を建設し,1974年にば臨界に達したが,その後各種修理等により営業運転を行うには至っておらず,また1975年にはいままで発注のあった発電所もすべてキャンセルされた。このためGA社では民間企業のみで高温ガス炉を開発するのは困難と判断し, ERDAに助成を申し出ている。
このように米国では民間が主体となって原子力開発を進め,政府がそれに対して助成するという形で進められていたが,高速増殖炉開発にみられるように政府の役割が増大してきている。
欧州諸国のうち英国,フランスでは電力会社が公営であり,原子力開発体制のうえでも米国,西ドイツ,日本と異なり,政府の主導性が強いものとなっている。
英国では1973年3月,国際競争力の強化をねらいとしてThe National Nuclcar Corporation(NNC)が設立された。さらに,1975年3月には2つの原子力コンソーシャム(共同出資会社),BNDC(British Nuclear Design&Construction Ltd)とTNPG(The Nuclear Power Group Ltd)の組織と人員を吸収し,同年5月には原子力発電所の建設を担当する子会社としてNPC(Nuclear Power Company)が設立された。英国では1974年にSGHWRを次期炉型に選定したが,NNCの株式を50%所有していたGEC社はこの決定を不満とし,政府が買上げることを要請していたため,英国原子力公社(UKAEA)は1976年1月このうち20%を買収した。この結果NNCの株式所有はUKAEA35%, GEC30%,その他の原子力機器メーカグループ35%となった。
フランス政府は軽水炉開発に主力を注ぐため,軽水炉メーカーをフラマトム1社にしぼるとともに,フランス政府の主導力を強化するためフランス原子力庁(CEA)がフラマトム社に資本参加することを内容とする原子力産業政策を1975年8月に決定した。
フラマトム社はWH社が45%,クルーゾ・ロワール社51%,その他4%となっていた。クルーゾ・ロワール社の株式はベルギー系の資本家であるアンパン男爵の所有するアンパン・シュナイダー社と鉄鋼産業持株会社のマリヌ・フィルミニ社が50%ずつ所有しており,フランス系の資本が入っていなかった。8月の決定に沿い交渉が重ねられた結果,1975年12月WH社の持分45%のうち30%をCEAへ譲渡し,さらに技術供与契約の切れる1982年に残りの15%をクルーゾ・ロアール社が取得することとなった。
一方新型炉の開発ではフランス政府の指導により本年4月Super-Phenixのエンジニアリングと建設を担当する会社としてNOVATOMEが設立された。出資比率はアルストム社(CGE社の子会社)30%,フラマトム社40%,CEA30%である。
西ドイツでは民間企業が合同出資で原子力関連会社を設立することにより,積極的に原子力開発に参加している。ウラン探鉱開発では民間のコンソーシャムとしてウランゲゼルシャフト社とウランエルツベルグバウ社が設立され,政府の助成をうけ海外で探鉱を進めている。原子力発電ではジーメンス社がWH社とAEG-テレフンケン社がGE社と技術援助契約を締結し,それぞれPWRとBWRの開発を進めていたが,1964年4月ジーメンス社50%,AEG社50%の出資比率でクラフトヴェルクユニオン(KWU)社が設立された。西ドイツでは連邦政府の援助も受け,独自の軽水炉技術を開発し,輸出するまでに至っている。
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